里山に春が来た ~親子の探求が始まった~
Cくん:父ちゃん、今日から新しいシリーズがはじまるんだって?
父:そうそう、Cくんの疑問を探求するようなエッセイを書こうと思ってね。
Cくん:へ~、ぼくの疑問を調べて書いてくれるってこと?
父:一緒に考えたいなって思ったんだ。Cくんたちが普段当たり前のように暮らしていることの中に、いろんな不思議なことが隠されているんだ。例えば、今Cくんは「里山」って言われるようなところに住んでいるよね。
Cくん:うん、田んぼがあったり川があったり裏に山があったり。里山ってすごいんでしょ。「ダーウィンが来た」で見たよ。
父:今ちょうど春を迎えて里山の雰囲気も冬から変わってきて、にぎやかになったよね。見てごらん、山に新緑が芽吹いているよ。近所の人たちも田んぼに出てきてる。
里山に春が来た ~親子の探求が始まった~
今年も春を迎えました。
学び舎「里山リベラルアーツ」のあるここ岐阜県恵那市、笠置山のふもとの集落も春の装いで、自然もにぎやかな様相を見せています。
春は「再生」の季節です。
冬の間眠っていた植物の芽があちこちに吹きだし花が咲き、虫や動物たちが動き回る。人も例外ではありません。田植えは畑の種まきにいそしむ人々の姿がそこかしこに見られます。
春は暖かさや花や緑の美しさなど五感に訴える感覚が華やかに感じます。田んぼを起こした時の土の香りが立ち込めているのも春を感じます。鳥のさえずりも近くで遠くで、谷合に響いている。夜はカエルの大合唱です。
再び春は本当に訪れるのか?と不安になるぐらい、自然はその息吹を止めているように見えてた冬の時間が動き出す。そんな喜びに世界全体が包まれているようなこのエネルギーは、里山に暮らすとよくわかります。
今年も無事に、春が来ました。
Cくん:日本の春って特別なの?YouTubeで見たよ、日本には四季があって、春の美しさは海外の人も絶賛してるって。
父:そういう人は多いね。確かに里山にいると春夏秋冬で景色が全く変わるよね。
Cくん:他の国は違うの?
父:それを知る前に、まず春になるとなんで暖かくなるのか考えてみようか。
Cくん:地球が太陽の周りを楕円で回っているのは知ってるよ。地球と太陽の距離が近づくからじゃない?
父:いや、どうやら距離は関係ないらしい。なぜなら、太陽と地球の距離が一番近づくのは1月なんだって。
Cくん:えーっ、そうなの?でも、距離が関係ないとしたら、世界中どこでも春には同じように暖かくなるはずだよね。
父:OK、じゃあ今度は春になるとなぜ暖かいのか、日本の春はなぜ特別キレイと言われるのか見てみようか。
太陽と地球が織りなす、季節という不思議
①太陽が地面にあたる角度
春になると暖かくなる理由の一つは天体的な影響です。太陽の周りを地球が回る公転による温度変化は、太陽の光が地表にあたる角度(入射角)によって変わります。つまり、地球の地軸が傾いて公転していることによって、地表に対して夏は垂直近く、冬は斜めに日が差します。
太陽光の入射角が大きくなる程、単位面積あたりに地表面に入射する太陽エネルギーは大きくなることで、季節の変化が生まれます。北半球が4月になると暖かくなるのは、太陽の傾きがだんだん高くなっていくからなのです。
四季の変化を日本の特徴と挙げることがありますが、入射角は同じ緯度に位置する地域なら同条件になります。
例えばここ岐阜県の東濃地域と同じ北緯35度付近にある国は、アメリカのカルフォルニア州、モロッコ、アルジェリア、チュニジアなどアフリカ大陸の地中海沿岸部、イラン、イラクやアフガニスタンの中東地域などですが、それぞれ全く気候が異なります。
逆に緯度の違っても四季の変化がある地域は、例えばニュージーランド、カナダ、ヨーロッパやイギリスなどが有名で、日本固有の現象とは言えません。
気候は入射角だけでは決まらないことがわかります。
②地形・海流・気流が作る日本の春
日本の春が他の地域にない特徴があると感じるには明確な理由があります。他との違いを生み出すのは、地形や海流の影響です。
まず、日本の地形と海流に目を向けてみましょう。太平洋に面した南北に長い島国である日本は、本州には3,000メートル級の山脈が連なり、急峻な河川を形成しています。さらに、列島の周りを2つの暖流と2つの寒流が流れています。また大陸と海洋の温度差によって生じる季節風は、夏と冬とでその向きを反対に変えることで、日本の四季を際立たせる要因の一つとなっています。
