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主体的でない自分に気付くまで

主体性が求められる時代で、どうしたら主体性が身につくのか、自主性と主体性の違いとは何かについて、書かれている記事は多い。

主体性の意味を調べてみると、「周りの影響を受けず、自らの考えを基準に、責任を持った行動をすること」と、ある記事に掲載されていた。

私自身、これまで主体性がどういうことなのかわからなかったし、主体的な行動ができていないとは、思っていなかった。

これまで、仕事やボランティアではじめてのことをするときは、周囲の人がやっていることを観察して、「あれはあそこに片付けるのか」、「あの場合はこういう返事をすればいいのか」、「あの人のこの行動は、こういう意図があるのだろう」と、自分から情報をキャッチして、仕事を覚えてやってきた。

もちろん、ある程度のレクチャーはしてもらうが、1から10まですべて教えてもらうよりも、部分的に教えてもらって、他は自分で周りの様子を見て覚えるという方が、仕事ができる人だと思っていたし、すべて教えてもらわなくても仕事ができる自分は周りに高く評価されて、それを気持ちいいと思っていた。

もちろん、曖昧なことがあると、このまま勝手にやっては間違いがあるかもしれない、迷惑かけるかもしれない、と、心の中でザワザワするので、確認してやっていたと思う。


でも、いつからか、曖昧なことを確認するのではなく、曖昧なことを無視して自分がどうしたいのかを優先して勝手に判断して行動するようになってしまった。もちろん、その行動の先には、失敗が待っていた。何度も失敗を繰り返した。

どうして自分の気持ちを優先してしまったのか。その原因となっていることは何なのか、自分の気持ちや思考を探っていこうと思う。


原因1.自分に驕りがあった

他の人がやっていたことの意図を確認せず、自分のこれまでの経験に基づいて勝手に判断した。

これまでの経験が正しいと思っていたし、その自信がある自分自身に、得意気になって、そんな自分がやることだから自分が判断しても間違いないと思い込んでいた。つまり、自分に驕りがあった。

ある程度の決まったルール(規則性)の中であれば、周りの様子を観察して意図を汲み取り、自分で判断していても問題なかったことが、ルールがないところに放り出された時、それが通用しなくなったことにある。

驕りの気持ちがあったため、通用しないのに、通用しないことに気が付かず、自分の考えを改めようとせず、思考の癖に気がつかなかった。

意図したことの「ありのまま」を受け止める努力をせず、自分の気持ちが加えられた色眼鏡で見ていて、臨機応変に思考を変化させることを怠っていた。


原因2.上司の言うことは絶対で、自分の意見は反映されないと思い込んでいた

この指示は、どういう意図なのか、理解してもいないのに、納得もしていないのに、言われるまま行動した。

私がその指示の目的を確認しようとしても、相手は気持ちよく教えてもらえないのではないか、

私が何か提案しても、相手に気持ちよく受け入れてもらえないのではないか、

自分の意見が採用されて良くない事態になった時、自分だけの責任になるのだろうか、

自分は大事にされていないかもしれない、傷つきたくない。

だから、自分の意見は言わない方がいい。

そんな思考から、曖昧なことを自分から解決せず、保留状態のままにした。

そして、保留状態のままなのに、自分の判断が間違ってないと思い込み、確認もせず、行動してしまった。


原因3.責任を放棄していた

考えが及ばない自分に気付くのは、自分を否定することになるから、わからないことをわからないと言えず、自分が傷つくのを避けていた。

自己防衛するのに必死で、曖昧なことを保留状態にしていたことを、自分の責任になるという思考にたどり着かなかった。

安心して自分の考えや意見を言える場があれば、自己防衛する必要はなくなるのに、と、周りのせいにして、自分の責任を放棄していた。

自分が起こしてしまった事態を自分で収拾しようとせず、周りが助けてくれると、周りに依存していた。


原因4.誠実さがなく、結局は、自分に自信が欲しかった

自分で決めたことを自分で実行して、成功する体験が欲しい。

自分の話を受け止めて、自分のことを尊重して欲しい。

この自分の私欲を満たすことを優先に考えて行動していて、周りのことを考えてなかった。



この4つの原因から、失敗を繰り返していたのだが、自分が受け身だったり、自己防衛だったり、他責任だったりと、私が主体的な行動と逆のことをしていたことがわかる。

何度も失敗を繰り返してずっと自己防衛をしていた私が、今回、自分自身の思考や気持ちを知るために内省しようと思ったきっかけは、周りの人が自分を大事に思ってくれていると感じた瞬間があったからだ。

その瞬間、初めて、自分に否はなかったかと、自分の行いを振り返る思考をするようになった。自分の安心できる場ができたことで、主体性について学ぶ心の準備が整ったのだと思う。

今後は、まだ常に主体的に行動できているわけではないが、自分だけでなく周りの人も主体的に行動できるよう、相手を尊重し、お互いが安心できる関係性を築いていきたい。

そして、未来を担う子どもたちが、AIと共存する社会で、幸せと思える人生を歩めるよう主体性を育むために、私たち大人ができることを一緒に考えていきたい。

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