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あそぼ

遊ぶことの重要性について、私はずっと考えてきた。
遊ぶことの意味とはなにか。それは、ここが自分の生きる場所だと実感することができるということである。

私は小学校高学年の頃、算数が苦手かも……と思って、自分で算数のドリルを買ってきて家でやっていた。すると父に、「勉強なんてしてないで外で遊んでこい!小学生の勉強なんて、学校の授業だけで、わかるべや。」と注意された。
なんで自主的に勉強しようとしてるのに、怒られるんだ。と当時は思っていたが、今ではその教育方針で良かった。と思っている。

その教育方針とは、小学生までは思いっきり遊んで、中学生からは勉強に本腰を入れるというものであった。なので、中学校にあがったとたん、「今までさんざん遊んで来たんだから、これからは勉強しろ」と言われた。それを聞いて、もっと遊んでおけば良かったと後悔したぐらいである。

けれどその後も、父にも母にも勉強しろとうるさく言われた記憶はなく、そのおかげか、今でも勉強するのは好きな方である。

なんでも強制されると嫌になるよね。

その教育方針で良かったと思う理由は、それだけではない。
遊ぶことで、生きるために必要な、大前提となるようなことを、沢山得られたと思うからである。

まず第一に、子どもは大人とは違い、エネルギーがあり余っている。なので、遊びにはそれを発散させるという意味もある。子どもが走り回るのには意味がある。そのエネルギーを無理に押し込めてしまうと、違う所で爆発してしまう。

また、遊びの中で色々な体験をすることで、たくさんの刺激を受けて、感覚が養われる。例えば、砂に足を埋めて気持ちいい感覚、高い所に登って命の危険を感じる感覚など。

それから、友達と遊ぶことで、何をすれば友達が喜ぶのかがわかったり、小競り合いで、自分とは違う、思い通りにならない他人の気持ちを知ることもできる。
大人になって仕事をするようになって思ったことだが、結局は仕事でも大事なのは、人と人とのつながりだということだ。何をすれば相手が喜ぶのか、それを考えながら、双方にとって一番良い方法は何かを考えていくことが、仕事をしていく上でも大切になってくる。だから、このコミュニケーション能力を高めるためにも、遊びは、大事なことである。

と、ここまでどっかに書いてあるような遊びの利点を挙げてきたが、私が一番重要だと思うのは、遊ぶ時には、自分で何をしたら楽しくなるかを頭をフル回転させて、考えるという点である。
それは、人生においてとても重要なことである。

自分が、そこにいて楽しいとか、楽だとか、安心だとか思える場所。それはつまり、自分の居場所である。遊ぶことは、先程も述べた通り、どうすれば自分が楽しくなるか、を考えることである。それは、居場所を自分で作る練習にもなるのである。

もしも社会にはじかれたとしても、自分で自分の居場所を作れたとしたら、そこはもう結界が張られたように、自分にとっては安全な場所なのである。

子どもの頃、秘密基地を作ったり、ダンボールの中や押し入れの中など狭いところで遊んだりしたことはないだろうか。それは典型的な自分の居場所作りの例であるが、それだけでなく、原っぱで遊んだり、川で水をくんだりと、自分の遊ぶ陣地があることで、この地球は自分の居場所なんだと物理的に実感することができる。
また、自分たちで何をして遊ぶかを考えたり、ゲームのルールを自己流に変えて遊んだりと、自分で工夫して面白くしていく。そういう思考が、自分の居場所作りに繋がっていく。

しかし現在は、そんな居場所作りも難しくなっている。昔に比べ、自由に遊べる空き地などがなくなってきている。どこもかしこも誰かの所有地で、勝手に入ってはいけない。そんなでは、自分の生きる場所だと実感できないまま、大人になっていく子どもも増えていくのではないかと思う。

また、学童などで、大人に提供された遊びをやるだけでは、自分で面白くしようとか、なにをすれば楽しいかと考える機会もなくなってしまう。また、ちょっと危険だとすぐ大人が止めてしまうので、自由な発想が制限されてしまう。

このままでは、何かがあって落ち込んだ時、自分で自分を楽しませて、ストレスを発散させたり、自分で何をやりたいのかわからない大人に、なってしまうのではないかと思う。

なので私は、将来のためにと遊ぶことを禁じられた子どもを見ていると、心が痛む。遊ぶことは、社会の中で生きる前に、人として生きるための土台となるものを色々教えてくれる。それは人生の喜びであったり、安らぎであったり、生きていくために重要な感情や意識をもたらしてくれる。それがないまま大人になってしまえば、他人からの評価が全てて、それが得られなければ即、自分の生きる価値を見失ってしまう。そんなものは、中学生になってから学べばよい。まずは一回わがままに生きてみて、他人とぶつかって他人の気持ちを知るという行為を経てから、他人の目を気にするべきである。



遊びは混沌としている。学校のように系統だった指導要領があるわけでもなく、そもそも意味も、ないのかもしれない。けれどもその混沌の中から数え切れない星のような経験や知識や、工夫が得られるし、その混沌を貫く、「全ては楽しむため」という一筋の光が、時に辛く苦しい人生を生き抜くにあたって、とても助けになる。



なので、学校の先生、宿題を出しすぎないようにしましょう。そして、放課後は、できるだけ自由に遊ばせてあげましょう。

そして、子どもの頃に充分に遊べなかったあなた。今からでも遅くない。なにかをして、あすぼう。