また西から東へ流れてくる偏西風が日本付近に梅雨を作り出し、6月前後に多くの雨を降らし、豊富な水が得られています。
こうした複雑な地形と海流、気流が重なりあって、日本の四季がくっきりとした変化を生み出しているのです。
また、また島国であることで固有種が多く残っていることも特徴的で、生物多様性の豊かさが、色とりどりの景色を作っているとも言えます。
先ほど、世界との気候の違いについて触れましたが、同じ日本の中でも地域ごとの地理条件によって特色のある気候が形作られていることも忘れてはいけません。日本の中にも多様な気候があるのです。
このように、日本の四季は独特な地理的な条件によって、他にはない特徴を持つようになっています。
日本の春が育む感性
そのような四季を持つ日本人は古くから自然を敬い、自然と共に生きてきました。そのため、四季の変化を単なる自然現象としてではなく、神々の恵みや祖先の霊魂からのメッセージとして捉えてきました。このような自然への畏敬の念が、日本人の繊細な感性や豊かな文化を育んできたのです。
こうした感性は、四季折々の風景を題材にした文学や芸術を数多く生み出しました。例えば、俳句や和歌では、桜、紅葉、雪など、季節の移ろいを表現した言葉遊びが盛んに行われてきました。また、浮世絵や襖絵などの絵画でも、四季の風景が美しい表現で描かれています。このように、四季は日本の文化にとって重要な要素であり、日本人のアイデンティティの一部を形成してきたのです。
百人一首にはこのような句が残されています。
桜が散る様子を、桜はなんでこんなに慌てて花を散らすのだろう、と人のように見立て、春の過ぎるのを惜しむ心を詠っている、まさに日本人らしい感性が1000年以上も前から育まれていることを知ることができます。
Cくん:そうなんだー、やっぱり日本て特別なんだね!
父:そうだね、特別とも言えるけど、日本の場所がたまたまここにあったから、とも言えるよね。日本が特別なのは偏西風とか季節風、海流のおかげで言われていたけど、そういうものがどこからきているか考えてごらん。
Cくん:知ってるよ、日本の梅雨はヒマラヤで生まれた風の影響なんでしょ。探究学舎で習ったよ。
父:おお、よく知ってるね。黒潮は北太平洋をぐるっと一周しているし、冬の季節風は中国やロシアの方から吹いてくる。つまり、梅雨だけでなく、日本の四季は、世界中のいろんな場所のおかげで生まれている、ということなんだ。だから、日本の四季は特別とか、優れているとかいうのではなく、四季の変化を感じる条件がそろっていた、ということだよね。
Cくん:そっか、日本って、世界のいろんな場所とつながってるんだね。
父:それに地球の気候はずっと一定だったわけじゃないよね。氷河期が訪れたりするのも地軸の傾きが変化したことが原因だったりする。大陸そのものも動いてるわけだし。そこで生じた地形の変化や生物相の変化の積み重ねで今がある。
Cくん:恐竜の時代は暖かったんだよね。
父: そうそう。だから、日本の四季を眺める時には、ただキレイだなって思うだけでなく、太陽や地球の歴史や世界中のいろんな場所が作り出した奇跡なんだって、気持ちを持って眺めてみると、また違った感動があるかもしれないね。
それに、四季のある国は他にもあるしそれぞれの風土が作り出した日本にはない景色がある。アフリカは雨季と乾季の2つの季節にわかれるけど、あの雄大な景色は日本では見られない。どっちがキレイとかってことじゃない父ちゃんは思う。
世界から見る自然と人間の多様な繋がり
春を祝う気持ちは世界共通
もちろん日本の四季を愛する心は日本人として大切にしていきたい文化です。春に満開の桜を愛でることは、多くの日本人にとって心の糧となる大事な時間だと思います。
しかし、春の訪れを喜ぶ気持ちは、決して日本人だけのものではありません。世界中の人々が、それぞれ固有の文化や感性を通して、春の訪れを祝い、自然の恵みに感謝してきました。
キリスト教圏では、春にはイースターというキリストの復活を祝う祭りがあります。これはもともとヨーロッパ諸族の間で春の到来を祝っていた祭礼が起源と言われています。
インドではホーリーと呼ばれる、色とりどりの粉をかけあうカラフルなお祭りがあります。これはヒンドゥー教の豊作祈願のお祭りが起源と言われます。
このように、世界各地には、春を祝福する様々な文化が存在します。
気候が生み出すそれぞれの感性
