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この春、中学生になった息子は

この春、息子が中学にあがった。

上の娘とは七つ齢が離れている。娘と夫に血のつながりはない。
だからこそ私と娘との関係は常に密だった。息子との関係が希薄だったわけではない。

でも、息子の右手に母親がいて左手に父親がいるとしても、娘にしてみれば左手に母親はいるけれど右手は宙ぶらりんの状態。
足りないものがあると思わせないように、時々両手を握ってやる必要があった。息子には肩車をしてくれる夫がいる。

そんな関係で長い年月が経ち、去年、娘が家を巣立った。大学生になり、親元を離れたのだ。

そして息子との蜜月がスタート。

娘にかけていた時間を息子にあてるようになり、
思うままゲームをしたり、気の向くまま電車を乗り継いだり、行き当たりばったりでおしゃれなカフェに入ったりした。

これまで視野に入れることのなかったアクティビティにチャレンジしたり、そのために方々車を走らせてキャンプをしたり、寂れた野山を分け入って絶景を見たり、様々なことをやった。

これでもかという程の濃密な一年間を過ごし、彼は中学生になる。

「中学生になったら部活があるから気軽に出かけられなくなるね」
あらかじめそんなやり取りはあり、当然ながら覚悟は出来ていた。

しかし実際、中学生になるよりも前、小学生を卒業する頃から彼はすでにソワソワしていた。

スーパーに行こうと誘っても家に居たがるようになり、休みは親と出かけるよりも友達を選んだ。
夜に一緒にやっていたゲームを「やりたい」と言わなくなり、開通したてのLINEを常時気にするようになった。

ニキビが吹き出し、食欲が増え、背が伸びた。
声変わりし、反応が薄くなり、指示されることに疎ましそうな態度を取るようになった。

一年間存分にひとりっ子を味わった息子は、楽しいと思っていたおもちゃが急に色褪せて見えるように、母親と過ごす時間への興味を急速に失っていった。

桜も散り、初夏の陽気に包まれるある日、広く続く青空の下を散歩したいなと思い立ち、ふと気づく。
息子の歩幅に合わせて歩き、息子の速度に合わせて走り、抜いたり抜かれたりしながら歩いた道のりや、フェンスに顔を押し付けて眺めた行き過ぎる電車や踏切の音色、茜色に染まる街並みとまだ薄く雪を被った山々――そういったものが、もう上書きされることのない思い出になろうとしていることを。

***

不慣れな4月を過ごし、5月になってようやく中学生の日々にも慣れてきた息子は、英語の授業が嫌いだとこぼしている。
四線からはみ出しただけで✖をつけられただとか、嫌みを言われて辟易するというようなことを。
部活動はバスケにしたが、新入生が2・3年生を合わせた数よりも多くてレギュラーを取るためには頑張らなきゃならないとか、部活動のせいでゲームをする時間が少ないとか校外学習でどこに行くことにしたとか誰と同じ班になっただとかいうことを。

そういった様々を、友達とのオンラインゲームでのやり取りからさりげなく収集している。聞く耳を立てているんじゃない。うるさすぎるだけ。
情報が洪水のように流れ込んでくる。

ねぇ、ママ
ねぇ、ママ
と言っていたあの小さな男の子の姿はもうどこにも見当たらない。

朝、身体よりも大きなリュックを背負い、まだパリパリに新しい制服に身を包んだ息子は、26.5cmの靴を履いてくるりとこちらに向き直ると、両腕をさっと伸ばしてくる。

――行ってきます。

小学生から続く習慣を、まだ厭わずにやってくれてありがたい。
あとどれくらい続いていくかわからないけれど、息子が嫌がるまでは続けていけたらいいなと思う。

行ってらっしゃい、そう言ってまだ華奢な身体に腕を回すと、シャンプーの香りがふわっと漂ってきた。


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