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小説「モモコ」【32話】第7章:5日目〜午前11時〜

 控えめに言って、カグヤさんは美しかった。

「ごめん、お待たせしちゃったわね」

 天神北の喫茶店で待っていると、カグヤさんが現れた。まだ目の前の憧れの女性とまともに口も聞いたことのないレンは「ぜ、ぜんぜんです!」と思わず早口になってしまう。

「もう注文した?」

「いえ、先にコーヒーだけ」とレンが答え終わる前にカグヤさんは目の前の席についた。

 カグヤさんは黒い長髪をかき上げながら「そっか」と言った。「だいぶ早めのランチになっちゃうけど、私はパスタのAセットでいいかな。君は?」

「あ、はい、僕もそれで」

「この店、パスタはいろいろあるけど、ツナの和風ソースが絶品なのよ。ソースは決めた?」

「あ、じゃ、和風ソースで。僕も、一緒の」憧れの先輩を前にしたからか、レンはしどろもどろな話し方になってしまう。

「え、何? 緊張してる?」とカグヤさんが笑う。「じゃあ、同じものを頼むわね」

 初めて碧玉会のセミナーに来たときのことを思い出す。たいして仲がいいわけでもない大学のルームメイトに強引に誘われるかたちで参加したレンは、500人を超える人々が集まった会場の雰囲気に飲まれ、圧倒されていた。ルームメイトともはぐれ、アウェイ感にいたたまれなくなったレンが帰ろうとしたとき「みなさん、こんにちは!」とよく通る女性の声が会場中に響いた。

 声の聞こえたほうに目をやると、司会役として会場に語りかけるカグヤさんの姿があった。一目見ただけでカグヤさんに釘付けになったレンは、気づけばそのままセミナーに参加していた。カグヤさんの存在がなければ、導師様のお話を聞くチャンスをみすみす見逃すところだったと言える。自分にとってカグヤさんは恩人のような存在だと、レンは改めて思った。

 あれから2年。バイトで稼いだお金を全て費やし、ようやく今年から碧玉会のセミナーの運営を任されるプレミアム会員となった。運営側の新人は、チームを取り仕切るのはカグヤさんと話す機会も多い。今日はランチミーティングとして、カグヤさんと二人で会うことになっていた。

 注文を終えると、カグヤさんはバッグから手帳を取り出し、今日のセミナーの打ち合わせを始めた。カグヤさんは、今日の参加者にどんな人たちがいるのか、会場の手配や備品配置など、ひとつひとつレンに尋ねていった。ここで答えに詰まっては失望されてしまうと緊張したが、一通り答え切ることができた。

「さすが。ちゃんと準備できてるじゃない。最年少でプレミアム会員になっただけあるわ」

「いえ、そんな」と謙遜したが、レンは心躍るような心地だった。憧れの人に認められたのだ。

「正直言うとね、少し心配してたの。布目君、まだ学生じゃない? だから本当に任せていいのかなって」

 ちょうどそのタイミングで店員がパスタを持ってきた。ふたりは机上の資料をバッグに片付けていく。

「でも、杞憂だったわね」

 カグヤさんと直接話すのは初めてだったが、噂に聞く限りは、なかなか人を褒めない厳しい性格の人だということだった。そのつもりで心構えをしてきたというのに、厳しいはずのカグヤさんは、屈託ない笑顔で自分を褒めてくれる。そんな現状に、レンは喜びと戸惑いを感じていた。他の人への対応と違うのだとしたら、もしかしたらカグヤさんは僕に、特別な感情を抱いているんじゃないか...。

「特別なのよ」カグヤさんがぽつりと呟いた。

「え?何がですか?」心の声を読まれたのかと焦ったが、レンは平静を装った。

「今日のセミナーのことよ。ねえ、布目君、ひとつ、重大な仕事を任せていいかしら」

「え」急な話に状況が飲み込めず一瞬間を空けてしまったが、レンはすぐに返事を続けた。「はい!でもどんな内容ですか?」

「実はね、今日のセミナーの冒頭に、導師様からある動画を流すように依頼されているの」

「導師様からですか!」と思わず声を上げてしまった。直接話したことなんて質疑応答の時間の数分程度しかない導師様から、直接の依頼をもらえるなんて。カグヤさんが碧玉会においてどれだけ重要なポジションにいるのか、改めてレンは実感し、唾を飲んだ。

「動画、というのは何の動画なのか、聞いてもいいですか?」

「さあ、私もそれはわからないわ。ただ、冒頭に動画を流すから、その紹介を司会の原稿に入れるように言われているだけ。あとは、動画をスクリーンに流す人を探しているってわけ。もちろん限られた関係者しか知らない話よ。人としても、仕事面でも信頼のおけるパートナーがいいわ」

 パートナーという響きに、頭がくらくらする思いがした。カグヤさんとパートナーを組んで、導師様から依頼された極秘の仕事をこなす。こんなチャンスを断る理由があるはずがなかった。「その動画を流す役、ぜひ僕に任せてもらえませんか?」

「そう言ってくれると思った」とカグヤさんは笑った。

「詳細はまたあとで伝えるから。頼んだわよ」

〜つづく〜

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