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【コンサル退職&入社エントリ】 幼い頃に憧れた一人の商売人

〈前置きー 戦略コンサルの役員はなぜパナソニックに行くのか?〉

BIG4の中で唯一日本人である等松(トーマツ)の名前を冠する、世界的なプロフェッショナルファームであるデロイトトウシュトーマツ(売上5兆円以上、従業員34万人以上)。
未経験中途入社から10年余り、2022年3月末までデロイト トーマツ コンサルティング社の戦略コンサルティング部門の執行役員(Innovation & Ventures責任者)を務めてきた私、棚橋は同4月にパナソニックホールディングスに転じました。

転職に際して、デロイトの役員及び社員の皆さんを中心に、100名を超える方と直接対話し、ご質問を頂き、お答えしてきました。

私自身が退職&入社エントリなど絶対に書くことはないと思っていましたが、パナソニック入社後も引き続き同様のご質問を頂いており、20年間のストーリーゆえに割愛したり纏めてお伝えすることがとても難しく、、、😣
自分の整理用にも一通り纏めておこうと、筆を執ることにしました。

一人のおっさんの転職話にご関心がある方は多くないと思いますが、
私と同じく人生の折り返し地点を迎えつつあるアラフォーの方を中心に、何か感じて頂けるものがあれば幸いです。
時間と想いはじっくり込めました☺️

※注意:本編読了に5〜10分程かかるはずです。
最後まで読んで頂ければとっても嬉しい😊ですが、皆さんの貴重なお時間を浪費させてしまってはいけませんから、良く質問をいただいた3点の問いに対して、1番下に結論を書きました。
あまり興味ない、時間がない方はまずは下までスクロールして見てくださいませ😅

〈問いリスト〉

  1. 10年勤めて経営戦略コンサル会社の役員を辞めるのは何かあったのか?

  2. ヘッドハンティングなど、凄い待遇で迎えられたのか?(デロイトを見捨てたのか?)

  3. これからデロイトとの関係はどうなるのか?

〈本編ー 幼い頃に憧れた一人の商売人〉

2000年、当時、茨城県3番目くらいの進学校に通っていた。高校デビュー後すぐに私は不登校がちになった。

出身地のつくば研究学園都市は、理系学問の聖地で、筑波大学に行き、理系の公務員や研究職になることが正規ルート 笑 であり、
実際にそうなった人が少なくない。

そんな勤勉であることが当たり前な環境下で学業からドロップアウトすることは、皆がワイワイと乗っているバスに乗らないでひたすら彷徨い歩くようなものだった😶

しかし、分かりやすい未来が消えたことは悪いことだけではなかった。
勉強も部活もやらなかったわたしは高校生にして相当に時間を持て余していた🌴

暇だったので平日の昼間からたまに図書館に行き、新聞や書籍を漁る中で、
松下幸之助という商売人を知った。
(それまで商売人=ドラクエのトルネコみたいなイメージだった)

この人である

・小学校中退なのに世界的な企業を作り上げた
・水道哲学の実践で日本の家庭を豊かにした
・企業は社会の公器としての役割があると説いた
・適正な利益を頂く必要があることも説いた

そして何より、

・学がないことは、人を活かす経営の上でむしろ強みである

とまで言っていることを😅

当時もPureだった私は「嫌いな勉強しても意味ないな、やーめた」の一択であった。

その後、学校の先生からは邪魔者扱いされ、友達も多くなかった私にとって、
松下幸之助や同じく学業ドロップアウト組?の本田宗一郎は大スターだった😁

学習参考書以上に日経ビジネスなどを読むようになった。

高校の卒業文集では、多くがクラスメイトへの感謝の言葉や、思い出、コナンのイラストみたいな愛らしいものを披露する中、こんなことを書いてしまった。完全に中二病であろう。

当時、誰からもネタにされなかった

起業は一人では出来そうにない、
SNSもなかった当時、つくばでは仲間は見つけられなかった。

その時に頼ったのが新聞を中心とするメディアだ。

2002年5月14日の新聞記事。大切に取ってある

これらの記事を高校生の頃に読んでいなかったら私は大学に行こうと思わなかったかもしれない。

・大学発ベンチャーに後押しがある
・若者が集まる東京が仲間集めには有望そう
・私立文系は自由度が高く起業しやすそう
・顧客開拓にはオフィスが多い都心がベスト

大学に行くことに先生は大賛成した。
「ついにお前も大学に行く気になったか!」と先生に言われ、「いやいや、それはあくまで手段の話だ」と心で突っ込みを入れた。

先生たちには「都心の私立大学を志望するのは感心しない。誘惑が多いから遊んで後で後悔する生徒が多いから辞めた方が良い」と諭された。

今考えると眉唾なロジックであるが、学力が足りずに国公立には落ちたので迷うことはなかった。

そしてめでたく、立地は日本一な?都心の私立大学に文転までして入学した。

会社経営に向けた勉強を本格的に始めた。
受験勉強は疎かにしていたが、こちらは大真面目に、自発的にやっていた。
(19歳で中小企業診断士の1次試験に合格した)