確かに、日本人は古くから四季を大切に育んできた文化を持っています。日本の独特な地理的な条件は、四季の変化を特に鮮明に感じさせてくれます。春夏秋冬、移ろいゆく自然の中で、人々は様々な感情や想いを抱き、それを文化や芸術作品に表現してきました。
しかし、それは決して他の国の人々よりも優れているという意味ではありません。むしろ、それぞれの地域が持つ自然環境や歴史、文化によって、そこにしかない感性が育まれてきたと言えるでしょう。
ヨーロッパの地中海沿岸地域では、温暖な気候と豊かな自然の中で、開放的で明るい文化が発達しました。一方、北米大陸の厳しい自然環境の中では、力強さや生命力を感じさせる文化が育まれました。
安成哲三氏 (2023) は、ヨーロッパとアジアにおける植生の歴史の違いが、それぞれの文化や精神性に影響を与えた可能性を指摘しています。
つまり、ヨーロッパでは一度氷河期に植物がごっそり死滅してしまったために、植物種がとても少ない。一方、日本では死滅した経験がないので、いまではヨーロッパよりも植物種や生物種がとても多い、と言えます。古いデータではありますが、例えば広葉樹では5倍も種が多いのです。
この生物多様性の違いは、それぞれの文化や精神性にも影響を与えたと考えられます。ヨーロッパの人々の文化的な精神性は、変化の激しい環境への適応と、限られた資源の有効活用という側面が強いかもしれません。一方、アジアの人々の文化的な精神性は、自然との共生と、多様な価値観の尊重という側面が強いかもしれません。
世界はつながっている
このような地域に固有の成り立ちに加えて、現在でも地球上のあらゆる場所が相互に関係しあって気候を作りだしていることも忘れてはいけません。
例えば海流は日本の周りだけにあるわけでなく、例えば黒潮は太平洋をアラスカからアメリカ西海岸まで流れてまたフィリピン付近を通ってから日本に帰ってくる。この大きな流れの中にもまた小さな流れがいくつも存在していて、それぞれが影響しあっていることがわかります。
偏西風は地球の自転が生み出す地球全体の大気循環の一つです。蛇行するように地球を周回していますが、ヒマラヤ山脈・チベット高原が偏西風を二つに分け、そのはざまに生じる寒冷な空気と湿潤な空気のぶつかりが梅雨前線を作り出します。
日本のコメ作りや里山の植生の多様性は梅雨の雨が支えているともいえます。
日本の春がなぜこのような姿なのか、それを説明するにはあまりに多くの要素が構造化され相互に影響し合っており、一つの事象からだけでは説明しきれません。このような考え方を「複雑系」と呼んだりします。
ここまで、春の訪れを、文化や感性といった人からの視点と、気象・天体という大きな視点の両方から眺めてみました。
今挙げたものは春という現象の一端にすぎません。まだまだ果てしない探求の旅は続きます。
さあ、再び里山へと戻ってみましょう。
里山に暮らす人々の春の営みがどのように見えてくるでしょうか。
里山の春 ~田植えと春祭り~
暮らしを支えてきた里山
日本人の感性は日本の自然が育てたもの、と言えますが、日本人が古くからその四季折々に向き合って暮らしてきた、その器として利用してきたのが里山だと言えます。
里山は、山そのものだけでなく、ちょっとした森のようなものも里山と称していたようで、山と川、集落と田畑など生活の基盤となる一体を指していたようです。
この里山でとれる山菜や獣・魚などの食材や、肥料や建材となる植物資材、薪などのエネルギー源としての利用を持続的に最大化するために、計画的に手入れしてきました。
日本では都市開発が進むにつれ、里山が減り、かつてのような自然と人間がつくってきた関係ではなくなってしまいました。
しかし、地方の山間部ではまだその姿が残っていることがあります。里山リベラルアーツのある集落もその一つ。
里山の季節感を知る上で、「暦」というものが大事な概念になります。
恵那の有志が発行するフリーペーパー「ゑなの結」は、ここ恵那の二十四節季の自然の営みや人々の豊かな文化を解像度の高い視点で綴っています。
季節をより繊細に区分けした二十四節季は、主に農作業の目安として生活に根差した暦です。里山の残る恵那付近では、暦を大事にする暮らしが今も見られます。
その中心になるのが稲作です。
お米は特別、だから
Cくん:父ちゃん、今年も田植えするの?
父:おお、今年もやるぞ!
Cくん:やっぱうちでとれた米って最高に美味いよね!
