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Vol.8 兄の部屋 【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。

わたしの高校スタイル


中学を卒業したわたしは、姉を追って水戸の高校に進学した。伝統ある女子校で、制服はダサくて有名だったけれど、わたしは密かにその制服に憧れていた。パンツが見えないギリギリまでスカートを引き上げてベルトで留め、腰のところで折り返す。上からダボダボのラルフセーターを着てスカートのヒダを整える。ローファーにスーパールーズソックスを履いて、脚が一番細く見えるポイントまで伸ばし、ソックタッチで留める。ひと口にルーズソックスと言っても、水戸が発祥と言われるだけあって、長さ、素材、ボリュームまでバラエティに富んでいた。高校3年間で、ルーズソックス→スーパールーズソックス→紺色ルーズソックスブームと変遷し、卒業前には紺色ハイソックスに落ち着いた。バッグは中学校のボストンバックを肩に掛けて歩くのが人気だった。皆んながあまりに同じ格好をしていたので、ラルフではなくラコステ、ローファーではなく紐付きの革靴を履き、パンチの効いたリュックを背負ってアレンジするのがわたしの拘りだった。

男子の居ない校舎内は女の楽園そのものだった。暑くなるとブラが見えるギリギリまでシャツのボタンを開け、寒くなると短いスカートの下にハーフパンツを履き、ジッパー付きのジャージを羽織る。先生達はそれを埴輪スタイルと非難したけれど、これぞ女子高生の醍醐味のひとつだと思っていた。


文化祭は女子校に男子が堂々と入れる唯一のチャンス。近くの男子高生がこぞってやってきた。

「あの人カッコよくない?」
「うん!わたしタイプー!!」
「あの人、ケイの兄貴らしいよ。」
「えーうそ!あんなカッコいいお兄ちゃんがいるの?!うらやましい!」

「そんなことないよー。」と照れながらもちょっと自慢気に近づいて行くケイ。どんなにカッコいい彼氏を紹介されるよりも正直嫉妬した。

この学校でわたしに兄がいることを知る友人はほとんどいなかった。もしわたしの兄が病に侵されることなく、違う人生を歩んでいたならば、身長は何センチでどんな顔になっていたのだろう。ホビット家系だから高身長は期待できないかもしれない。けれど、祖父の隔世遺伝でもしかするともしかしていたかもしれない。きっと男前になってモテていたかもしれない。これまでの治療や薬によって、骨格もパーツも彼の原型からはほど遠い。“本当はきっと誰よりもカッコよかった”と今でも信じている。

厳しい部活


高校の部活は中学校に引き続きバレーボール部に入部した。先輩達が伝統に伝統を重ねてきた部活は、誰が決めたのかもわからない幾つものしきたりがあった。“このベンチに下級生が触れてはいけない”“先輩を見つけたらバレー部特有のイントネーションで挨拶をしなければいけない”“先輩がジャージを脱いだらすぐに気付いて畳まなければいけない” この畳み方でさえ細かく決められていた。

3年の先輩達は1年のわたし達にとやかく言う事はなく、憧れの格好良い先輩やいつも優しい先輩、場を和ませてくれる先輩など好きな先輩が多かった。しかし2年の先輩達はいつもわたし達を監視していて、何かあれば直ぐにお説教の時間が設けられた。

顧問はザ・スポ根アニメ世代の男性教師で、バレーボール歴は無いものの、見様見真似で精神を鍛えようと追い込んでくる。例えば、レシーブ練習の時には先生の掌に「先生お願いします。」と早口で言いながらボールをひとつひとつ両手で置く“ボール出し”という役がある。このボール出しの息が合わないと、至近距離でも構わずボールが顔面に飛んできた。昨今の体罰問題なんてお構い無しの時代だった。練習中にやる気が伝わらないものならば、千本ノックならぬ千本レシーブのしごきが始まる。いつも冷静と言われていたわたしは無論この標的になることが少なくなかった。

それでもわたしがこの部活を3年間続けてこれたのは、同級生12人の仲間達のお陰だと思う。共に先輩や顧問に小さな抵抗を続け、カラオケで発散し、マックで空腹を満たせばまた新たな明日がやって来た。鬼の合宿も嫌だ嫌だと言いながらみんなで乗り越えた。自分達が3年生になってからは、変なしきたりをなくし、先輩後輩の関係はもっとフランクなものになった。13人ひとりも辞めることなく3年間やり切った。

