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親以外の大人が、できることは?

電車で、「お受験」らしき女の子とお母さんが私の前に立っていた。2人とも紺色のワンピース。お受験本に「お手本」として出てきそうな親子。女の子は電車移動にすっかり飽きてしまったようで、お母さんの裾を握りながら、ウネウネと体を動かしている。

それに気づいた、お母さん。
「○○ちゃん、そんなに落ち着きなくちゃダメよ。面接ではしっかりしてね!」
あぁ、どうやら本当にお受験本番のようだ。お母さんは緊張からか、ピリピリしている。

「なんでしっかりしなきゃいけないの〜?」
狭い電車内に飽き飽きして、飛び出したい気持ちを抑えている女の子は、ぐずり半分、母を試すような思い半分で顔を見上げた。

「しっかりしなければ、学校に受からないでしょう」
案の定、母親は怒りを交えて応えた。それでも、女の子は質問をやめない。

「学校に受からなかったらどうなるの〜?」

この質問は、完全に母親の神経を逆なでしてしまった。少し間が空いて、母が声のトーンを落として女の子に言った。

「お母さん、学校に受からなかったら○○ちゃんのこと、嫌いになるからね」

女の子は唖然として母親の顔を見上げた後、静かにうつむいた。
自分が言われたかのように胸が苦しい。
その後、女の子が足元から目を上げることはなかった。

* * *

またある日、駅のホームに立っていると、後ろから誰かを罵倒する女性の声が聞こえてきた。平日昼間である。酔っ払いもいなさそうな時間だけれど…と思い、振り返る。

すると、母親と中学生らしき娘2人がホームのベンチに座っていた。

母親は娘を、「あんたのいうことなんてもう二度と信じない」「顔も見たくない」「ほんとに産まなければよかったわ」「最低ね!」とずっとなじっている。
娘は下を向いて、母親を見ようとしない。表情は固い。

母親の罵倒を聞いていても、その怒りの原因はわからなかった。具体的に何かについて叱るというよりは、娘が確実に傷つく言葉を一方的に投げつけているという感じ。

なんとなく、娘はこんなふうに罵倒されることに慣れているような雰囲気だった。

* * *

通りすがりの私は、この2つの親子に何もすることはできなかった。
子どもたちは、確実に傷ついている。目に見えているのに、どうやって関わったらよいのかがわからなかった。

2つ目の親子のケースでは、親子ではなく他人同士であれば、もしかしたら「絡まれいる人がいますよ!」と駅員さんに伝えに行ったかもしれない。しかし、親子だとわかったから、何もできなかった。
…でも、これってすごくおかしいことだ。

2人のお母さんはきっと追い詰められていたんだ、と思う。あくまで推測だけれど、ギリギリの状態でなければ、確実に子どもが傷つく言葉を心に突き刺していくことなんてできないんじゃないかな。

だから、母親を責めるのではなく、親以外の大人である私ができることはなにかを考えてみたい。
自己肯定とか自尊心とか。そういったものを失ってしまうと、とてもとても長い戦いが待っている。人生をかけて傷を癒す…そんな人だって珍しくない。キリキリと心に穴を開けられている子どもたちに対して、親以外の大人が何か役割を担うことはできないのかな?

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