父:それが楽しみだよな。今度、集落の神社で春祭りがあるから、そこで豊作を祈ってくるよ。
Cくん:春祭り!?屋台とか出るのかなぁ(わくわく)
父:そのお祭りとはちょっと違うんだ。小さな神社で神官さんが祝詞を読んだり、玉ぐしをささげたり。豊作を祈るのもそうだけど、地域の人達が集まって顔を合わせる大事なお祭りなんだ。
発芽条件のそろう自然のサイクルに合わせ、里では田植えの準備が始まります。
田植え、と言ってもすぐに田んぼに稲を植えるわけにはいかず、田おこしから、水をためて代掻き、苗づくりなど、準備に要する時間も多いのです。
この地域では、米を栽培して生計を立てる専業の米農家はほとんどいません。米農家として生計を立てるには最低でも10ヘクタール(東京ドームのグラウンド8個分弱)は必要とされていますが、ここら辺ではその30分の1ほどの小さな田んぼばかり。ほとんどが自給分と、遠くの親戚にわけたりするぐらいです。
近所の人たちは、米作ったって、買った方が安いくらいだよ、と嘆いています。
それもそのはずで、もともと販売用に作っていたわけではありません。米は生きるための糧であり、社会の一員として暮らすための租税のためでした。
かつては「結(ゆい)」と呼ばれる、村の共同作業で作っていた米も、大きなトラクターやコンバインが普及して、それぞれの家で作るようになりました。
しかし、それらの機械を購入する金銭的な負担はもちろん、小さな田んぼとはいえ個別で作業することで一人一人の負担が非常に大きくなってきました。
でも不思議と作ることをやめません。なぜでしょう。
日本に米が伝わった時から、米は信仰の対象であったことはうかがえます。
さらにさかのぼると、中国南部で稲作が始まってから米はずっと信仰の対象であったとも考えられます。中国から西に米が伝わったタイの山村では今でも米への信仰が篤く、稲作と儀礼はセットになっています。
このことから米は信仰とともに日本に伝わったのではないかと推測できます。
当初の儀礼がどのような形であったか伝えるものは残っていませんが、現在儀礼として定着しているのが春の祭祀です。
集落の人々が集まって、神社に参拝をし、豊作や一年の健康を祈ります。
稲作が個々の家庭で行われるようになって近所づきあいも昔に比べたら希薄になった今、なおのことこのお祭りが集落の人々のコミュニケーションの場として、貴重な機会になっています。
自然を感じることがもたらすもの
このようなアジア的な豊かな自然と人の共生文化について、安城氏はモンスーンの影響によって成立したと主張します。
先ほども触れましたが、日本独自の自然文化とは、海流や地形、モンスーンといった日本を取りまく様々な条件が重なり影響しあってできた産物であることは示唆的です。
人々とどのような言葉を交わすのかも、自然条件によるインプットによるところは大きいでしょう。
そして私たちはこの地球上に生きる限り、太陽の入射角や、地理地形によってその営みが規定されてきました。
春という天文的な季節のサイクルが生み出すダイナミズムの中で、それらを利用しながらミクロな単位で生命を動かしている植物や生物が生態系を構築していることは、生命全体の循環エネルギーそのものと言っても過言ではありません。
これらは季節感の薄れた都会ではなかなか感じにくいかもしれません。もともと自然の一部である私たち人間が、自然と切り離された暮らしをしているのはまさに「不自然」だと言えます。
そう思うとコミュニケーションが希薄な現代において様々な行き詰まりが見えることは、人間のコミュニケーションもまた生命維持のための仕組みであることを意味するのでしょうか。
里山は、まだかろうじて自然と隣り合わせの暮らしが残っています。里山に触れることで、太陽光や風、土などの自然の力を感じることができます。また、植物や動物の多様性に触れることもできます。
そして、人と人とのコミュニケーションが残っています。ここは私たちの未来に何が必要かを理解する場所なのかもしれません。
里山リベラルアーツが目指すもの
このように「里山リベラルアーツ」は里山を舞台に、私たちの生きる世界にかかわるものごとを分野を超えつなぎ合わせ、自然の中で学び、自分で考え、人と語り合い、成長する学び舎です。
ここでは、固定観念を解き放ち生きる力を育むリベラルアーツの精神に基づき、ESD教育、環境教育、食育などの実践から、里山から見た社会科学・人文科学・自然科学の知的探求まで、横断的な学びから新たな目で見直し、さまざまな価値観をメタ認知することで、世界と自分がどのようにつながっているのかを学びます。
私たちは、予測不能な未来に対応するため合理的な思考と非合理的な自然界が交差する地点に立ち、未来を生き抜くための学びを探求します。
里山リベラルアーツは、多くの人と語り合い、他者との違いを理解し、共生する社会を作り出すハイブリッドな思考法を提案していきます。
豊かな学びの旅へ!
参考文献
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