兄の部屋


もうひとつ、この部活をやり切れた理由があるとすれば、兄の部屋の存在があったからだと思う。彼の部屋は玄関を上がってすぐ左手にある。わたしは家に帰ると決まってまず彼の部屋を覗きに行った。彼はベッドに横になって脚を組み、愛読書のコロコロコミックを読んでいることもあれば、車椅子に座って野球中継を観ていることもあった。読売ジャイアンツファンの彼は、ナイターがあるとメガホンを持ちながらテレビに向かって応援した。長嶋監督を筆頭に、3番松井、4番清原、5番高橋のラインナップは誰が見ても豪華だった。しっかり仕事をこなす仁志と川相、いやらしく攻める元木、安心感のある村田、ここぞの一発が期待できる清水がしっかりと脇を固めていた。ピッチャーには外国人助っ人のガルベス、ベテランの桑田と斎藤にルーキーの上原とゴールデンメンバーが揃っていた。一緒になって応援する時もあれば、“GLAYのライブが世界記録だった”とか“池袋で通り魔殺人があった”とか、お昼のワイドショーを賑わせたニュースを彼から聞くのが日課だった。

「今日は何してた?」と聞くと「何もしてないよ。」と返ってくる。「すごいフケ!」とからかうと、嫌がるわたしにわざとフケだらけの頭をスリスリ押しつけてくる。
平凡なこの部屋には、激しい部活の練習や厳しい先輩とのいざこざも浄化してくれる空気が流れていた。どんな悩みもちっぽけなものにしてくれて、外の世界から切り離された安心感があった。


真夜中に家族が寝静まると、二階のわたしの部屋には、階段下からゼコゼコと彼の呼吸が聞こえてくる。しばらく耳を澄ませて様子を伺うのだけれど、結局は駆け下りて吸引に向かうことが日常だった。彼は目を開けて「ありがとう」と言うこともあれば、寝ぼけたまま吸引後にはいつも安心した笑顔を見せてくれた。彼にとって痰が固まることが一番の脅威なのだ。安心した顔を見ると、もっと早く二階から降りてくればよかったと毎回後悔した。そして、一善施した自分にも花丸をあげてまた二階に上がるのだった。

兄の入院


しばらくそんな平和な日々が続いていたのに、兄は微熱が続いてまた病院に引き戻されてしまった。入院してからも熱は上がり、42度が2週間も続いていた。もちろん例のごとく原因はわからない。

「びっくりしないでね。」
面会の前に、母が姉とわたしを構えさせた。

久しぶりに見る兄の姿は、目は虚で息も早く、見ているこっちも苦しくなる程だった。2週間もこんな状態で生きていたなんて想像しただけで辛くなった。思わず涙がこぼれ、慌てて兄から目を背けた。

夕方の6時になると病室の前に夕食の入った配膳車が到着する。配膳車の中には、お盆の上に患者に合わせた献立が並んでいる。ご飯、お味噌汁、魚の餡掛け、ほうれん草の胡麻和え、フルーツサラダ。まずくはなさそうだけれど、プラスチックの容器がいかにも病院食を強調させた。虚な目をしている彼が食べられるとも思わなかったけれど、薄緑の盆の上に兄の名前を見つけ、とりあえずベッドまで運んだ。

彼は渾身の力で起き上がってベッドの端に腰掛けた。倒れないようわたしが隣に座って支えになった。手は震え、とても自力で食べられる様子ではない。代わりにご飯を一口すくって彼に食べさせようとしたその時、

「これは、僕がやるんだから!食べれなくなったら終わりなんだから!」
と信じられない力で押し倒された。

彼の力加減は麻痺していて、わたしを本気で押し倒そうとしたのか、ちょと押した程度だったのかはわからない。げっそりと窪んだ目の中は鋭く、怒っているのか泣いているのかも良くわからなかった。ただ、良かれと思ってしたことの代償としてはあまりにショックだった。これには見ていた母も驚いた様子だったけれど、彼は自分で食べることを生きるバロメーターにしているのだと言う。ほとんど食べているとは言えなかったけれど、その姿は「執念」という言葉がピッタリだった。


二度目の骨髄移植?!


兄が夕食に満足した頃、わたしは母に呼ばれて廊下に出た。

「実は、先生に2回目の骨髄移植をしてみないかって言われているの。」

母はまたドナーとなるわたしの反応を気にしている様だった。もちろん二つ返事で引き受け、わたしの骨髄で治るのならば、こんな彼を一刻も早く楽にしてあげたかった。

翌日高校に登校するなり、わたしはバレー部のキャプテンのところに行った。
「あのさ、わたしに病気の兄がいるって前に話したと思うんだけど、覚えてる?今大分弱ってて...。それでね、骨髄移植しなくちゃいけなくなりそうなの。」
「骨髄移植って、よく分からないけど...。」
「簡単に言うと、わたしがドナーになって脊髄にある髄液っていうのを兄に移植するの。幼稚園の時にも一度やったんだけどね、またやらないといけないかもしれなくて。だから、もう部活はできなくなるかもしれない...。」
堂々と部活を休む口実ができて嬉しいはずなのに、急に泣き出してしまった自分に驚いた。急に聞かされたキャプテンも、何のことやらの展開に言葉が見つからない様子だった。

結局、2度目の骨髄移植は実現しなかった。移植したところで今回も成功するとは限らない。本当に必要な骨髄移植かも分からない…。


その後、彼は徐々に回復しまた我が家に平凡な兄の部屋が戻った。


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