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恋愛は自己実現でもなければ、相互依存でもない

私は20代の頃、恋愛が大好きだった。自分が恋愛をすることも好きだったし、誰かの恋愛話を聞くことも好き。ひいては、恋愛の噂話をすることも好きで、大学時代は友人Kとセットで『女性自身』などというあだ名をいただいたこともある。

30代もだいぶすぎた今、20代ほどの恋愛への関心がなくなってきている自分を感じる。
もしかしたら、よく言われる通り、年齢的にトキメキ力が低下したのかもしれないけれど。でも、私の場合はそれだけではないような気がするな、と感じている。

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私の場合、恋愛への熱量を失っていったタイミングが、自由に生き始めた時期と重なる。企業を辞めて、自分で楽しい仕事をしはじめた。
いや、仕事内容だけではない。「みんなと同じ」と規制されることがなくなった。毎朝同じ時間に起き、満員電車に乗り、同じメンバーと話をし、また、満員電車で帰る。平日、自分で使える時間は帰宅した1、2時間程度。そんな制限から解放されたタイミングと時期を同じくして、恋愛への熱量がやや下がった。
そして、最近はいろいろな人の手を借りて、自分自身をありのままに受け入れることもできはじめた。やっと自分のために生きていると感じられるようになった。これにより、さらに恋愛に依存する自分が消えていった。

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自身の置かれた状況とマインドのチェンジで、自分の恋愛が変わっていった。
大きな変化は、恋愛に自己実現を求めなくなったことだ。

どういうことか?
もともと「かっこいい人と付き合いたい(面食いじゃないみたい笑)」「高収入の人と結婚したい」みたいな願望は皆無なんだけれど(自分の好みの人に好かれたいはあるよ)。フリーランスになるまでは、自分で人生を決定できる幅が狭すぎて、「恋愛くらいでしか自分を表現できない」状態だったのだ。
だから、唯一の自己実現であり自己表現である恋愛というジャンルに没頭していたんだろう。

「女子って恋愛の話好きだよねー」
などというフレーズをよく聞くが、もしかしたら、私と同様に「恋愛が好きなのではなく、恋愛くらいしか自己実現のはけ口がないから恋愛に夢中になっている」女性は多いかもしれないな、と最近では思う。実態はわからないけれど。

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もうひとつの気づき。
恋愛を自己実現や自己表現として捉えていると、どうしても「依存」が生まれてくるように思う。

なぜか?

それは、自己実現が基盤となる恋愛は、「相手のことを好き」なのではなく、どこまでも「自分のことを好き」「自分で自分を認めたい」を突き詰めていくだけだからだ。相手にも、それを要求するようになる。
だからこそ、相手に過剰に期待する依存関係に陥ったり、ダメんずの世話を焼き共依存の関係に居心地の良さを感じたりするようになる。

30うん歳で、こうしたことに気づいた私はかなり「遅ればせながら…」なんだろう。でも、せめて、いま気づくことができてよかった。
自己愛からはじまる恋愛は、そのうちに2人で歩む意味を感じられなくなる。だから、これからの私は、相手とお互いをよく見合い、自己愛の投影ではない愛情のやりとりを大事にしていきたいと考えている。

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