見出し画像

信者5万のカルト教祖をディスる少女#episode2

2日目.

「はあ……」ルンバは大きくため息をついた。

 まさかモモコがここまで本気にしているとは思わなかった。

「なかなか大きな建物ね。私、ここに来るのは初めてだわ」

 天神駅からすぐ近くにある大きなホールのロビー。土曜日だというのに、ビジネススーツ姿の男女ばかりが行き交っている。エレベーター近くには立て看板が二つ並べられており、セミナーや学会の会場について無言で知らせていた。

 午後1時半にエントランスで待ち合わせると言い出した本人がまだ来ない。

 モモコはその建物そのものに興奮しているようで、ロビーを歩き回っていた。アクセスのよい立地に、会議室やホールなどを多く抱える大きなビルだ。ルンバは今朝近場のユニクロで買ったばかりのジーンズに黒いシャツを着ていた。昨日の肉離れが治っておらず、右足に重心を乗せた立ち方をせざるを得ない。

「おい、あんまり遠くに行かないでくれよ」

「わかってるわ。子ども扱いしないで」

 モモコは振り返って言った。

 まだまだ子どもだろうに、という言葉をルンバは飲み込んだ。彼女は、もう自分は大人だと思っているのだろう。誘拐犯に追われても落ち着いて対処できる度胸や、並外れた頭脳だけを見れば、たしかに彼女はすでに大人以上かもしれない。

 でも、と思った。

 大人びている彼女の言葉を聞くたびに、言いようのない不安を感じるのだ。ピンと張り詰めた弦がいつ切れてしまってもおかしくないような、そんな不安を、ルンバはモモコに抱いていた。

 あたりをキョロキョロしながら楽しそうに歩き回るモモコを見た。いったい彼女は、どこで生まれ、誰に、どのようにして育てられたのだろうか。

「すいません、お待たせしました」

 エレベーターのある方向から、細身の青年が小走りに近づいてきた。

「会場設営の手伝いをしてまして。あれ、モモコちゃんは?」

 ルンバはその青年の顔を見ると、再びため息をついた。 今回わざわざこんな場所に来る羽目になったそもそもの発端は、まさに今、目の前にいる男にあるのだ。

「モモコ! レンくんが来たぞ」

 声をあげると、モモコがこちら振り返って駆け寄ってきた。

「お待たせしてごめんね、モモコちゃん」

「そうね、8分遅刻だけど、特別に招待をもらった側だし、今回は気にしないことにするわ」

「モモコちゃんは手厳しいね」

 レンは苦笑しながら返した。

「でも、今日は本当に来てくれてありがとう。昨日お二人のことを導師様にも話したのだけど、とても興味を持ってくれていたよ」

「それは嬉しいわ。わたしもその導師様に興味があるもの。それにしてもレンさん、昨日と格好が全然違うわね!」

 レンとモモコが談笑しながらエレベーターの方に歩き出したので、ルンバはそれを追いかけながら、レンの後ろ姿を眺めた。昨日ゲストハウスで会ったときとは打って変わって、グレーのカジュアルスーツを着こなし、長い髪は頭の後ろできれいに束ねられている。縦ストライプの入ったスーツのせいか、線の細さも際立っていた。

 布目レン。昨日出会ったばかりにも関わらず、ルンバの記憶喪失をチャンスだのと好き勝手にまくし立て、挙句にはセミナーに参加してみないかと執拗に誘ってきた細身の青年。

 何もかもに胡散臭さしか感じないため辟易していたが、なぜかモモコが食いついてしまったため、ルンバも付いて来らざるを得なくなったのだ。

 頭も要領もいいモモコだが、世間知らずなところはまだ子どもなのだと実感する。とはいえ記憶がない自分が頼りにできるのは彼女だけであることもあって、モモコが一人でセミナーに参加するのを見過ごすわけにはいかなかった。

 頭は切れるが世間知らずの10歳の少女と、少しばかり足腰が頑丈なだけの一文無しの男。一方は誘拐犯につけ狙われ、もう一方は記憶喪失で何も覚えてないという具合だ。そんな奇妙な二人がお互いに頼りあっているこの状況。

 笑うしかない。ふふっ、とルンバは自嘲気味に笑った。

 その笑みを見つけたレンが勘違いを加速させ、ますます得意気に語り始めた。

 ため息を出し尽くしてしまいそうだ。

2日目.

