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息子の自炊に鹿が出てくる(鹿が出る編)

大学2年生になった長男・J男。一人暮らしも2年目となり、自炊に拍車がかかっている。

最近J男の自炊に「鹿肉」という単語がよく出る。

鹿肉?

真相を確かめるためJ男に電話取材を試みた。
※文中では息子をJ男(自炊なので)とします。


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憧れの自給自足生活

今年3月のこと。
大学の同級生SくんがJ男に新鮮な鹿肉を譲ってくれた。
なぜ鹿の肉を? 

京都から35キロ離れた山のほう。
同級生のSくんと同じく同級生のTくんは古民家の宿を営むご主人と知り合い、そこに足しげく出入りするようになったという。

「畑を耕したり、鹿やイノシシの肉をさばいたりしている」

そんなSくんの話を聞いてJ男はすぐさま仲間に入れてもらうよう、お手製キーマカレーをたずさえて頼みこんだ。そういう暮らしに興味がありすぎるほどあったが、Sくんとはそれほど親しくなかったのでブツを持参して「調理係ができます」とプレゼンしたのである。

Sくんの許可がおりた。

そこから山と京都市内を往復しながらの自給自足生活が始まる。(自炊がテーマなのでJ男にしたが、自給自足のJ男になってしまった)

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3人とも車など持っていない。
若さに任せて片道35キロをいちいち自転車で往復する。35kmはバスだとゆうに一時間かかる道のりである。現地では宿のご主人から土地を借り、若さに任せて畑を耕しあらゆる夏野菜やくだものを育てた。もちろん自分たちで食べたし、余った分は道の駅で売った。900本の唐辛子は完売した。害虫除けのために植えたマリーゴールドに感謝を込め、3人であいみょんのマリーゴールドをたびたび熱唱した。そこまでうまくはない熱唱に花の女神も心を打たれ、マリーゴールドはしっかり虫をよけてくれた。

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▲この何もない大地を見様見真似で耕し、苗を植え、肥料と水をやり・・・

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▲見事な作物が収穫された。ほかにパクチーやブドウも。

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▲学習デスク一面の鷹の爪。

使われていない地域の集会所を貸してもらい、若さに任せて雑魚寝の寝泊りをし、土間で煮炊きをした。

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若さに任せて竹を切り倒して流しそうめんをし、余った竹を釣り竿にして魚を釣り晩飯にした。

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▲淡水魚アブラハヤ。


お世話になっているお礼に若さに任せて宿のために働いた。宿のブドウ園の管理や農作業、鹿やイノシシの解体、大学生らしく家庭教師、ときどきピアノ演奏、ご主人夫妻の留守を守って宿屋の運営もした。

夏野菜はひととおり収穫が終わり学校も始まるので、8月末日でこの暮らしはいったん終了することを決めた。そこで記念に3人は若さに任せて自転車で琵琶湖2週という苦行にトライした。

琵琶湖2週で400キロである。

400キロ。調べたら東京からで言えば、岐阜とか仙台まで行ける距離らしい。なぜわざわざ2周かといえば、「琵琶湖一周する人はいっぱいいるから」だそうだ。力が余っている。タイムは21時間半だった。

すべてが若さに任せている。任せすぎだ。でも聞いているだけで楽しい。これがすべてカネに任せていたら鼻もちならないが、任されているのは若さなのだから。瓶詰めにして道の駅で売れるぐらい、ここには‘がむしゃら’がある。(ガラムマサラの感じで)

時代の変化を追い風に

期せずして新型感染症の流行で大学は遠隔授業となり、登校の必要がなくなった。それにより彼らの活動は加速したのである。各自でパソコンを持ち込みオンライン授業を受けつつ、畑を耕し宿の手伝いもしながら男3人で暮らした。夏も深まり暑くなってきたらたいてい上半身裸だ。上半身裸で軒先のハンモックで昼寝をしたし、青空チャーハン大会(屋外でチャーハンを大量に作って食べる)もした。お巡りさんから「服は着てね」と注意された。

