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選択肢にたえうる力を養う

「誰も経験したことのない未来を生き抜くために、子どもたちにできることは選択肢を与えることだ」

教育の議論で、そんなことをよく言われる。
私もこの言葉に、異論はない。

しかし、「選択肢を与えるだけでいい」とは思わない

なぜならば、選択を前向きに受け止め、選択した道を肯定的に生きていくには、そのための力が必要だからだ。
ただ、選択肢を与えるだけで、なにもかもうまくいくわけではない。それは自己責任の名の下での、大人の無責任になりかねない。

選択肢を与えることと同時に行っていかなければいけないこと。

1つは、「選択肢を目の前にして、楽しめたり、前向きにチョイスできたりする力」を養うことだ。

決断に慣れていなければ、「さあ、好きな道を選んでいいよ」と選択肢を広げられることは苦痛でしかない。だからこそ、極端な信仰に走ったり、声が大きい人に服従したりする人があとを絶たないのだと思う。
この力が養われていなければ、選択肢をいくら豊富に備えたところで機能しない。むしろ、選択肢の多さに戸惑い、思考停止になってしまう人が続出してしまう。そうなれば、社会は非常に危険な状態に陥る。

そしてもう1つは、「選んだ道を肯定し、『ほかの道もたしかにあった。でも、いまが幸せだよね』と思う力」をつけていくことではないだろうか。
選択肢が複数あるということは、選ばなかった道も複数あるということでだ。選ばなかった道をスッカリサッパリきれいに忘れられるような人であればいいのだろうが、そんな人はほぼいない。

…なんで私が、こんなことを思ったかというと、今日突然大学時代に付き合っていた彼氏の夢を見たからだ。しかも、昔の思い出が夢になったわけではない。「ずっと付き合い続けた今」が、夢になってありありと現れた。
ちなみにいうと、その彼のことを引きずっているわけではない。言えることは、私が彼に別れを切り出したので、「選択肢は私が持っていた状態だった」ということだ。

ーー”選択しなかった道の延長線上”が突如夢になって現れた。
人間の脳は不用意にこんなイタズラを仕掛けてくる。

私が今絶望の淵にいたならば、きっとこの夢に引っ張られてしまっただろう。しかし、今は、なんとか自分の足で立ってはいられる。それは、「ほかの道もたしかにあった。でも、いまが幸せだよね」と少なからず思えるからだ。

選択肢を与えるだけでなく、選択肢にたえうる力も同時に養っていく。これは私たちの命題でもあるし、同時に子どもたちの教育についても求められることなのだと思う。

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