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「子どもに広い世界を見せることは残酷か?」を書いてみて

『現代ビジネス』で、「子どもに広い世界を見せることは「残酷」か? 沖縄の教育現場のリアル」という記事を書かせていただいた。正直に言って、すごく緊張する執筆だった。たぶん、これまでで一番。

沖縄の「外」で育ってきた私が、沖縄の教育を語ること。これは、もしかしたら”地雷”を踏んでしまうことかもしれない。

「こいつ何にもわかっていないくせに」「県外の人に知ったようなこと言われたくないよね」などと思われやしないだろうか。私が好きな沖縄の人たちに、総すかんを食うかもしれない。
大好きだからこそ沖縄という場所に向き合っているのに。もしかしたら、とてつもなく傷つく結果になるかもしれない。

そんなことに怯えながら。手が滑って言いすぎてしまうことがないように、まとめようとし過ぎないように、心と言葉を一致させる紡ぎだしを丁寧に慎重におこなった。

◆「県外だから言えることがある」

結果的に、この記事は多くの人に読んでいただけた。

この記事に協力してくれた沖縄メディアに務める友人のもとへお礼を伝えに行った。そして、私がとても迷いながら執筆した、という事実も伝えた。

すると、だ。

「県外だからこそ、書ける記事だったよね。私たちには書けない。だから、非常にありがたかった」
と、言われた。

意外な言葉に、曖昧な表情で頷いた。
話を聞くと、沖縄のメディアで県内の教育を取り上げることは慎重さがかなり必要なのだそう。私学や塾などの教育記事はほぼNG。格差の問題が背景にあり、公立学校以外の記事に対して問題視する読者がいるのだという。

私はベネッセ勤務時代、さまざま学校にお邪魔して、記事を作ってきた。全国の学校教育を鳥の目で見てきたつもりだったけれど、”ひとつの県”という虫の目で見たとき、教育を考える発信はこうも難しいものかと考えさせられた。

「県外だからこそ言えることがある」
ほんとうに、そんなものがあるのだとすれば。
…私は自分が書く意味を考えるようになった。

◆NEWS PICKSでの議論

『NEWS PICKS』に配信された本記事は、207picksをいただいた。議論が盛り上がっているのをとても興味深く読んだ。
想定していたものもあれば、まったく予想外のものもあった。
(コメントの詳細は、こちらをご参照ください。)

大人が子どもの見る世界を制限しようとするのがそもそもナンセンス。
だから、子どものことを信じて広い世界に羽ばたく力を見せていくのがよい。世界を見なければ、自分の夢や目標との折り合いがつけられない。

一方で、真逆の意見もあった。

広い世界を見ないという幸せもあるのではないか? 「外」を知らないからこその幸せ。ブータンの幸福度を考えてみたらいい。

正直に言うと、私は両者の気持ちも持っている。どちらが正解というわけでもないのだろうとも思う。私自身は選択肢のある世界で生きていきたいと思うが、それは私には合っていた、ということだけなのかもしれない。

解を提示するのではなく、課題への眼差しを持つこと。多様な意見・思いが、ネットという場で対話されたこと自体に意義がある。そんなふうにオンラインでのコミュニケーションが活用される社会はいいな、と感じた。

◆自分の人生と重ねていた

記事を読んでくださった方が、直接感想を寄せてくださったこともあった。

「自分も地元から出る際に決死の覚悟をした」という、地域によるブロック。
「女性に学問はいらないという家族から飛び出したことを思い出した」という、ジェンダーや家族からのブロック。

選択肢の狭められた世界から飛び出した自分の過去と重ね合わせて読んでくださった方も多かったのだ。”沖縄”という場所から離れ、いろいろな軸で「選択肢のある人生とは?」というテーマが考えられたのだと知った。

ものを書くことに一番必要な感情は、勇気なのかもしれない。やや感情的な表現だけれど、この記事が運んでくれた人や感想を眺めてそんなことを思っている。
これから、読んでくださった方の思考を耕すような原稿を書きたいし、アウトプットを通じて、いろいろな人と対話を重ねながら自分の価値観も見つめていきたい。いま、そんなことを思っています。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。