猫が枯れた草を食んでいたので、猫草を作った。 3パック780円で販売されている自家栽培猫草キット。近くのホームセンターでは生え生えの猫草がひとつ298円で売られているので(近所はそこしか売られていない。足を延ばせば198円で売っている店もあるがひとつ買うのにわざわざ出向くほどでもない)、手間を惜しまなけらば安い。 でも、なんでか手間に感じる。 手間に感じるから、猫草が枯れ細ってしまうまで放置してしまうのだ。 猫、ごめん。 とはいえ猫草を作るのなんて本当に簡単なことだ。
ノンフィクション作家の佐々涼子さんが亡くなられた。 彼女の作品がとても好きだったので本当に悲しい。 次の作品が出るのを今か今かと待っていたけれど、もう刊行されることはないのだ。 悪性脳腫瘍で自宅で息を引き取られたという。 すこし前に彼女のインタビュー記事を読んだばかりだったけれど、2022年から闘病していたそうだ。 ノンフィクションを書くのはとても体力がいると話されていた。事実を正しい事実であると伝えるために一方向からの話ではなく多方向から検討され、わかりやすく、誤解のな
五十肩ですね、と言われた。 整形外科で、老齢の医師にレントゲンを見ながらしっかりと。 「おう、やっぱりか」と思う。 変だなとは思っていたのだ。 四十の中頃にも同じような感じがあって、四十肩かな?と思って過ごしていたが、それも数年経って静かに消えた。 今回も同じように痛みが出始めて、今度は(年齢からみて)五十肩かな?と思ったのだが、前回と違うのは痛む範囲がどんどん広がっていくってこと。 鈍い痛みが上腕から二の腕にまでじわじわと広がっていき、痛みというか重たい感じ。 ずうぅ
まったくどういうつもりだと思うのは、ほとんどが些細なことだ。 たとえば今朝なら。 洗面台の窓は猫が出て行ったら困るからその場を離れる時は閉めてね、と伝えているのに開けっ放しにすることを繰り返すことだったり(昨日、改めて閉めて欲しい理由を伝えたばかりなのに)。 または、数日前の朝に「俺のパンツがない!」とシャワーから出た夫が、洗濯物干しの前で騒ぎ立てていて、それは洗濯のために畳んでしまったのだけれど「シャワーを浴びたらここでパンツを履くのがルーティンだから取り込まないで」
「居酒屋におでんを食べに行こう」 その日の夜はおでんだった。それを食べながらのひと言。 「すすきのにある本当においしいおでん居酒屋、おれ知ってるんだ」 若いころによく通っていたらしい。そういえば彼はすすきのに住んでいたんだった。 いや、心の裏側見えすぎなんだけど。 たしかに煮込みは浅かったと思うよ。でもメインはおでんじゃないし。 付け合わせみたいな気持ちだったし。 仕事している途中で思いついたから煮込んでるの昼からだったけど、さっきも言ったけどメインじゃないし。 「作
日曜日の正午。昼ごはんは各々好きな物を食べて、テレビの前でまったりしながら、録画をした『世にも奇妙な物語』を見た。 あんまり怖くなかったね、なんて言いながら茶碗を片付ける。窓の外には青空が広がりどこかに出かけたくなるような気分になるけれど、生憎午後の予報は雨。 室内干しで湿度のあがった部屋は、ほんの少しだけ不快指数が高まっている。 お腹が膨れて横になりたいと思ったが、ソファーには夫と息子が座っていたので、クッションをひとつだけもらい、無垢材のフローリングに横たわると猫が来た
年に1回あるか無いかの東京出張に駆り出された夫は、クライアントとの打ち合わせで「正直、失望しました」と言われたらしい。 相手がどんな気持ちでその言葉を使ったのかはわからないが――多分本当に心からがっかりしたからなのだろうけど、普通あんまり人にぶつけるような言葉ではない――、夫の気持ちにはがっつりと刺さったみたいだ。 そもそも夫はマネージャーという職にあり、クライアント業務を事業所内で円滑に回していく必要がある。業務が円滑に進まなければマネージャーに厳しい指摘がされ、改善を
この春、息子が中学にあがった。 上の娘とは七つ齢が離れている。娘と夫に血のつながりはない。 だからこそ私と娘との関係は常に密だった。息子との関係が希薄だったわけではない。 でも、息子の右手に母親がいて左手に父親がいるとしても、娘にしてみれば左手に母親はいるけれど右手は宙ぶらりんの状態。 足りないものがあると思わせないように、時々両手を握ってやる必要があった。息子には肩車をしてくれる夫がいる。 そんな関係で長い年月が経ち、去年、娘が家を巣立った。大学生になり、親元を離れた
夫婦のことを書いてみよう。 14年目の結婚記念日に、そんな決意をしてから、一文字も書かずに二ヵ月が経過した。 記録しておこうといいながら、日々があまりに忙しくて――家事と育児とネトフリと食べ歩きと、卒業と入学とドライブとフォートナイトと、授業参観とPTAと読書と猫まみれで――、気づけばもうゴールデンウィークも直前。時間の使い方を本気で考えた方がいいかもしれない。 だからほとんど駆け足でこれまでを書くことになるのだけど、結婚記念日はなにかを買ってきてくれた。なにか……もうすっ
いつだったか忘れてしまったけれど、コロナ禍のいつか、たしかに離婚の話し合いをした。 五十歳を見据えて、もうこの人とやっていくのは無理だと思った。辛くて苦しくて、この先の人生をそんな風に過ごすのは耐えられない。関係を再構築するために仕事を辞めて家に入る選択をしたのは、結局のところ誤りだった。この人は変わらない。四十代も半ばに差し掛かり、もう変わりようがないのだ。 結婚してから二度、大きな話し合いをした。 彼はそのたびに言った。 「俺、変わるから」 そして結局変わらなかった。