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人類が農耕民をやめて狩猟採集民に戻ろうとしなかった4つの理由/「サピエンス全史」思索日記Vol.5

サピエンス全史」を読んで噛み砕いて美味しく戴くシリーズ。
今回は前回Vol.3の続きです。


Vol.4では鳥取×福岡×宮崎でリモートな輪読会をやってみた件について書いてます

サピエンスが農業をやめて狩猟採集に戻らなかった本当の理由

ではまず、ここで第5章前半の復習を。

第5章前半で語られていたのは、ザックリ要約すると以下のような内容でした。

農業革命によって、サピエンスは小麦を育てることに没頭し始めた。
小麦の大繁殖に手を貸したという意味では、小麦にいいように操られてしまったとも言えるのでは。。。?

<ホモ・サピエンスという種>
農業によって食料自体は増えたので、指数関数的に個体数を増やすことができた
<それぞれの人々>
腰痛を覚えたり、餓死リスクが高まったり、争いが増えたりと、狩猟採集時代に比べて大変な想いをしていた

→でも、個々の人間が、自分の生活の質を落としてまで個体数を増やそうと思うでしょうか?

実際に、子供が増えるにつれて、食料がさらに必要になり、旱魃のリスクが高まり、盗賊から穀倉を守るために城壁や見張りが必要になったりと、
人々の生活は苦しくなっていったと著者は述べています。
(このあたりが著者の推測なのか、何か論証があるのかは不明です)

「そんなに大変なのに、なぜ農業をやめて狩猟採集に戻らなかったの?」と読みながら誰もが疑問を覚えると思いますが、
その回答はすぐ次の行で述べられていました。

それでは、もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか? 一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。(第5章 P116, L11)

そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。農耕の導入で村落の人口が100人から110人へと増えたのなら、他の人々が古き良き時代に戻れるようにと、進んで飢え死にする人が10人も出るはずがなかった。後戻りは不可能で、罠の入口は、バタンと閉じてしまったのだ。(第5章 P116, L11)

つまり、なだらかな変化だったために以前の生活を知っている者がいなくなり、また増えた人口を減らすことはできなかったから、もう後戻りのしようがなかった、ということです。
この「後戻りできない」状況を、著者は「贅沢の罠」と呼んでいるのです。


後戻りできない贅沢の罠。サピエンスは贅沢品の発明によって本当に幸せになっているのだろうか?

この「贅沢の罠」という性質は、農業革命以外にも、人類の歴史のあらゆるところで見つけることができると著者は言っています。

歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。(第5章 P117,L5)

例えとして、時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずの発明だった電子メールを挙げています。

以前は、手紙を書いて、封筒に宛先を書いて切手を貼って、ポストまで投函しなければならず、返事がくるまでには何日・何週間とかかっていました。

ですが電子メールの発明によって今では、地球の裏側まで一瞬でメッセージを送り、同じく一瞬で返事を受け取ることができています。

こうして、手紙から電子メールにツールを切り替えることによって、手間や無駄を省くことができたわけですが、その結果「時間を節約して生活にゆとりをもたらす」という目的を果たして達成できているでしょうか?

残念ながら、その目的は達成できていないというのが著者の見解であり、私たちはみな迅速な返事を期待されてイライラしていると述べています。

私たちは時間が節約できると思っていたのに、逆に人生の踏み車(トレッドミル)を以前の10倍の速さで踏み続ける羽目になり、日々を前より落ち着かず、いらいらした思いで過ごしている。(第5章 P117, L19)

ここで重要なのは「みんなをもっと日々いらいらさせてやろう」と誰かが思っていたわけではないということです。よりよい生活を目指して探求していった結果、私たちは望んでいた以上の(ときには以下の)テクノロジー、つまり「贅沢」を発明し、新しい生活を手に入れているのです。そして、その「贅沢」はもう後戻りはできないと著者は述べています。

贅沢の罠の物語には、重要な教訓がある。より楽な生活を求める人類の探求は、途方もない変化の力を解き放ち、その力が、誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた。農業革命を企てた人もいなければ、穀類の栽培に人類が依存することを求めた人もいなかった。(第5章 P118,L10)

「テクノロジーの発展は本当に私たちを幸せにするのか?」という問いとして、この話はまた別の議論を呼び起こしそうですね。
終わらない議論だと思いますが、現代に生きる私たちがまさに今直面している課題でもあります。

ただ一つだけ確かなことは、サピエンス本来の性質として、よりよい生活を求めて日々新しいテクノロジーを探求していく性分があるということ。
テクノロジーの発展は止められないことを前提に考えていくほうが人類史的にも自然な流れだということが言えるように思います。


人類が農業をやめて狩猟採集に戻らなかった4つの理由

ここまで「そんなに大変なのに、なぜ農業をやめて狩猟採集に戻らなかったの?」という疑問に対して、

①なだらかな変化だったために以前の狩猟採集の生活を知っている者がいなくなったから

②農耕によって爆発的に増えた人口を、あとから減らすということはできなかったから

③一度手に入れてしまった農業による贅沢をやめて前の生活に戻ることはできなかったから

といった、3つの後戻りできない理由を説明してきました。

ですが、実はそれ以外にも、もっと文化的な可能性もあるそうなのです。

その最も有名な例がイギリスのストーンヘンジ。
この遺跡では、農耕社会以前の狩猟採集民の時代に建設された構造物が発見されています。

この記念碑的建造物群を建設し、使用した人々を養うためには、厖大な量の食べ物が必要だった。野生の小麦の採集から集約的な小麦栽培へと狩猟採集民が切り替えたのは、通常の食糧供給を増やすためにではなく、むしろ、神殿の建設と運営を支えるためだったことは、十分考えられる。(第5章 P121,L5)

④大きな構造物を建設して運営していくために、農業による大量の食糧供給が必要だったから。

という説も一つ加えてよさそうですね。


第5章はもう少しあるのですが、長くなったので今回はここまでにしましょう。

今回は「そんなに大変なのに、なぜ農業をやめて狩猟採集に戻らなかったの?」という疑問に対する回答として、4つの理由を整理することができました。もちろんこれ以外にも諸説あるものと思われますが、本著で言及される主な説はこの4つでした。

①なだらかな変化だったために以前の狩猟採集の生活を知っている者がいなくなったから
②農耕によって爆発的に増えた人口を、あとから減らすということはできなかったから
③一度手に入れてしまった農業による贅沢をやめて前の生活に戻ることはできなかったから
④大きな構造物を建設して運営していくために、農業による大量の食糧供給が必要だったから。


サピエンスは、農耕民族になることで生物種としては成功していますが、個々の人々にスポットライトを当てると、むしろ苦しみが増えてしまっているようにも思えます。

生物種としての進化上の成功と、個々の人々の幸せや苦しみには、いったいどんな関係があるのでしょうか?

次回Vol.6では「進化上の成功」と「個々の苦しみ」の関係について。
小麦に家畜化されたサピエンスに家畜化された動物たちをテーマに展開していきます。

つづくのです!

※サムネイル画像 フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com),photo すしぱく


ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひスキをお願いします!