代わりばんこにときどき京都の自宅に帰り、畑を留守にはしないようにした。

だいぶ田舎なので、ソーシャルディスタンスはとりすぎるほどとれる。とはいえ、村には高齢者が多いのでマスクをつけるなど感染症予防には意識を払った。

彼らはそろって農学部。
実地学習をしているとの言い訳も立つ。「意外といた!コロナを追い風にしている人々」ってこれか、と当時百合子アラートが点灯中の東京にいる私は思った。
※農学部だが、3人とも農業の実習などしたことはなくもっぱらNHK『はじめての農業』にお世話になった。

いやおうなしに新型感染症による時代のありかたの変化は人々に変化や気付きをもたらしている。



鹿をおいしく解体するコツ

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▲若人たちが鹿とイノシシをいちから解体してあいびきにしたハンバーグ。私が東京で作るハンバーグと似て非なる野趣あふれるひと皿。


野菜は自給自足できるが、お米は作れないのでSくんのおじいちゃんが手塩にかけて育てた米を実家から送ってもらっている。S家の皆さま、息子がお世話になりありがとうございます。

問題はタンパク質に関してだ。若者=肉だ。肉はどうしているのか。

J男「罠猟(わなりょう)で捕まえた鹿やイノシシをさばいて食べている」

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▲インターネットに載せられる程度の解体中の様子。よく見ると鹿の脚。作業しているのはJ男の後輩くん。大学が始まるなりオンライン授業になり家にこもりがちだった後輩を誘い出した。ついてきた彼もまさか鹿をさばくことになろうとは。


畑を荒らしに来る獣を罠猟(わなりょう)でつかまえたり、よそで捕まったものを譲ってもらったりする。彼らが近頃食べているタンパク質は鹿肉がほとんどだという。次に会う時、J男は鹿になっているかもしれない。

宿のご主人や地元の猟友会のベテラン氏に教わり、3人とも解体ができるようになった。

・・・と、さらっと言うけど、そう簡単なことではないのでは? 元々そういう素質のある子が農学部行くのだろうか。

━━罪悪感とか「わあ、血が・・・!」とかない?

J「うーん。はじめは罪悪感ていうか、なんていうんだろ、自分は他者の命を奪って生きてるんだなーっていう驚きとか恐怖はあった。生き物を解体することと、肉を食べることをこれまでは地続きで考えたことがなかったから。気持ち悪いとか? 血はそうでもないけど、温度。あったかいんだよね・・・。耳をつかんでトラックからおろすんだけど、さわったら温かかったんで「うっ」ってなった。はじめの頃はね。今はもう慣れた」

━━どんな手順で解体を?

「まず首周りに包丁を入れて血抜きをするのね。で、背中に一本切れ目を入れたら皮と肉のあいだによく研いだ包丁を入れて皮をはぐ。これはけっこう楽にはがれる。肩甲骨についてる筋肉と前脚を外して、後ろ脚を脱臼させたら背中の肉をおろして、あ、この背中の肉がいちばんおいしいのね、いわゆるロース肉。で反対側も同じ要領で。内臓にかんしては、心臓(ハツ)は人間が食べて、あとは犬のえさにしたり。宿で大型犬2頭飼ってるから」

頼んだら詳しく教えてくれたが、背中に一本切れ目、のところで「羊たちの沈黙」を思い出した。
いまでは3人がかりでなら1頭を30分あまりで解体できるそうだ。

冷静沈着に説明するJ男に「外科医になろうと思わないのか」と尋ねてみた。

「逆、逆。絶対できないと思った。たださばくだけじゃなくて、人間のこういう体の作りをすべておぼえて正常に保つように手術するなんて、外科ってとんでもない難しい技術だな、と改めて思うね」