「碧玉会」と書いて「サファイアの会」と呼ぶらしい。

 名前を聞いただけで胡散臭さに鼻をつまんだのだが、これでもかなり大規模な組織らしく、全国各地に5万人以上の会員がいると、レンから説明を受けた。

 会場には想像以上にたくさんの人間が入っていた。レンに訊ねたところ、今日は全国から400人近くが参加しているらしい。もう開始時間が迫っているようで、ほとんどの人間が広いホールに均等に並べられたパイプ椅子に腰掛けていた。

 レンの案内に従って椅子に座る。しばらくするとぽっちゃり体型の小柄な男が壇上に現れた。全身を白いスーツに身を包んでいる。映画に出てくる中東の石油王を連想させるような、太っていて脂ぎった顔をしていた。

「わたしは、コスモ・コミュニケーターです」

 そんな耳を疑うような自己紹介から始まった、導師と呼ばれる男の講演は、第一部だけで40分間も続いた。

 レンが誰を真似ているのかすぐにわかるくらい、レンと話し方もそっくりだった。自己肯定、真実の自分、それを見つけるための宇宙との交流、導師がどうしてそのパワーを手に入れたのか、サファイアの目覚め……。

 少しずつ気分が悪くなってきたルンバがふと周りを眺めると、さらにゾッとする光景が広がっていた。400人近く集まっている参加者の人々が一人残らず、ウンウンと大きく頷きながら目を見開いて聞き入っているのだ。メモ帳を開いて導師の言葉を記し続けている人も少なくなかった。

「ねえ、ルンバ」

 隣に座って黙って講演を聞いていたモモコが小さく囁いた。頭を下げて耳元をモモコに近づける。

「あの導師って人、イタくないかしら?」

 思わず吹き出しそうになった。モモコが不思議そうな顔でこちらを見ている。どこか安堵した気持ちになったルンバは、モモコに耳打ちした。

「ああ、モモコの感覚が正常だよ。どこかおかしい。あの導師って人も、ここにいる人たちも」

「ここにいる人たちっていうのは、わたしたちも?」

「そうだね、ある意味ではね」

「ふーん」

 納得したのかしないのか、モモコは無表情のまま前に向き直った。

 1時間近くの長い第二部まで講義が終わると、質疑応答タイムに移った。このあと10分間の休憩がある。その間にこっそりと抜け出してしまうのが賢明だろう。

「質問は何かありますか?」

 進行役らしき女が言った。400人近くがあれだけ目を輝かせて話を聞いていながら、質疑応答に手を挙げたのは会場から10人ほどだけだった。

 正直、もっと大勢が手を挙げるのかと思っていたので、どこか興ざめした気分だった。この奇天烈な講演をこれだけ真剣に聞いておいて、それでいて何の疑問も浮かばないのか。この400人はいったいどんな心の闇を抱えているというのだろうか。

 3人だったか、4人だったか。小学生の絵日記のような中身のない感想ばかりが続いた。「とても感動しました、導師様のようになるにはどうしたらいいですか?」「サファイアの目覚めに至るためにはどうしたらいいのでしょうか?」

 質問のテンプレートを前もって共有していたのではないかと思うほど、示し合わせたように同じような中身で、それがルンバの気分をさらに落ち込ませた。

「では、皆さん全員のお話を聞きたいところですが、そろそろ時間も迫っていますので、次を最後の質問をしたいと思います。どなたかいらっしゃいますか?」

「はいっ!」

 進行役の女性が言い終わるかどうかのところで、甲高い声が会場に響いた。

 手を挙げたのは、モモコだった。

 他にも手を挙げた参加者がチラホラ見かけられたが、誰もがモモコを目に止めると、譲るようにして手を下げていった。

「さあ、最後に質問にふさわしい、可愛らしい質問者が手を挙げてくれました。最初にお名前を教えてもらえますか?」 

 モモコは走り寄ってきたスタッフからマイクを受け取った。

「私はモモコです」

「モモコちゃん、勇気を出して手を挙げてくれてありがとう。こんなに大勢の前で手を挙げるのはさぞ勇気が必要だったことでしょう。皆さん、まずは勇気あるモモコちゃんに拍手を送りましょう」

 会場がどっと湧いて、400人の人間が拍手を始めた。会場が各々の右手と左手がぶつかり合う衝撃音に包まれる。

 大喝采を浴びているモモコは不機嫌そうに眉間にシワを寄せていた。

「それでは、モモコちゃん、質問をお願いします」

 進行役は場をなだめるようにゆっくりと言った。

「まず私の質問をする前に、導師の呼ばれているその方のお名前を聞きたいの。お名前は何といったかしら?」

 モモコは進行役に向かって訊ねた。

「あら、モモコちゃんは今日初めての参加なんですね。導師様、お願いします」

「モモコちゃん、質問をありがとう」

 導師はにこやかに話し出した。壇上でマイクを右手に持ち、何か声を発するたびに左手を大げさに動かしていた。

「わたしは、サファイアの会の創立者であり、皆さんを導く導師でもありますが、皆さんと同じ、一人の人間でもあります。わたしは神でもなければ、完璧な人間でもありません」

