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さとちゃんが入院していた件について

この記事はわたしではなく
編集者の目から見たものを
お願いしました
なので無料記事で公開したいおもいます
ICU入る前の体重も40キロでないと不安で
点滴生活して固形物もたべられない状態でしたし
活動にも支障をきたしてましたし
入院する前ずっと迷惑をかけてたことも事実です
なので近くにいた編集者にわたしがどう見えていたのか
書いてほしかったのです
本当のことを書いてくれて助けられてばかりです
みなさまにすこしでも届きますようにねがってます


さとちゃんが完全閉鎖病棟しかない精神病院に隔離されていた件について

私はYouTubeチャンネル「独身アラサー女子 さとちゃんの日常」の動画編集者です。
日頃から仕事を通じて仲良くさせてもらっていますが、さとちゃん自身の生み出す世界観やアイディアをブレさせたくないので、動画編集業務以外のことは極力やりたくないと思っています。

善悪問わず、美醜も問わず、さとちゃんが動画でやろうとしたことをありのまま形にするのが私の仕事です。
私はどんなことであれさとちゃんのやることを肯定も否定もしません。
意見を聞かれれば正直に答えますが、私自身の好悪や作為が動画に影響を与えるようなことは、私もさとちゃんも望んでいません。

だから、私はあくまでただの「撮影した素材を投入すると、編集された動画が出力されてくる機械」であり、それ以上でもそれ以下でもないつもりです。
これからもそう在ることを願っています。

しかしながら、今回の件をnoteにするに当たって、さとちゃんは「客観的な証言者」を欲しており、それを私に求めました。
恐らく、一連の事件について知っていて、かつ(友達でこそあれ)親類でも医療関係者でもなく、恋人であったこともない「客観的な証言者」たり得る人間は、私しかいなかったのでしょう。

私はその要請に応え、この記事の執筆を”業務”として引き受けました。

これは単なる証言であり、さとちゃんに対しても、関係者に対しても、同情も批判も込めません。
見聞きした情報を私なりの言葉で記録するだけのものです。

【時系列】
・2022年8月頃 さとちゃんがけいちゃん氏と別れ、あれほど嫌いだった実家に帰る
・9月頃 大好きだったおじいちゃんと死別
・10月頃 体重が極端に低下。攻撃的な言動が目立ち始める
・12月末頃 さとちゃんが突如音信不通になる。
 さとちゃんのママから「精神病院に入院した」との連絡が入る
・2023年2月上旬 何も解決せず退院

◇入院するまでのさとちゃんの様子◇

2022年はさとちゃんにとって散々な年となりました。
8月にけいちゃん氏とトラブルがあり(元々トラブル続きでしたが)、けいちゃん氏の家から強制的に追い出され、生き甲斐だったYouTubeチャンネルも消されてしまい、そこへ追い打ちをかけるように、大好きだったおじいちゃんが病死しています。

それからさとちゃんと生活することになる実家のママは、傍目に見てもかなり不器用で、わかりやすく言うと”間の悪い人”でした。

「娘の為に何でもやってあげなきゃ!」という気概はあるものの、それが行き過ぎたり空回りしたりといったすれ違いが目立ちました。
また、よかれと思って何かと嘘をつく癖のある人でした。

そうした愛情表現のズレや小さな嘘の積み重ねが、さとちゃんの目には悪意と映っているようでした。

「ママはわたしに必要なことをしてくれない」
「ママはわたしが嫌がることばかりする」
「ママは嘘つきで、被害者ぶってばかりいる」

これが、さとちゃんがママに対して感じ取っている人間像でした。

2022年秋頃のさとちゃんは、常にストレスが120%ぐらい溜まっているような状態で、口を開けばママの愚痴ばかり言っていました(本人は覚えていないようですが)。

私は時折「仕事に支障が出ているから、1秒でも1メートルでも、ママから距離を取れるだけ取った方がいい」と提言しましたが、ご存知の通り、さとちゃんは重度知的障害者であり、性格は大人びているとはいえ、5歳児程度の知能しかありません。

5歳の子供に「ママから離れて生活しなさい」と言っても、それは無理なのです。

そのうち、さとちゃんは徐々に様子がおかしくなっていきました。

精神科で処方された薬を飲みすぎて具合が悪くなると、「ママがわたしの薬を管理してくれない!」と怒り、ママが薬を隠しておくと、今度は「ママがわたしの薬を隠した!」と怒ります。

