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【#ゆたかさって何だろう❓】 【《笑う門には福来る》・福の神は貧富による区別なんてするはずがない😊】  旅人バイヤーさとの、世界を旅しながら日本を見て思うところ。(写真たくさん載せます)

【 物質的貧しさが
  心の貧しさになるとは思えない。

  人が人の生活ぶりや環境をみて
  『かわいそう』て思う。
  そのことは何も間違ってるとは思わない。

 だけど、
  そのとき
  《自分の物差し》で《自分の視線》で
  見ていることは言えるだろう。

 ボクは思う。

 人が人のことを助けたい。
 力になりたい。
 支援したい。
   《その人の生活を改善したい》。
  
 そういう、愛情。

 でも、
 人間の愛情って、実はほとんどが
 『自分本位』なんだということ。

 人が他人を
 自分本位でなく
 その人の心と重なって
 支えとなれるのは 『慈愛』であること。

 だから、
 助けたい、救いたい、改善したいということの
 『自分本位的感覚』の前に

 まず何より大切なのは

 その人のあるがまま
 そのすべてを
 その人の生きているそのものを
 まずは
  【 そうして生きていることを《ありえない》と思うのではなく、《ある》ということをうけとめて、そして、尊重すること 】。

  その次のことなんだと思うんです、、、支援とか、援助とか、そういうことって。


そんな思いがあっての、旅人バイヤーとして世界を旅しながらリアルに見てきた光景。 ここではその一部としてインド🇮🇳での《路上生活》や《貧困層・スラム》にての写真たちをまじえて、ボクなりの【ゆたかさって何だろう❓】をつらねたいと思います。 

これらはインド🇮🇳のプネーという街から30Km郊外にあるところ。ボクはそこに宿をとり約7日間滞在した。外国人もまったくいないところ。ここでの日常のリアルと過ごすために。

都市になると、国がどこであってもそうかもしれないが貧困層の人々も多くなる。そのため、スラムや路上生活も多く、いたるところでみかける。

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ふつうは、そういうスラムには危険だから立ち入らない方がいいのだろう。
でも、
ボクは、犯罪の多いとされるスラムには判断を間違えてはいけないが、(スラムだから犯罪が多いとは言い切れないはずだ)、スラムや路上生活者たちに対して、《先入観》や《偏見》を持たない。

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だからこそ、ここで載せているような、そういう人たちの表情を撮ることもでき、こういう《リアル》を、ぜひ、少しでも知っていただけたらと思う。

たしかに、物乞いをしながら1日中座ってる人もいれば、這いつくばってる人、死んでるのかわからないくらい路上で寝てる人もいる。


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でも、
中には、身体に障害をかかえながらも、どこかでなんとか手に入れた財産、設備投資の【体重計】を置いて、1日中路上に座り、物乞いをするのではなく、体重を測ることに対する対価をえるための、【仕事】をしてる人もいる。

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そして、
路上生活やスラムにも
たくさんの子どもたちもいる。
おもちゃなどない子どもたちは、
木の実を拾って投げて遊んだり
タイヤを転がしえ遊んだり
ひもが一本あればそれを遊び道具にするよう
いろいろためしてみたり
その子たちに、物やお金はないけど、
【想像力】はすごく培っていると思う。
学校にも行けず、【知識は】ないかもしれないけど、
ゴミとされてるものも、生活の大切なものに利用したり、壊れたものもなんとかあれこれ手直しして使ったりということを、親、大人たちから見て学び、【生きること・生活のための知恵】を身につけてると思うのだ。

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そして、
彼らのところに、忘れてはならない《笑顔》で話しかけて接していき、写真を、しかもセルフィー🤳しよっ❓て、ボクから声をかければ、どうなるか❓
ここの写真を見ていただければ一目瞭然。
みんな、陰りのない、本物の笑顔で 喜んで一緒に写真を撮ってくれる。

