2019年、春、仕事さがし。
『受け身になりたいわけではないけど、サービスを受けるお客さんになりたいわけでもない。』
高知から横浜へ帰ってきて、のそのそと仕事を探し始めている。
何かをきっかけに知り合って、何かのタイミングで未来の話を共有して、その話のなかで共に時間を過ごす関わりしろを共有して、そしてタイミングが重なったときに一緒に活動をして‥
ここ数年の自分を振り返ると、まるで恋愛のそれのように、自然な流れのなかで仕事先との関係がスタートできている。とても嬉しいことだ。
旅をしていたときは、
「せっかく仕事をやめて旅をしているんだから、ネット上にある求人にアクセスするんじゃなくて、もっとストーリーや縁を大切に出来るような、目の前の人としっかり対話した先に働く先が見つかったら」‥
なんてお花畑みたいなことを妄想しながら、実際にそのように偶然のなかで生かされてきた。
恋愛でいう『お見合いアプリ』を批判しているわけではないし、出会いかたは様々だと思うから、出会うためにサービスに登録したり、二次情報を共有してマッチングしていく合理的な選択もあるとは思う。
ただ、知り合う前から結婚後の話をしたり、気に入られるように振る舞ったり‥不確定要素が多すぎる段階で何かを判断したり選択したり‥
そもそも石ころのようにたくさん溢れている中から、何かを選び出すことが僕はとても苦手のようだ。
「あなたがベストだと思って選んでいます」と志望動機や自己PRを創造して、そんな創造物を通じてジャッジされることに、いささか違和感を感じてしまっている。
ベストを選ぶことなんて意識しないでいいから、縁のあるものや繋がりをとにかく大切にしたい。‥そんな本心を隠しきれない。
今日もネットをみると、町を歩くと、社会はところ狭しと求人情報にあふれている。
確かに探してはいるけど、こんなにも溢れていると、何がなんだかわからなくなってしまう。。
顔も知らない担当者に向けて、初めてみた企業の一次情報をベースに、ラブレターのような履歴書を送るなんて‥やっぱり僕には苦手な行為。
かといって、エージェントとゼロから関係性を構築して、エージェントを信頼するところから仕事探しをするのか‥それも僕には遠すぎる作業だ。。
本当はこのような表現をしたくはないけれど‥
さっそく世の中に溢れているサービスや、そのシステムで生きることの生きづらさを感じてしまっている。
(いや、この『サービス』を利用しないほうが遠回りなことなのかもしれないが)
何かをきっかけに知り合って、何かのタイミングで未来の話を共有して、その話のなかで共に時間を過ごす関わりしろを共有して、そしてタイミングが重なったときに一緒に活動をして‥
冒頭のこれを今後も望み期待するならば‥
とにかく自分自身が動くこと、アンテナを張りながらタイミングが来たときに挙手できる状態にしておくこと、自分から近づいて情報を手に入れること
などは必須だ。
目の前に広がる大海が大海すぎて。
少し絶句していることは事実だけど。
それでも自分の船で海へ出ていく。
半年後、僕はどこで何をやっているだろうか。
自分自身の未来が楽しみだ。
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