私の長年の相棒となる 松下電器のLet's note W2を両親にねだって買ってもらったのも高校3年。
約20年前、25万円くらいして一番高かった。
当時はまだフロッピーディスクの時代で、そんなハイスペックのPCを使っている大学生はレアだった。

20年経った今でも立派に起動する相棒。泣ける

タフで軽量で大容量バッテリーな相棒に助けられ、Air Edgeを刺すだけでどこでも仕事が出来た。大学にスーツを着ていき、企業とアポイントが取れたら訪問していた。
当時、そんな自分がイケていると思っていた。が、怪しい社会人学生に見えていたと思う😅

東京では起業を目指す友人は自然とたくさん出来た。親友たちには、「すぐに起業もしたいが、思い入れがある松下幸之助が興した松下電器でも働いてみたい😄」と話をしていた。
(追記:親友から、「そうそう、あの時、やたらと松下幸之助&松下電器ファンだったよねー」とのこと。今も覚えてくれていた)

そんな想いを抱き、本格的な起業の前に、大学2年からフリーペーパー事業をはじめてみたり(売上50万円、コスト48万円で給料は半年間で合わせて2万円!)、それを足掛かりに当時はまだかなり珍しかったビジネスコンテストに出たりしていた。

人生で初めて書いてカタチにした企画書。Word4枚だけ

大学3年夏、松下電器の採用直結型サマーインターンシップを本気で受けた。
受かれば行く気だった。

しかし、面談で不採用に。。😭

悔しかったが、実力が足りなかった、縁がなかったのだと切り替えて、
その秋に私は本格的に仲間たちと起業した。

※私の学生時代〜起業〜コンサルまでについては以前、大学から取材頂いたのでご関心がある変わった方がいらっしゃったらご一読下さい
https://www.hosei.ac.jp/info/article-20210603144034/

さて、それから私の15年間は、
松下幸之助が語る社会の公器とはまた異なる、
良い意味で米国型資本主義の権化のような、
スタートアップ経営、経営戦略コンサルタントとして過ごしてきた😎

デロイトのグローバル戦略コンサルティング組織

どちらが正しいわけではなく、単に異なる道だったと思う。
15年の中で、パナソニックで働くかもしれなかったことも忘れかけていた。

しかし、知らず知らずのうちに家の中にはパナソニックの製品が多かった。
(PC、洗濯機、ドライヤー、ビデオカメラ、各種ライト、トイレ、アイロン、フローリング、自転車まで)

このフローリングもパナソニック製を選んでいた

私は松下幸之助という経営者が好きなだけではなかった。生み出される多くのプロダクトのファンでもあったのだ。

私は特に社内外の人に恵まれ、スタートアップブームに乗ってデロイトの戦略コンサルティング部門の執行役員になり、イノベーション分野の責任者になっていた。
数十社の企業の幹部と共に全社成長戦略〜イノベーション創出の現場の最前線の仕事をしてきた。

社内ではデロイトで最も充実したキャリアを歩み、仕事をしてきた一人だとも思われていたかもしれない。

昨年からパナソニックの成長戦略について幹部と討議をさせて頂く機会を何度かいただいた。
(パナソニックとデロイトは幹部レベルでも関係が深い。)

パナソニックのために、
今の自分はいったい何が出来るだろうかー

その時、当時の記憶がよみがえった。

心が躍り、何回も徹夜しては考え抜いた。

討議内容はここでは詳しく書けないが、
相当難しい課題に対して、素晴らしい検討チームと共に挑み、この会社のお客様とこの会社の未来をより善くするための挑戦をしたいと想うようになった。

そして、この難しい課題はパナソニックだけのものでなく、多くの日本企業が直面する課題そのもの、日本の課題そのものだなぁ・・・と。

自分がこれまで松下幸之助から刺激を得て挑んできた、ビジネスのチカラ、商売の力がこれからカギになるかもしれないとも感じるようになった。

そして、私は自らの意志で、門を叩いていた。
(お誘いの言葉も何も、求人すらなかった)

