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【考察】安部公房『砂の女』でブラック企業を考える

はじめに:日本が誇る天才作家『安部公房』

ご閲覧いただき、誠にありがとうございます。イシカワ サトシです。
このnoteは『小説の価値を上げる』を目的とした一風変わった読書ブログです。

第八弾は『砂の女』

ノーベル文学賞にもっとも近い作家とまで言われた天才作家、安部公房。私も色々な作家が大好きですが、『天才という言葉が最も似合う日本人作家は誰?』と言われたら、おそらく安部公房が一番最初に浮かぶと思います。もちろん、他にもぶっ飛んでる作家はたくさんいますが。

受賞歴もかなり多い。日本では、だいたいの賞を受賞しています。戦後文学賞 (1950年)、芥川龍之介賞 (1951年)、岸田演劇賞 (1958年)、読売文学賞 (1963年・1975年)、谷崎潤一郎賞 (1967年)、フランス最優秀外国文学賞 (1968年)、芸術選奨 (1972年)。これだけみても、ノーベル文学賞にもっとも近い作家と言われた理由がわかるでしょう。

『砂の女』を含めた、失踪三部作である『他人の顔』『燃え尽きた地図』をはじめ、『壁』『箱男』『笑う月』『第四間氷期』など、とにかく前衛的!不条理!超現実的!私もたくさん安部公房の作品には触れてきました。

今回紹介する『砂の女』は1962年に生まれた作品。安部公房が第一作品であり、芥川賞受賞作である『壁』を出版してから11年後、おそらく最も脂が乗っていた頃に執筆された作品でしょう。チェコ語・フィンランド語・デンマーク語・ロシア語等の二十言語で翻訳され、1968年にはフランスで最優秀外国文学賞するなど、国際的に高い評価を受けています。

しかし天才作家である安部公房。小説もやっぱり天才的。難解なものはとことん難解です。大学生の頃に『箱男』や『燃え尽きた地図』など読みましたが、高確率で挫折しました。日本語で書いている小説なのに、やっていることは『謎解き』に近い。大学生の私は、本気で『文章読解』に勤しんできました。笑

なぜ安部公房が難しいのか?について解説すると、文学部の卒業論文が書けてしまうくらいの労力になるので割愛しますが、今回の『砂の女』は、割とシンプルな部類かと思います。なので安部公房の1冊目は、『砂の女』から読んでいただきたい。安部公房のレビューサイトを色々と見てみましたが、だいたい1作品目に『砂の女』を推しています。

だからといって、安部公房に興味がない人が、いきなり『砂の女』を読みたくなるのか、は別問題。なので近年でホットな話題である『ブラック企業』と交えて解説していきます。

導入部:ブラック企業の恐ろしい特徴、第二弾

実はブラック企業に関しては、大江健三郎の『死者の奢り』で一度取り上げています。前回のレビューでお伝えしたのが、人間の思考は職場環境によって歪んでいく、ということ。気になる人は是非読んでみてください。今回もブラック企業を取り上げるので、非常に似た作品なのかと思いますが、『死者の奢り』と『砂の女』は、全く別の視点で書かれた小説

ではどこが『死者の奢り』と『砂の女』で異なるのか。簡単に解説すると、『死者の奢り』では、主人公である〈僕〉が職場環境によって、言動や思考が無意識に変化していく状態を描写していました。
しかし『砂の女』の主人公は違います。主人公がそのヤバい環境から、ちゃんと脱出を図ろうとするお話です。ちゃんとヤバい環境を、ヤバいと自覚し、ちゃんと逃げようと必死です。

しかし。ブラック企業に勤めていた人ならわかると思いますが、ヤバい環境と自覚しながらも、その環境で懸命に頑張っている人って、世の中にはたくさんいますよね。「言動や思考はヤバい環境に染まっていない」と思いながらも、その環境に依存している状態。これもある意味、ヤバい環境ではないでしょうか。『砂の女』ではそんなことを考えるのにピッタリです。

あらすじ:「砂」に閉じ込められた男と女の同居生活

それではあらすじです。今回もWikipediaのあらすじを、さらに編集してみました。また詳細なあらすじはWikipediaをご覧ください。
 またこの先はがっつりネタバレしています!もし結論を知りたくない人は、ここから先は読まない方が良いです。まあ、仮にネタバレしたとしても十分面白く読める作品ですし、圧倒的に読み易くはなるかと思います。

1, 昭和30年8月のある日、男(仁木順平)は、休暇を利用して海岸に新種のハンミョウを採集するためにS駅に降り立ち、バス終点の砂丘の村に行った。そこで漁師らしい老人に、部落の中のある民家に滞在するように勧められた。
2, その家には、寡婦が一人で住んでおり、砂掻きに追われていた。村の家は、一軒一軒砂丘に掘られた蟻地獄の巣にも似た穴の底にあり、縄梯子でのみ地上と出入りできるようになっていた。
3, 一夜明けると縄梯子が村人によって取り外され、男は穴の下に閉じ込められた。そのことを悟った男は動転するが、砂を掻かずに逆らうと水が配給されなくなるため、女との同居生活をせざるを得なくなった。
4, 村の家々は、常に砂を穴の外に運び出さなければ、家が砂に埋もれてしまうため、人手を欲していた。部落の内部では、村長が支配する社会主義に似た制度が採られ、物資は配給制となっていた。男は、女と砂を掻きだす生活をしながら、さまざまな方法で脱出と抵抗を試み、やっと家を出る。
5, しかし、逃走中の砂地で溺れ死にそうになったところを、犬を連れて追ってきた村人らに救出された。男は、再び女のいる家に吊り下ろされた。
6, 男は、あきらめに似た気持で穴の生活に慣れ、女と夫婦のように馴染んでいき、やがて溜水装置の研究が日課になった。
7, 冬が過ぎ、3月になり、女が妊娠した。その2か月後、女は、子宮外妊娠で町の病院へ運ばれて行った。女が連れて行かれた後、縄梯子がそのままになっていた。
8, しかし、男の心には既に部落への連帯感が芽ばえており、溜水装置の開発のことを村の者に話したい衝動が先に立っていた。男は、逃げる手立てはまたその翌日にでも考えればいいと思った。
9, 7年後の昭和37年10月5日、仁木しの(男の妻)の申立てにより、家庭裁判所が民法第30条に従い、行方不明の夫・仁木順平を失踪者として審判を下し、死亡の認定がなされた。

