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【舞台】三谷幸喜脚本『オデッサ』感想

注意:標題の演劇について、重大なネタバレは避けて書いているつもりですが、「一切内容を知りたくない」という方はお引き返しください!

三谷幸喜さんが脚本を手掛けた演劇『オデッサ』を観てきました。とても面白かったので、感想を書いていきます。

あらすじ

舞台となったテキサスの街が名前になった、ある老人の殺人事件の捜査を描いています。主軸となるのは事件関与の疑いがある日本人旅行客への取り調べです。ところが取り調べられるのは英語を話せない日本人、取り調べるのは日本語を話せないアメリカ人と言葉が通じないため、日本人留学生の青年が通訳として雇われます。やがてその通訳は、旅行者が自分と同じく鹿児島にルーツを持つこと、そしてどうも容疑者が無理に犯人たろうとしていることに気が付きます。通訳が旅行者に同乗して彼を守ろうとし始めたことから、取り調べがおかしな方向に展開していきます。

複層的なプロットの面白さ

メインプロットは「犯人は誰なのか?」「旅行者はなぜ逮捕されようとしてるのか?」を明らかにしていくというものです。しかし、旅行者が自分に不利な偽りの供述を繰り出してしまいます。そんな彼の逮捕を善意から阻もうとする通訳は、どうも偽りらしい彼の日本語の供述を、更に偽って荒唐無稽なストーリーを英語ででっち上げます。そしてそれを警部に聞かせるのですが、警部はそれが信じられないものだから苛立ちを増して旅行者を問い詰め、旅行者はさらに供述をヒートアップさせていく…という様相で、会話のすれ違いがややこしく積みあがっていきます。要旨を切り出すだけでも複雑な会話劇ですが、その会話を面白くおかしく身ぶり・話しぶりで作り上げていく三者のぶつかり合いが熱いです。
こうしたメインプロットに加えて、アメリカに暮らす2人の背景がもたらすサブプロットにも引き込まれます。日本からはるばる渡米して異国の地で生きていこうとする通訳者や、ここが母国のはずなのにその母国に馴染もうとする移民2世の警部の葛藤が、旅行者との交流をきっかけに紡ぎ出されてくるのです。

通訳の「中途半端な言語」:英語学習者として、故郷を思う者として

後半はたったの一言で事態が大転換して、そこからは息もつかないことになっていきます。ここですごく印象に残ったのは、通訳者がその中で突きつけられた「二重の意味(鹿児島方言+英語)で中途半端な話者」としての問題で、何だか共感してしまいました。
個人的な話ですが私は英語を学ぶ身で、英語が使われる世界にぼんやりとした憧憬を抱き、そして留学経験を経て少しだけ英語が使えるようになっています。だからといって英語圏で現地の人のように生きていくことはできません。また私は今は関東で暮らしていますが、元々のルーツは仙台・宮城であり、そこでは祖父母やその周りの人たちがコテコテの方言を話して生活しています。東京で働きつつ、時々は望郷の念や懐かしさに駆られることもありますが、本当の意味で私が祖父母のように生きていくことはきっとできないのだと思っています。
話を戻すと、こうした場面で通訳者の演技をしてみせた柿澤さんの、明るさ・エネルギッシュさの中に見え隠れするイノセントな憂愁や、内にこもる葛藤にすごく惹き込まれました柿澤さんのことを知ったのは『鎌倉殿の13人』に出てきた鎌倉殿・源実朝の柔和な姿でだったのですが、こんな役もできるのですね。次に彼が主演する『ハムレット』も観に行く予定なので、とても楽しみです。
それと、これは蛇足ですがパチンコが通訳の「中途半端に熟達した言語」のアレゴリーになっているのかなと思いました。

宮沢さんのどんどんボロを出していく警部役、迫田さんの真実の見えにくい怪演も光っていました。大河の3人のこんな共演を見られて、そうした意味でも嬉しかったです。

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