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「いかに敵から利益を得るか」は「いかに敵を作るか」であるとすれば。

 岩波文庫を置いている本屋は偉い、という話を時々耳にする。
 その理由は他の出版社と異なり、返品ができない買い切り制だから。本屋が岩波文庫を置くことは赤字になるリスクを本屋が背負っている、と。
 ちなみに、岩波文庫の目的を調べると「古今東西の古典の普及」と出てくる。

 素敵。応援したくなる目的だ。
 僕は古典に明るくないけれど、少しずつ買って読んでいきたい。
 とはいえ、何から手をつければ良いか分からないな、と本屋で立ち読みしていたところ、冒頭を面白く読めた作品があった。
 プルタルコス饒舌について 他五篇」だ。

 知らない著者だったので、ネットで調べると西暦46年から119年頃の古代ギリシャの哲学者・著述家とのこと。
 少なく見積もっても1905年前に生きていた人の本ってことですね。
 古今東西の古典の普及を目的とした岩波文庫さん、まじさすがっす!

 となりながら、惹かれてしまった冒頭から読み進めていった。
饒舌について 他五篇」の一篇目は「いかに敵から利益を得るか」だった。 タイトル通りだけれど、本文では

 政治にたずさわる者は敵についていろいろ考察すべきだと思うが、とくにクセノポンが『家政術』の中で(一、一五)、「敵からも利益を得るのが理知的な人間のあり方」だと、ついでながらなどというのではない、本気の調子で言っているのには耳を傾けるべきだ。

 と語られている。
 タイトルの「饒舌について」とあるように、プルタルコスがずっと喋っているような本で、クセノポンが誰かは分からないけれど(調べるとソクラテスの弟子と出てきた)、言いたいことは分かる。
 そして、読み進めていくと、なぜ敵から利益を得るべきなのか、という結論に辿り着く。

 敵は友人よりもこっちのことについて多くのことを感じ取りーープラトンが『法律』の中で(七三一E)言ってるように、「愛する者は愛の対象に対して盲目になる」のだからーーまた、誰かを憎むと必ず、その憎い相手のあら探しをすることになるばかりでなく、探し当てたことを吹聴せずにはいられなくなる。

 ここまで読んで僕は購入することを決意したわけだけれど、この一文は現代において重要になると思った。

 X(旧Twitter)はまさに憎い相手のあら探しをして、見つけては吹聴する場としてもってこいだ。
 芸能人でエゴサをする人は効率よく「敵から利益を得」ていると言える。と同時に敵を作るためのメカニズムについても考えてしまう。

 人が他人を敵だと認識する多くの場合は嫉妬で、何かしら優れた点(得している点)を持っている必要がある。
 ただ目立たない人間、ただ嫌われている人間を人は敵とは見做さない。

 僕自身は敵の多い人生を送りたいとは思わない。ただ、プルタルコスを読んでから、まったく敵のいない人生というのも、虚しいのだと知った。
 適度にあらゆるものがあるべきだとすれば、敵もまた適度に作って傍に置く人生を送る方が有益なのかもしれない。
 とはいえ、敵に潰されてしまっては元も子もないわけだから、人生は難しい。

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