 導師は左手で弧を描くように振り回したり、空をつかむように握りしめたりしながら、ゆっくりともったいぶった話し方をしていた。

「一人の人間として、わたしにも名前があります。わたしがこの世に生を受けたときに、たった一人の大切な親からもらった大切な名前です。そう、わたしの親は母親一人。その名前には……」

「すいません、結論から話してもらえるかしら。わたしが聞いているのはあなたの名前です」

 モモコが導師の話を遮った。ルンバは心の中で「よくぞ言った」と賛辞する一方で、凍りついたような会場の雰囲気に身の危険を感じてもいた。

「もういいです。本当の聞きたいのはあなたの名前じゃないもの」

 400人の参加者が睨みつけるようにモモコを凝視しているにもかかわらず、当の本人はそんなことを意にも介していないようだ。

「先ほどの導師様の話に、疑問点がたくさんありました。まず、コスモ・コミュニケーターという名前の由来ですが、宇宙からの声を聞く、という表現があったり、人々のコミュニケーションを円滑にする、という表現があったりと、まったく統一されていません。定義を教えてくださるかしら?」

「そして2点目は、宇宙からの声を聞く、という発言の意図です。宇宙とは物理学的に地球外の空間を指す場合もあれば、なんらかの秩序をもって存在する世界体系を指す場合、あるいは詩的に、森羅万象を総称して使う場合が考えられます」

「宇宙からの声を聞くというのは比喩的な言い回しかと思いますが、いったいどのような意味でしょうか。そして3点目ですが……」

 モモコは、まるで原稿を読み上げるかのように、滑らかに淡々と、導師の話した内容の矛盾点を突きつけていった。

2日目.

 モモコの質問が始まると、導師は文字通りに狐につままれたような顔をしていた。次第に表情を曇らせると、一瞬だけ、まるで汚い虫を見るような、暗い軽蔑の眼差しをモモコに向けたように見えたが、それは本当に一瞬だった。すぐににこやかな笑顔を繕うと、ウンウンと頷きながらモモコの話に耳を傾けてみせた。

「……といった点において、話の前後で矛盾が生じているわけです。またもっと言及するならば、サファイアの目覚め、という言葉に関して……」

「ちょっとあなた、導師様に失礼すぎます!」

 会場の中央から怒号が上がった。振り返ると、遠目に一人の女が立ち上がっているのが確認できた。

「その通りだ。子どもがちょっと知識を入れたくらいで知ったような口を利くものじゃない!」

 その隣に座っていた男も声をあげた。男に続くように、会場がざわめき出す。

 これは大変なことになったとモモコに目をやると、質問前と同じように眉間にシワを寄せていた。彼らがなぜこんなに目くじらを立てるのか、理解しかねるといった様相だ。

「みなさん、お静かに、お静かに」

 にこやかに頷きながら話を聞いていた導師が大きな声を上げた。マイクを使って大声を上げたものだから、声が割れてキーンという音が会場に響いた。

「モモコちゃんは純粋なのです。純粋だからこそ、わたしの話を鵜呑みにせず、思ったことをすぐに口にできるのです。これは素晴らしいことだと思いませんか?」

 最初に怒号を上げた女がまだ何か言おうとしていたが、その前に導師が直接語りかけた。

「わたしのために声をあげてくれたんですね。その優しさがわたしはうれしい。どうもありがとう」

 女性は先ほどまでの怒りの表情から打って変わって、もじもじと何度も頭を下げながら席についた。

 静まった会場に向かって、導師が語り出した。

「モモコちゃんはまだ理解できていないだけなのです。じっくりと語り合い、感じてもらえればきっと、サファイアの目覚めに至ることができるでしょう。皆さん、モモコちゃんの純粋な心に、拍手を!」

 会場がどっと湧いて、400人の人間が拍手を始めた。先ほどまでモモコを散々非難していた人でさえ、今や感動したような表情で拍手を送っている。

 ゾッと寒気を覚えた。人間というのは、こんなにも感情をころころ変えられるものだろうか。

 だが、当のモモコは、その大喝采で何かを悟ったようだった。納得した表情で笑顔を振りまいた。

「この人たち、自分がないのね」

 拍手が鳴り止んだところで、モモコは座っているルンバの耳元でそっと囁いた。驚いて何も返せなかったが、モモコは十分に腹落ちしているようだった。

「ねえ、次の休憩で帰りたいわ。ルンバもそう考えていたんでしょ?」

「ああ、そうだね。そうしよう」

 モモコがすごいのはこういうところだとルンバは思った。こういった宗教にどっぷりはまってしまう人間が存在することを、数刻前までモモコはまったく知らなかった。だからレンの話に興味を持っていたし、導師の話した荒唐無稽な内容にも真摯に自分の疑問をぶつけたのだ。