また、夜な夜な無意識にお菓子を大量に食べ、少しでも体重が増えると「ママが止めてくれなかった!」と怒るといった具合です。

私はさすがに心配になり、「栄養をつけないことには動画どころではない」「薬物を乱用していたら、いつか精神病院に閉じ込められることになる」と、この2点についてだけは、差し出がましく繰り返し口出しをしました。

そしてその心配が、思ったより早く現実のものとなってしまいました。

◇さとちゃん、緊急搬送される◇

2022年12月29日、私はいつものようにさとちゃんとLINEで話していました。
その日、さとちゃんはいつにも増して機嫌が悪く、泣きながら怒っているような様相でした。

私はあくまで機械なので、クライアントの機嫌によって態度を変えることはしません。
私達の契約書に「甲が情緒不安定な時は、乙がなだめる」という記述はありません。
だから、同じ入力に対しては同じ出力を返し続けました。

相変わらずママに怒り狂っているさとちゃんに、私は
「無理解なのはママが悪いと思う」
「でも薬の乱用や食事を拒否しているのはさとちゃん自身の選択」
「さとちゃんが自分で選んだことまでママは責任取れない」
というようなことを言いました。

きっと、これがトドメになってしまったのだと思います。

その時から、さとちゃんからのLINEが途絶え、丸2日ほど一切の連絡がありませんでした。
さとちゃんは毎日欠かさず決まったタイミングで決まった連絡をする性格なので、これは異例なことでした。

気分が沈んでいようと舞い上がっていようと、決まったルーティーンを確実に守る。
さとちゃんが「それをしなかった」ということは、ほぼ間違いなく、「それを出来ない状況にある」ことを意味します。

よって、私から様子を尋ねることはしませんでした。
返事が出来るのであれば、必ずさとちゃんから連絡してくるはずだからです。

すると、ママから「さとちゃんが拒食症で入院した」という連絡が入りました。

私は瞬間、何か不穏な違和感を覚え、一言目にこう尋ねました。

「死んでないですよね?」

ママは妙に明るく「そんなことはありません」「病院で治療を受け始めたということは、ここからはよくなる一方!ああよかった!」などと答えるばかり。

私の目には、ママは何かを隠そうとしているようにしか見えませんでした。
正直喧嘩の勢いで殺してしまったんじゃないかと思いました。

ずいぶん後になってわかったことですが、この時さとちゃんは拒食症の治療の為に入院した訳ではなく、向精神薬をオーバードーズして橋から川に転落し、死体と区別もつかない状態で発見され、緊急搬送されたようでした。

第一発見者は確か、地元の消防署の見回り隊だったと聞いたと思います。

その後、さとちゃんはICU(集中治療室)で処置を受け、薬の作用を抜く為という名目で完全閉鎖病棟しかない精神病院に入院することとなりました。
医療保護入院(俗に言う強制入院)でした。

あの時ママが異様に明るかったのは、恐らく気が動転していて、現実を真っ向から受け止めることが出来なかったからだと思います。

◇閉鎖病棟で◇

さとちゃんが入れられたのは、パソコンも携帯も持ち込めない、完全閉鎖病棟でした。
細かい経緯はよくわかりませんが、今回の件は警察も出動する事態となっており、恐らく「この子を野放しにしておくことは許されない。精神病院か留置場か、いずれにせよ隔離しなければならない」という色々な圧力が働いたのではないかと思います。

私は病院に状況を問い合わせましたが、さとちゃんと電話することはおろか、手紙すらも入れさせてもらえませんでした。
具体的な理由はよくわかりませんが、後にさとちゃんが語ったところによると、「精神病院はそういうもの」だそうです。

入院からおよそ1週間ほど経った頃、さとちゃんが不正に入手したテレホンカードでママに電話をかけました。
さとちゃんは自分の身に起きたことがよく理解出来ておらず、病院の待遇が悪いことや、両親への怒りをぶちまけていたそうです。

病棟内で何が起こっていたのかは、さとちゃんのnoteに詳しく書かれているかと思います。
あくまで錯乱状態だった「当時のさとちゃんの目から見た出来事」ですが。

それからどれだけかの日数が経った頃、電話が許可されると、さとちゃんは定期的に私に電話をするようになりました。

第一声は想像していたより平常状態に近く、少しほっとしたのを覚えています。
とはいえ、さとちゃんが落ち着いていられたのは、あくまで「すぐに出られる」と事態を甘く見ていたからに過ぎません。