さばいた肉は冷凍し、宿の副収入として鹿肉ジャーキーに加工して売る分となる。3人の食糧にもさせてもらうが、鹿1頭さばくと約5~10キロになるので、かなり食べでがある。3人とも料理はできるが一応J男が料理長とされる。

鹿は牛と同じ偶蹄目で、鹿肉は英語ではVENISONと言う。牛豚肉より高タンパク高鉄分低脂肪で、かなりヘルシーな食材である。筋トレ界隈でもてはやされる肉だ。

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▲鹿肉のロースト。ローストベニソンだ。火を通し過ぎると固くなってしまうのでこの程度の赤さがよい。江戸時代の肉の隠語では、「馬は桜、イノシシは牡丹、鹿は紅葉」といわれたというから、鹿肉も食べられていたのだろう。

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▲イノシシのロースト。ローストWildBoarMeatだ。市販の豚肉よりもおいしい。うまみが強く、鹿にはもうしわけないけど、鹿よりずっとおいしいらしい。

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▲鹿肉のチャーハン『シャーハン』

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▲パプリカと鹿肉の炒め物『パプシカ炒め』

━━牛肉と比べたらどちらがおいしいか。

「んーそれは比べるのが難しい。家畜の肉と野生の肉はぜんぜん違うのね。スーパーで売ってるような肉はめちゃくちゃ柔らかい。野生の獣の肉は固くて脂肪がほとんどなくて、とにかく赤身」

━━霜降りの対極みたいな?

「そうそう。臭みもあるからお酒に漬けたりして工夫するんだけど、それよりまず大前提としてよく切れる包丁で上手にさばくと臭くなりにくい。血に臭みがあるから、さばくときに包丁を水洗いしながら血と毛が肉につかないように気をつける。あとリンパ節がにおうから、足にたくさんあるリンパ節を取り外してからほかの作業をするのが大事。慣れないうちは失敗して臭みが出ちゃったりしたけど、最近はもう上手にできる」

山暮らしがJ男に与えた影響

━━この5か月間の経験がJ男のこれからの人生に影響ありそう?

「かなりある。金銭の授受とはちがう経済のネットワークがあるんだと体感できたのが大きい。物々交換とか、物と労働との交換とか。宿のご主人や仲間に入れてくれたSくんの懐の深さ、人間の大きさにも感銘を受けた。これまで生きていた世界とはちがう世界があるとわかって進路に対する考えも変わってきた部分がある。あと、ずっと料理やってたから単純に料理がうまくなった。自転車にもたくさん乗ったし……一言でいうとめちゃくちゃ楽しかった!」


前編からひきつづき息子の自炊の話を書いているわけですが、急に十五少年漂流記みたいな記事となった。記事にしようと思わなかったらこうしてわざわざ話を聞くこともなかったので、私にとってはよかったと思う。

いっさい親の関与せぬ場所で勝手にめちゃ楽しい時間をすごせるなら、親としてこれほど嬉しいことはない。

苦労は買ってでもせよ、は正しい。けれど振りかえって圧倒的に楽しかった時間があることは、これから生きていく道のりを必ず支えてくれる。その思い出は、どこにいてもぶれない北極星のように人生を照らすものなのである。さて。まだまだ危なっかしいけれど、親から離れてそんな北極星をいくつも作っていく様子を面白がりながら(そして記事にさせてもらいながら)見守っていくとしますか。

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▲最後の日。犬に見送られて山を去る大学生3人組。

読んでくださってどうもありがとうございました。みたかの小さなプリン屋さんでした。

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※徳平庵のご夫妻にはJ男たちが大変お世話になりました。また記事中にSくんの素敵な写真を借用させていただきました。謹んでお礼申し上げます。


▼未読の方はぜひこちらもどうぞ。この記事の前段階のお話です。

▼J男の妹・М子のことを書いたものです。こちらの記事はnoteのおすすめに選んでもらえたので、たくさんの方に読んでいただいてます。


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