雨の日は仕事が休みくらいがちょうど良い
雨の日は仕事が休み
雨の日の里山は静かだ。
外仕事が出来ないのでご近所さんたちの姿も見えない。
私も同じく畑も裏山へも行かない。
山しごとを生業としている夫も、一日中雨が降るの日は仕事が休みだ。
こんな日は、私はじっくり料理をしたりお菓子を作ったり、読みかけの本を読んだり、刺し子をしたりする。
夫が林業に転職したての頃、私は東京で仕事をしていて、遠距離夫婦生活を3年ほどしていた。
雨が降ると仕事休み?大丈夫それ?って思っていたけれど、
私自身も里山暮らしを始め、都会暮らしとは180度違う環境となりしばらく経つと、雨の日は仕事が休みくらいが丁度良いんじゃないかと思うようになった。
雨の日、ご近所さんを訪ねたら、
「おばあさんは、天気悪いから頭痛がするって横になってるよ」と。
あ〜〜気圧の偏頭痛かな?!と思う。
私も偏頭痛持ちで、体の調子が悪いと何かと頭痛に出る。
雨の日、たまに頭痛の種みたいなものを抱えながら目覚める時もある。街で暮らしていた頃は、偏頭痛に頻繁に悩まされ頭痛薬を飲みながら暮らしていたことを思い出す。
里山に暮らすようになって暮らし方が変わり、
追われる暮らしのペースから解放され、余裕が持てるようになってから頭痛薬を飲まずとも済むようになった。
今回は、どのようにして私の暮らし方が変わり、
追われる暮らしのペースから開放され、余裕が持てるようになったのか?
を話したい。
36歳、英語講師、不妊治療5年目
里山の暮らしを始めた頃の私の状況はこんな感じだった。
36歳、英語講師、不妊治療5年目。
自分の人生において色々とモヤっている時期であったのかもしれない。
「このままでいいのかと感じる仕事のこと、
子供できるのできないの?
採卵たくさんしたな〜。あと、何回する?辛いな〜
注射何本打てば良いのさ〜〜。
食べること、家のことは2の次な暮らし方。
なんか、心身ともに豊かな気持ちでいられない感じ。」
とまあ、こんな心境。
そんな中、夫の望む「遊べる雑木林のある古民家」に引っ越してきた。
都会の暮しと180度違う里山の暮らし。
集落のご近所さんたちは、里山から採った旬なものを食べ保存し、里山を循環させながら里山と寄り添いながら暮らしている。
林業を生業とする夫は、山の親方衆の話をする。
「親方が教えてくれる山の事、生き物のこと、道具の使い方、仕事の仕方、一緒に過ごしているだけで、この人たちの人間力みたいなものをすごく感じるんだ。」
都会育ちの私たち夫婦にとって、里山に暮らすご近所さんや山の親方たちは自然の中で生きる術を知る、私たちからすると、とてつもない人間力を持った方達と感じた。その自然と寄り添う暮らし方は、とてもエコで優しい無添加な暮らし方。しかも、それは最近始めたわけではなく、代々続いてきた日本の田舎の暮らし方。
私たちはいつからか、この方達に強い憧れみたいなものを抱くようになった。
どのように食べ物を調達し、どのような家に住み、その家はどのような環境にあるのか?
食べる事と家の事が2の次になっていた当時の私にとって、おおいに追求したい事であった。
そうして私たちの里山暮らしが始まり、夫は裏山を整備し始め、私も畑を始めた。しばらくたって、旬の季節の物が食卓に並ぶようになった。
ご近所さんは親切に私に美味しい梅干しの漬け方や、野菜の保存の仕方を教えてくれる。食卓に並ぶ無添加なもの、採れたての季節のモノは抜群に美味しい。同時に、手間をかけるという事は想いもこめられることなんだと言う事も身を持って知る。
自分の暮らし方が変わり、同時に価値観や大切にしたい事自体も徐々に変わっていった。
ただただLet go~~自然に身を委ねる
里山で暮らす中で、いかに自分の暮らすペースが変わったかを実感している。
都会の暮らしでは、頭で意識的に様々なことをスケジュールし、組み立て自分の暮らしをコントールしようとしていた。生産性を考え、いかにプロダクティブに合理的に動けるかを常に意識していた。
里山の暮らしは時に逆である。
自然は自分がコントールしたくてもできるわけもない。
この暮らしでは、自然は頻繁に私に、
ただただ Let go~~~
あらがうのでなく、
ただただ自然に身を委ねるので良い
と言う事を教えてくれる。
この里山での暮らしのペースが今はとても心地よく、自分自身の気持ちに余裕が生まれたことでこの暮らしの豊かさにも気付くことが出来た。
最後に一曲
小学校の頃、音楽の時間によく歌っていた歌を思い出す。
「南の島の大王は〜子供の名前もハメハメハ〜
学校嫌いの子供らで〜 風が吹いたら遅刻して〜 雨が降ったらお休みで〜
ハメハメハ〜ハメハメハ〜ハメハメハメハメハ〜」🏝
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