医療保護入院というのは、入るのは簡単ですが、出られるかどうかは主治医の裁量次第だそうです。

つまり、主治医がその気になれば、「患者の顔が気に食わないから、自分の気が変わるまで何年でも閉じ込めておく」ということが可能な仕組みになっているのが精神医療の現状のようです(実際、その必要性がない患者が数年間精神病院に閉じ込められた事例は少なからずあります)。

私は県外の精神医療人権センターに電話し、見解を伺ってみました(さとちゃんが入院している県は過疎地で、そうした機関が存在しなかった為)。

人権センターの人が言うには、

・手紙の拒否は基本的には憲法違反(よほど重い病状なら例外的にあり得る)
・医療保護入院であれば通常2~3日で退院できる
・もしも病院の対応がおかしいようなら問い詰めに行くことは可能

とのことでした。

私はひとまず情報を集めながら、しばらく傍観することにしました。

◇一生出られないかも◇

当初、病院の待遇に文句を言いながらも、どこか余裕のあったさとちゃん。
しかし、日が経つに連れて、これが単なる一時的な措置とは訳が違うということを、さとちゃんは思い知らなければなりませんでした。

さとちゃんはやがて、「いつになったら出られるの?」「一体何をすればここから出ていいの?」「こんなところにいたら頭がおかしくなりそう!」と、焦りを見せ始めました。

ママからの伝聞では、「入院は2ヶ月くらい」ということになっていましたが、私は何だかんだ3ヶ月くらいまで引き伸ばされるのではないかと直感していました。

しかし、もっと大きな問題は、さとちゃんがそれまで耐えきれずにストレスで不安定になったり暴れたりして、入院期間が更に延長されてしまう可能性があったことです。

さとちゃんにはストレス由来の病気が沢山あり、中には緑内障など取り返しのつかないものもあります。
だから私は、さとちゃんが仮に2~3ヶ月で退院できたとしても、その頃には既に一生モノの後遺症を負うことになっているのではないかと心配しました。

とはいえ、事件の引き金を引いたのは、結局さとちゃん自身です。
さとちゃんは自分の自由意思でYouTubeやnoteの活動を行い、自由意思で薬を乱用しました。

しかしさとちゃんは、「パニックのせいだった」「ストレスのせいだった」「ママのせいだった」と、いつもどこか『自分のせいではない』と言いたげでした。

私は段々と、「一生繰り返すかもしれない」と思い始めました。

◇突然の退院◇

2月上旬、さとちゃんは急に退院していいことになりました。

主治医は最初「2ヶ月」と言っていたはずなのに、実際には1ヶ月ちょっとの入院で済んだことになります。

もしも何か理由があるとすれば、さとちゃんがけいちゃん氏の家に住んでいた時に行政上の相談窓口になっていた市役所の職員で、さとちゃんの数少ない味方であるA氏に電話したことです。

A氏は、さとちゃんが閉鎖病棟に隔離されている状況に驚き、「病院に確認の電話を入れる」と言っていたそうです。

それが関係あるのか、それとも偶然なのかは確かめようがありませんが、その直後にさとちゃんの外出許可が降り、更にそのわずか数日後には退院していたというのが客観的な事実です。
(邪推するなら、『病院が外圧にビビった』という見方が出来ないこともないかもしれませんね)

こうしてさとちゃんは約40日ぶりに自由の身となりました。

しかし、心はまだ完全閉鎖病棟に閉じ込められたままのようでした。

毎日完全閉鎖病棟しかない病院の話をし、寝る度に悪夢を見、退院してすぐに(恐らく実家で)過呼吸を起こし、また別の病院に入院していました。

また、本来毎日飲まなければならない常備薬も長い間没収されていた為、色々な病気が見るからに悪化していました。

この事件をキッカケに、さとちゃんは活動のペースが狂ってしまい、これからどのような形で再開していくのかは私にはわかりません。

退院当初は「この1ヶ月で全て失った気がする」と、かなり悲観的になっている様子でした。

しかしながら、noteの読者やYouTubeの視聴者から応援のコメントが来ているのを見て、もう一度熱意を取り戻したように見えます。

現在は実家を離れ、東京の友人宅で療養しています。

このお話に結論はありません。
これは物語ではなく、単なる事実です。
単なる作業者であり、第三者である私の証言です。

事件の渦中でさとちゃんは何を思っていたのか、それはさとちゃん自身にとって、ファンの方々にこそ聞いてもらいたいことなのだろうと思います。

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