 けれども、結果としてモモコが目にしたのは、自分という自分を持たず、導師の言うことであれば何であっても呑み込んで、自分の感情にさえ嘘をついてしまう人間の姿だった。

 おそらくモモコが出した結論はこうだろう。

『世界にはこういった人間が存在し、そして、わたしには一切共感できない』

 モモコは、自分の頭脳がずば抜けて他人より優れていることを理解している。その自分でも理解できないことがあるとすれば、それは必ず論理的に立証できない不条理な事象だと考えているのだろう。だから、そういった理解できない事象対しては「理解不能」のラベルを即座に貼りつけることができるのだ。

「ねえ、ルンバ。わたし、いいアイデアを思いついたの」

 休憩時間になり、会場から外に出てエレベーターに乗ったところで、モモコが話を始めた。

「SNSよ。例えばフェイスブック。それであなたの情報がもっとわかると思うの。記憶を取り戻す手がかりになると思うわ」

「えっ」

 てっきりまだ碧玉会の話題かと思っていたので、ルンバはすぐにその意味を飲み込めなかった。

「ああ、僕の記憶の話ね」ここに来るまではあんなにはしゃいでいたのに、もうすっかり興味をなくしてしまったようだ。

「2016年現在で、国内の20代のフェイスブック利用率はおよそ60パーセントらしいわ。あなたの世代だったら、きっと記憶をなくす前に、フェイスブックのアカウントくらい作っているんじゃないかと思うの」

 モモコは、記憶を思い出すように目線を左上に向けながら言った。

「もしルンバのアカウントページを見ることができれば、どんな友達を交流があるのか、どんな場所に行ったことがあるのか、色々わかってくるわ。個人情報も登録していれば、誕生日や家族の情報もわかるはずよ。実名登録のフェイスブックならアカウントを探すのも無理じゃないと思うの」

「なるほどね。友達をフェイスブックで検索するのと同じように、自分自身をフェイスブックで検索するわけか」

「もちろん、ルンバのアカウントのログイン情報が手に入るのが一番よ。でも、まずは名前。名前さえわかればわたしでも検索できるわ」

 そう言ってモモコは、自分のスマホからフェイスブックを開いた。慣れた手つきで人差し指を滑らせる。まだ手が小さいので、両手で操作した方が使いやすいようだ。

 しばらくすると、スクロールする指を止めて、ふふふとモモコは笑った。

「やっぱり『ルンバ』で検索してもあなたは見つからないわね」

「そりゃあそうだよ。君が勝手につけた名前だからね」と返し、ふたりで笑う。ルンバと呼ばれるのにも、すっかり慣れてしまっている。

 エレベーターを出ると、正面の壁に貼られている一枚のポスターに気がついた。碧玉会のポスターである。大きな題目が書かれ、その下に写真が添えられている。若い女性と初老の男が椅子に座って向かい合い、笑みを浮かべて語り合うといった具合だ。

《あなたはまだ本当のあなたを知らない。自分自身と向き合う傾聴セミナー》

 コスモやサファイアといった言葉が一切使われていないセミナーの題目に、ルンバはもはや感心すら覚えた。

 何も知らない人は、このポスターをカウンセリング系のセミナーと勘違いするだろう。そして、この題目を見て興味を示す人々は、彼らの信者となる可能性の高い、心に苦しみや悩みを抱えた人々なのだろう。何かに苦しむ人々をカウンセリングと称して集めてくるために、このポスター以外にもいろいろな手立てが用意されているのかもしれない。

 モモコはこれをどう思うだろうか。ルンバと同じように感心しながらも虫酸が走るような、そんな複雑な感情を抱くのだろうか。それともまた「理解不能」のラベルを貼って、関心の外に放り投げるのだろうか。

「なあ、モモコ。このポスターをどう思う?」

 背後からついてきているはずのモモコに訊ねたが、返事がなかった。

「なあ、モモコ、聞いているのか?」

 振り返ってあたりを見回しても、モモコの姿はどこにも見当たらなかった。

 そうしてモモコは、忽然と姿を消した。

ここまで読んでいただきありがとうございました!
episode3につづきます!


ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひスキをお願いします!