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SNSは不幸の源なのか?

「SNSを使って、人とつながる」ということが、一般的になってきた。
Facebook、Twitter、Instagram、最近ではオンラインサロンなんかもできてきていて、ネット上の「つながり」は非常に一般的なものとなったように思う。

しかし一方で、こんな調査データをもとにした記事を見たことがある。
「Facebookにかける時間が長ければ長いほど幸福度が下がる。」

理由は、投稿を眺め続けることで他人と自分の幸福とを比較して、自分は劣っている=「不幸だ」、と感じるからだという。

私自身も、友人も、Facebookの投稿をきっかけとした「やっかみ」ともいえる仕打ちを受けたことがある。活躍を羨む、毎日充実していそうで腹がたつ、子どもを見せびらかしてムカつく…などなど。その心のさざなみは多様だけれど、いずれにしてもSNSの投稿を発端にマイナスの感情に支配されているのは間違いなさそうだ。

ネットにより、子どもの犯罪が起こったり、子どもが犯罪被害者になったりすると、すぐに弊害が問題視される。
「刺激的な表現が問題だ!」
「誰とでもつながれるなんて危険すぎる!」
「リアルな関係性をつくれなくなるのではないか!」

そのどれもハズレではないのかもしれないけれど、100%当たりでもナイ。
なぜならば、インターネットはあくまで「ツール」だからだ。

だから、問題はツールを活用する私たちにある。

「SNSは不幸を招くか?」という問でいうと、私は「SNSが不幸を招くのではなく、自分自身はなにが幸せかを理解していないことが不幸を招くのだ」、と思う。
「自分の幸せはコレだ」、「自分はこんな暮らしをすると心が満たされるのだ」、という自身の幸福軸がぼやけているから、他者の投稿に気持ちが沈む。

大事なのは、子どもたちをネットから隔絶することではなく、「自分の幸せとはなにか」を見極める機会を用意することだ。「幸せ」の感覚は、人によって異なるものなのだから。

例えば、私は「移動すること」が大好きだ。体は疲れるけれど、新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりすることは楽しい。見慣れない場所に放り出されて、目的地まで地図をくるくるしながらたどり着くと「生きている幸福」を感じる。(方向音痴なのに。)
しかし、移動が嫌いな人にとっては、それは地獄でしかない。会社員時代、「長距離移動が多い」という理由で部署の異動を検討しているメンバーがいて、驚愕した。こんなに楽しいのに…!と。

だから、いくら他人の生活が充実していそうに見えても、それが自分の幸せだとは限らない。SNSはあくまでツールで、その存在によって不幸になるのではなく、不幸なのは投稿を見る自分自身が「幸せ」軸を持っていないからだ。

SNSを見て、「この人、幸せそうだな。私はいま、こちらで幸せだよ。お互いよかったね」と思える社会になればいい。そうしたら、本当の意味で私たちはSNSで「つながった」ということになると思う。ツールを、善にするのも、悪にするのも、人次第だと思うのだ。

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