特別な待遇ではないので米国型資本主義が浸透した戦略コンサルティングの待遇の差はあり、なぜ? と何度も問われた。

私は、イノベーション=社会変革とは、短期利益に捉われず、中長期の顧客価値に徹底的にコミットすることでしか成し得ないと考えている。

そして、ここに本気で挑むには、自分自身も短期的な待遇の大きさに捉われず、中長期のイノベーションに心から徹底的にコミットすること。
何も成果を挙げていないうちはそもそも報酬を得るべきではない

これは、言うは易しだが、シンプルなようで1番難しいのかもしれない

これまでイノベーションの専門家を気取ってきたけれど、
自分がこの決断をすることに、本当迷い、悩んだ。

経営者の意思決定のスピードがイノベーションの成否を分けるとドヤ顔していた私がである。

あと○年間、今の仕事を続けられたらFIRE(早期リタイア)出来るんじゃないか とか、
待遇に捉われなくなってからの方が良いんじゃないか とか。

しかし、ある時、悟った。

イノベーションって失敗しても構わない人(例えば資産家)が挑むのではなく、
成功に最も貪欲な人間が挑むべきだと。

私利私欲を離れ、私心を超えた判断の重要性を松下幸之助も語られている。

それが何かのキッカケで人の共感を生むかもしれない、
それが重なることでもしかしたら奇跡を起こす一助になるかもしれない 
と。

そんな経緯で、20年にわたるすれ違い?が、遂に交わり、2022年4月1日、新設されたパナソニックホールディングスの新入社員にならせていただきました。

受け入れてくれた20万人のパナソニック先輩方
送り出してくれたクライアント・デロイトの皆様に心より感謝しております。

パナソニック全社の次の柱となる領域を決め、投資し、育てていくことがミッションの一つである、コーポレートイノベーション戦略室(略称CISO)という組織に所属します。
ホームオフィスは東京本社の日比谷ミッドタウンですが大阪出張も頻度は多くなりそうです。

2022年4月からのパナソニック全社の新しいパーパスは下記。
https://news.panasonic.com/jp/press/data/2022/04/jn220401-9/jn220401-9-1.pdf

先日の新聞広告。4月1日は新しい誕生日

2007年に新卒入社された同年代と比較すると丸15年遅れ。

パナソニックの社史に刻まれるこの2022年4月1日に入社出来たことは何か感じるものがあります。

これからは丁稚として、徹底的に、
親分、大親分、そしてパナソニックのために、
自分がやれることは何でもやる。

以上です。

〈問いリストとその答え〉

  1. 10年勤めて経営戦略コンサル会社の役員を辞めるのは何かあったのか?→松下幸之助という商売人に憧れており、パナソニックの製品のファン。デロイトとパナソニックは元々関係が深く、自分の専門領域である全社イノベーションの仕事で関わる機会があり、自らコミットしたいと感じたから。とても大きなチャレンジがここにはあります。

  2. ヘッドハンティングなど、凄い待遇で迎えられたのか?(デロイトを見捨てたのか?)→お誘いや引き抜きではなく、求人すらないところへの私からの直接応募。最初の先方の反応は、「ホールディングスでは求人していないのだがー、、、」。求人すらないし、特別な待遇でもない。今は、何も成果を挙げていない私を迎えて下さったことにとても感謝しています。

  3. これからデロイトとの関係はどうなるのか?→デロイトから見ると、役員のネクストキャリアとして(辞めないのが1番だが)それに次いで関係の深い企業に行くのは好ましい選択肢ではないかと思う。社長他ボードメンバー、多くの方々に激励の言葉を頂いた。パナソニックがより強く、より善くなるためにこれからより関係は深くなると期待。勿論、同じくデロイト以外の社外の方々との関係もより深くなると期待。

以上になります。

〈最後にー 皆さまへのお願い〉


ここまでお付き合い下さいました皆さま、
誠に有難う御座います!!

パナソニックと何かやってみたい!とか、
パナソニックや日本企業はもっとこうなったら良い!とか、
一緒にこうしたい!とか、
パナソニックや日本企業のここがダメだ!とか、

なんでも構いません。
皆さんと繋がり、それを力に変えていきたいと考えております。
noteの使い方はさっぱり分かっていないのですが😅、何らかの反応頂けますととっても嬉しいです。

日本企業、日本経済をより強く、より善くしていきましょう‼️

是非、これからのパナソニックをご贔屓頂けますと幸いです。
何卒宜しくお願い致します🙇‍♂️

棚橋

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