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「毎日ブログ投稿」が無理だった人へ。(文章を書くのが好きなら諦めるのはまだ早い)

先日、イベント(11月の円坐)の案内文を書きあげた。1週間かかった。実際に書きあがると、なんだか自分の人生のステージが少し進んだ感じがする。一歩大きく何かが進んだような感覚。嬉しかった。

文章を書きあげることは、一つの作品作りのようで、人に読んでもらえる喜びがあるし、これからも書いていきたいと思う。

でも僕の場合すごく時間がかかる。書いては修正して、また指が止まり、考えて考えて、書いて、また修正して、考え込んで、大きくやり直して、、、

そんな風にしか書けない僕が、「毎日ブログを書く!」なんて到底実現できるものではなかった。

↓noteを始めたときの僕。

↓結果これ。

始めた当時は意気込んで頑張っていたけど、僕の場合、そもそもそんなに毎日書けるような力が無かった。文章を書き進める力と言ったらいいか。とにかく時間がかかるから。

なので、あるところで僕は「自分は文章は苦手なんだ」というラベルを自分に貼ってしまった。それと同時にブログを書く習慣をやめてしまったけど、でもそれはちょっと安易な認識だったと最近思い直している。

僕が苦手なのは「文章を書くこと」自体ではなく「毎日書き上げて投稿する」ことなんじゃないか。いや苦手というか、自分の能力とかライフスタイル的に、単純に「無理な目標」なだけ。

今回の円坐の案内文を書いて思った。時間をかければ書ける。今回は本当に地道に毎日コツコツ書いた。さらさらと話すようには書けなかった。自分の場合はちょっとずつ書くしかない。

なのに、周りでよく見かける「毎日ブログ投稿!」という言葉や、実際に毎日投稿している人たちを目にして「文章は1日で書けるもの」と思い込んでしまった。そして、「1日で書けない自分は文章が苦手」という極端なレッテルを自分に貼ってしまった。

とにかくちょっとずつ書く

僕にとっての文章書きはそれが標準で、それを基準に自分のペースを見つけるのがきっといいんだろう。

さらにもう一歩進んで、そもそもの解釈も考えなおしてみる。

「毎日をブログを書く」=「投稿する」って思ってたけど、毎日投稿しなくてもいい。毎日書くけど、出来上がるまでは下書きに保存しておいて、完成したら投稿。これも「毎日ブログを書く」になる。

もしくは、やっぱり誰かに見て欲しいのであれば、下書きの文章のまま投稿してしまう。「下書き」とちゃんと断って。ノート(note)なんだから。それをちょっとずつ修正していくという方法も面白いかもしれない。

文章が出来上がっていくその過程も含めて見てもらう。
自分にはそんなやり方が合っているかもしれない。




【イベントのご案内】
目的もテーマもなく、集まった方と円くなって時を過ごす。話したいことがあれば話し、なければ静かに黙っている。一期一会の場です。


【最近の音声配信】
音声配信アプリ「stand.fm」にて、心のこと、傾聴や対話のこと、人間関係のことなどについてお話しています。よかったら聞いてみてください。

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