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わたしが教員にならなかったワケ。

私は、いま「教育ライター」として教育にかかわっている。大学では教員免許を取得したし、両親も教員なので、なんとなく教員になるのかなぁと思っていた。しかし、ならなかった。

「どうして先生にならなかったの?」
今でも、教育まわりの仕事をしているからか、そんなことをよくきかれる。その度に、少し曖昧にこたえてきた。
それは、本当の理由を話したら、きっと相手は私になにを返したらいいかわからないのではないかと思ったからだ。リアクションに困るだろう話は、初対面の人にはなかなかしにくい。

わたしが教員にならなかったワケは、教育実習の経験にある。
中学校に教育実習に行った私は、それなりに楽しくやりがいを持って打ち込んでいた。中学生たちも、1年生だったこともあり、まだまだかわいい。

その中で1人、私になついてくれた男子がいた。仮にAくんとしよう。その子はいつも車椅子の男の子・Bくんと一緒にいた。移動教室の時は、AくんがBくんの車椅子を押した。AくんとBくんは、昼休みもずっと一緒に遊んでいて、不便があると自然に手伝っていた。

中学生のキャリア教育で「職場体験」というものがある。企業や保育園や商店に行き、働く体験をしようという取り組みだ。
Aくんはニコニコしながら、商店で職場体験をすることになったと私に報告してくれた。
「たのしみ?」
「うん、たのしみ!」
胸躍らせているようだった。

「Bくんも一緒なんだよ!」
そう嬉しそうにいったAくんに対して、
「そうなんだ、いつもえらいねぇ」
とわたしはなにも考えずに言ってしまった。

「なにがえらいの?」
Aくんは、きょとんとした顔をして、わたしに尋ねた。

わたしはハッとして、Aくんの顔を見た。
Aくんは、別に「えらいこと」をしているワケではない。ただ、友達のBくんと一緒に楽しく過ごしているだけだ。そこに、サポートする・されるの関係性はない。
しかし、わたしは自分の尺度でいつの間にか、「BくんをケアするえらいAくん」という視点で見ていたのだ。

不用意な自分の一言をごまかそうと、Aくんに対して、わたしは曖昧に微笑んで、「いつも仲良しだね」といった。

わたしは、そのとき、教員という仕事をはなんて恐ろしい仕事なんだろうと思った。自分の間違った価値観は、ダイレクトに子どもたちに伝わってしまう。

わたしが教員にならなかったワケはここにある。自分には”まだ”できないと思った。”まだ”だから、これから成長して、「教員になりたい」と思う日もくるかもしれない。しかし、少なくとも大学3年生の時期ではなかった。
そんな思いもあって、わたしは先生と学校を支えたり、先生と保護者の橋渡しをしたりする今の仕事に就いている。学校の外側で、公教育をサポートする仕事はわたしにとって、すごく意味のある仕事なのだ。

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