今回、あらすじに手を加えたのは少しだけ。このWikipediaのあらすじは上手です!ちゃんと無駄なく丁寧にまとまっています。やっぱり熱狂的なファンがいる作品は強いです。

解説:なぜ人間は『ヤバい環境』から逃げないのか

それでは解説スタートです。今回紹介した『砂の女』は、あらすじ自体は非常にシンプル。物凄く簡単にまとめるとこんな作品でしょう。

1,砂の家に閉じ込められる。
2,脱出に向けて奮闘する。
3,環境に慣れ始める。
4,貯水装置の開発に尽力する。
5,脱出がどうでもよくなる。

特に大事なのは4,5,あたりの描写。あそこまでヤバい環境にいるのに、、「脱出する術」が目の前にあるのに、、主人公は逃げないのです。

ここで学べるのは、自由には2種類あるということ。ここで、安部公房が『砂の女』を紹介した時の文章を紹介します。

鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。飛砂におそわれ、埋もれていく、ある貧しい海辺の村にとらえられた一人の男が、村の女と、砂掻きの仕事から、いかにして脱出をなしえたか――色も、匂いもない、砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分るまい。

非常に優れた名文だと思います。巷では「自由」について語る時、「もっと広い世界を見てみよう!」「もっと様々なキャリアがあるよ!」など、『鳥のように、飛び立ちたいと願う自由』が世の中に出てきますよね。

しかし自由には、2種類存在する。

『砂の女』の物語に話を戻します。そもそもなんで主人公は昆虫採集に向かったのでしょう?ここでは簡潔にまとめますが、主人公は教師です。日頃のルーティーンワークに退屈し、『鳥のように、飛び立ちたいと願う自由』を求め、砂地に赴きます。

そして主人公は砂の家に閉じ込められ、また『鳥のように、飛び立ちたいと願う自由』を渇望した。しかし貯水装置の研究を行うことにより、『巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由』に変貌する。

ではなぜ、このタイミングで『巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由』に変貌したのでしょう?その理由は明確です。もし家に帰ったら、また教師という、退屈な日頃のルーティーンワークに戻るからです。家に帰ったら『鳥のように、飛び立ちたいと願う自由』が達成できないのです。

そうです。この小説では、主人公が求める「自由の在り方」が揺れ動く様を描いているのです。

すごくないですか!安部公房さん!私は初めてこの小説を読んだときの鳥肌が忘れられません!大学3年の就活前に読んだのですが、非常に困惑したのを覚えています。笑

このパラグラフで何が言いたいのかというと、ヤバい環境と知っていながらもヤバい環境に依存している人は、そのヤバい環境下に『やりがい』を感じ、『巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由』を望んでいるのです。

おわりに:私は『ヤバい環境』にいる自由も尊重したい。

解説は以上です。おわりに私がお伝えしたいのは、『ヤバい環境』にいる人間は、はたして『ヤバい人間』なのか?ということ。結論から言いますと、私にはそうは思えないのです。

具体的を交えてお話ししましょう。私にもこんな経験がありました。

助けてあげたいクライアントさんのために、睡眠時間を削って提案内容を考える。読書や勉強に勤しみ、少しでも貢献できる手段を増やす。そして、クライアントさんのために、また睡眠時間を削って提案内容を考える。

自分を肯定するようで気持ち悪いですが、この行為ははたして『ヤバい人間』が行う行為なのでしょうか。この時の私は、確かに『巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由』を望んでいました。

これらの行動は、世間から見たら確実に「ブラック企業」です。労働基準法から見ても確実にアウトです。実際に給料も薄給でした。しかしこの、クラアントのために努力した経験が悪いようには思えないのです。そこには確実に『やりがい』が存在したのです。

何が言いたいのかというと、、

『巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由』も、決して悪い自由ではない、ということ。一番いけないのは、考える視野が極端に狭くなり、『鳥のように、飛び立ちたいと願う自由』と『巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由』の両面で検討できない状態になっていることである。

私が大切にしている価値観の1つに「寛容性」がありますが、片方の自由に囚われている人間には「寛容性」がありません。よくキャリアコンサルの方で、「早く転職した方がいい!」と頭ごなしに言う人もいますが、それはあくまでも1つの視点でしかない。様々な意見を集約して、どのような人生を歩みたいのか、を自分の意思で決定するのが一番良いと思うのです。それが仮に、周りから否定されるようなキャリアだったとしても。

『砂の女』は、こんなことを考えるのにピッタリです。

小説の価値を感じてくれる人が、一人でも増えてくれたら幸いです。


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