何気ない一言で視野は広がる
「自由」と「楽」は似ているけれど、全く違うものなんですよね。
コピーライター・阿部広太郎さんが主宰する連続講座『企画でメシを食っていく』(以下、『企画メシ』)。
第2回のゲスト講師として来てくださった岡嶋かな多さんは、ひまわりのように眩しい笑顔を湛えながらそう言った。何気ない一言だったけれど、私の心に深く突き刺さって今でも離れない。
岡嶋かな多さん。今や日本を代表する作詞作曲家、音楽プロデューサー。絶えることを知らない満面の笑顔が印象的だけれど、中卒で音楽業界へ飛び込んで、計り知れない苦労を重ねてきた人だ。
そんな彼女が参加した海外のライティングキャンプ(彼女曰く、毎日複数人でチームを組み、楽曲を制作するものだという)の話になった時のこと。冒頭の言葉が飛び出したのだ。
ライティングキャンプは、決して楽ではない。でも、その代わりに自由を手に入れて、自分のやりたいことに全力で取り組めた。自由を選んだことで視野を広げてもらったのだと、彼女は語った。なるほど、「自由」と「楽」にはそんな解釈の仕方があるのか。私自身の視野が広がったような気がした。
では、私だったら「自由」と「楽」のどちらを優先するだろうか。
そもそも、「自由」と「楽」とはどういうものだろうか。そこから掘り下げてみよう。
まず、「自由」について。
そもそも「自由」と聞いて思い浮かべるのは、やりたいことがなんでもできる状態。責任と隣り合わせにある存在。
たとえば、私がお金を支払って「企画メシ」に参加することは、やりたいことができていると言えるだろう。「多くのエントリーから選んでもらった」「高額の受講料を支払った」という一種の責任はあるけれど、やりたいことができているのは「自由」と言える。
つまり、私が思う「自由」とは『責任と引き換えに得られるもの』であり、『未来の自分へ長期的に与えられる快楽』とも言えるだろう。
一方、「楽」とは何か。
そもそも「楽」で思い浮かべるイメージは、努力しなくても手に入るもの。自分の体調や気分に左右されて、物事に対して手を抜くこと。
たとえば、物事のショートカットが挙げられる。
私が子供の頃に体育の授業でのこと。長距離走をやりたくないから、先生の目を盗んで距離を縮めた同級生がいたのを思い出した(その後先生に見つかって、罰として授業に参加させなかった)。ショートカットが「楽」の真骨頂のように思えてくる。
つまり、「楽」とは『面倒くささと引き換えに得られるもの』であり、『現在の自分へ短期的に与えられる快楽』とも言える。
さあ、本題に戻ろう。私だったら「自由」と「楽」、どちらを選ぶか。
私だったら、「自由」を選ぶ。現在よりも、過去や未来に目を向ける性格だから。今の自分が苦労ばかりしているから、今のうちに未来の分まで苦労しちゃえばいいかな、と思っているのもある。
未来の自分が苦労しないように、未来の自分が自分なりに幸せでいられるように。未来のことを考えて、今頑張ろうと思えるのだ。逆に言うと、私は「楽」をするのが苦手とも言える。
「自由」と「楽」は似ているけれど、全く違うもの。
岡嶋かな多さんの言葉が、私の心のど真ん中に突き刺さる。でもそこには温かみがあって、一歩先へ進むための勇気をくれる。彼女が持つ明るさやエネルギーを、お裾分けしてもらったような気がした。
彼女の今後のご活躍を願いつつ、私も目標や夢のために一歩ずつ前進しよう。
「自由」と「楽」、あなたならどちらを優先するだろうか。
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