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川崎市を舞台に子どもの権利を考える映画を創りたい~映画製作日誌②

子どもに目を向けていたらおとなが気になり出す

「ある人」に連絡をしたところ、
「川崎市子どもの権利委員会」で一緒に委員として活動しているという方を紹介してもらった。すぐにご本人とメールでやり取りをし、川崎駅近くのカフェでお会いすることになった。

ご自身のお子さんが小学生で不登校になった経験から、ご夫婦でびーんずネットという団体を立ち上げ、不登校のお子さんを持つ親御さんに向けにセミナーやイベントを定期的に開催している。
代表の金子あかねさん。

お会いしてみたは良いものの…
暗中模索中の私は、なにを伺ったら良いのかわからない。
とにかく金子さんに自分が子育てで体験したことや想い、それを通して私が創りたいことを語るしかなかった。
かと言って、
私は自分のことを語るのもそこまで上手ではないし、作品の構想についても自分のなかでまとまりがない状態。

「まだまだ企画を思い付いた段階なんですけど…」
たどたどしく「なんで子どもが学校に行きたくなくなるのか、わからない。知りたい。どうしてなんだろう。昔と今となにかが違うのか?」そんな内容のことを自分の体験や生い立ちも踏まえながら、だらだらと話していたように思う。
それはそれはなかなか本編に入らない長い前説だったと思う。

あかねさんはそんな私の話を視線を外すことなく、話を遮ることもなく、終始うんうんと聞いてくださっていた。
だからこそ、私は次から次へと言葉が出てくる。
ものすごい傾聴力!

後から肩書を拝見して納得がいったのだが、
親業訓練インストラクター、産業カウンセラー、キャリアコンサルの国家資格をお持ちの方だった。

私の前説は最後まで本編に至ることはなく終わった。
ただただ、あかねさんの深い慈愛の瞳に勇気づけられ、背中を押された1時間だった。
(最初にお会いしたのがあかねさんで本当に良かったと思う)

「参考になるかと思って持ってきました」
あかねさんからびーんずネットさんで発行している「雲の向こうはいつも青空」というタイトルの書籍を頂いた。
その冊子は不登校から大人になった方、不登校と関わる方のインタビュー記事を集めたもの。不登校に答えを出すでもなく、改善策を促すのでもなく、ただ体験記を集めたものだった。

そしてもう一冊、「不登校日記|僕らの場合」
これは金子さん夫妻が息子さんが不登校になった際、旦那さんの純一さんが純一さんのご両親と息子さんについてやり取りをしていたメールを本にまとめたものだ。
純一さんが学校へ行けない息子さんに対しての葛藤がメール文章にも表れており、当時の状況が映像で見えるかのような内容だった。

どちらの内容も「事態が解決したという終わり方」では無い。
ただ、今までの人生のなかで「そういう時期があった。そして今はこうなった」そういった内容だ。

私自身、子どもが学校へ行けなかった時のことを思い出した。
「どうしたら行けるようになるだろう」「お腹が痛い原因はなんだろう」と解決策を必死で考えていた。
しかし「いつのまに」か自分で毎朝学校へ行くようになった。

あの期間はなんだったのだろう…?子どもになにがあったのだろう…

その疑問から私は「不登校」について考えるようになった。

しかし金子さんから頂いた書籍を読んで、それまでと見え方が変わった自分がいるように感じた。

それは「本人にしかわかり得ない世界」なのかもしれない。
本人がぶち当たっている現実は本人にしかわからない。
わからないからこそ、親が「解決しよう」とするのではなく、目の前にいる子どものなかで「今、なにが起きているのか?」を知ろうとすることの方が大事なのかもしれない。

ただただ本人の気持ちを知ること…。

子ども自身の人生なのだから、
解決するのも、原因と向き合うのも最後は本人が決めることなのでは?

書籍を読み終わり、
自分のなかで懇々とそれについて想いを巡らせる。
私はなにを表現したいのだろう?なにを訴えたいのだろう?
しかし遠くになにか光のような物も見えている気がする。
霧がかかった樹海を彷徨っているような感覚だ。

ここからどこへ繋がっていくのだろうか…?

(金子あかねさん、貴重なお時間を頂きありがとうございました)



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