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もともと外国人がいないところにいるからてのもあるけど、もし、外国人旅行者がいても、こういうスラムや路上生活者たちに近づいたり、ましてや、写真を撮る人などまずいなく、どちらかというと、『見たらいけない』とか『関わらない方がいい』って、そうして通り過ぎていくだろう。
だから、
彼らにしたら
写真はもちろん
【自撮り棒を使って セルフィー🤳で撮る】なんてこと、初めての経験のみんなだ‼️
だから、本当に嬉しそうに、楽しそうに、子どもはもちろん、若者も大人もみんな大きな 純粋な笑顔がたくさん並ぶ❣️(╹◡╹)

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中には、ボクがまた歩き始めると、おっかけてくる子どもたちもたくさんいる。
どんな
貧しくても、大変な生活でも
彼らが見せてくれるこの《笑顔》。
それは、
まさに、


【笑う門には福来たる】であるはずだ。


そう願うし、
そう信じていたい。

だって、


《福の神は人種や貧困なんかで差別なんてしないはず》 だから🍀。


ボクは
ここに写ってる
みんなの笑顔に、歩き回り疲れを吹っ飛ばしてもらい。
そんな彼らは、ボクに、お金とかをねだったりなんかはせず、本当に嬉しそうにしてくれること。
ボクは
彼らに、お金や物資を 与えることなんてできないけど、この、自撮り棒でのセルフィー🤳で、
彼らは 素敵な笑顔が溢れ、
ボクは、その笑顔に癒される。
そこには
ボクと
彼らとの間において
《 おたがいさま 》をもっての
関わり合いができた。
そう、心から感じてもいる。

彼らの暮らしぶりには
物がないからこそ
培われる【心】もあって、

物に溢れてる我々が
失ったものを
むしろ この子らが持っている。

そんな【心】を
ボクは この子らに教えてもらえる。
ボクは
それを、全身全霊で感じさせてもらった。


もちろん、すべてのことは、
自分の判断、選択、自己責任だから
みんなにも旅に出たら『こういうことをした方がいい‼️』なんてことは、決して言わない。


ただ、
これが、ボクの旅のスタイルだし
これが、ボクの生き方だし
これが、ボクなりの【地球の歩き方🌏】なのである😆✌🏾笑



《番外編》 これは、ラオス🇱🇦。ルアンパバーンという観光でも名所となってる街そのものが世界遺産となっているところ。ここでも買い付けもしたりするので、もう何度も通っている。ルアンパバーンに行くと毎回かなら、早朝の托鉢を見学にもいくのだが、この時見た、托鉢の光景はボクには衝撃的なものであった。 この光景を見たのは、先にも後にもまだ、この一度きりで レアな写真たち。      ラオス🇱🇦の人々がお坊さんに托鉢をする。  すると、、、その少し先に、小さな男の子、その子より少し大きなお兄ちゃん、お姉ちゃんと思われる子どもたちが、お坊さんの歩く先に座った。  托鉢する物を持っていない、、。それどころか、からの入れ物を持って正座している。  

そして、お坊さんが通るころになると、その方達はお坊さんにたいして合掌🙏🏾するのだ。

すると、何人かのお坊さんたちは、托鉢でいただいた食べ物などを、その子どもたちに【逆 托鉢】していくのだ‼️

 ラオスの人々から お坊さんへ。 そして、お坊さんから子どもたちへ。  それを、周りくどいといえばそうかもしれないが、ボクはこの光景を見たときに、むしろ、【なんてシンプルなんだ】と感じた。  お坊さんたちは煩悩を満たすような私物を持たない。 衣食住に必要なものは人々がお坊さんたちへ渡される。 それは【徳をつむことにもなる】。

そして托鉢で受け取ったものはお坊さんの物となり、そして、お坊さんは 困った人々がいればそれを譲り渡す。

 その流れをみたときに、ボクはまさに【これこそが仏教であり、仏教の《ゆたかさ》だ】と感じた。  お坊さんは神様ではない。 人。 けど、托鉢を受け、そして貧しい環境の子どもたちにそれを譲り渡す。  人であるお坊さんが、神様とはまた違った、【人としてのゆたか】を学んだ。 それは、《物》ではなく《心》だと。

 この光景を見たときのボクは、ゆたかさって何だろう❓の答えは、まっすぐに、【心について】だと感じたものだ。 

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#ゆたかさって何だろう ? について考え、そして投稿・発言できる機会を与えてくれた #noteに 、感謝します(^^)。





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