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完璧な日曜日

日曜日の正午。昼ごはんは各々好きな物を食べて、テレビの前でまったりしながら、録画をした『世にも奇妙な物語』を見た。
あんまり怖くなかったね、なんて言いながら茶碗を片付ける。窓の外には青空が広がりどこかに出かけたくなるような気分になるけれど、生憎午後の予報は雨。

室内干しで湿度のあがった部屋は、ほんの少しだけ不快指数が高まっている。
お腹が膨れて横になりたいと思ったが、ソファーには夫と息子が座っていたので、クッションをひとつだけもらい、無垢材のフローリングに横たわると猫が来た。ごろごろと喉を鳴らす猫を撫でながら、訪れるまどろみに身をゆだねる。
――まだ雨が降らないね
頭上にそんな言葉が通り過ぎた気がするが、ガラス越しのように遠い。

悲しいことも特段心躍ることも起きない、なんてことのない休日。
でも、最高に幸福だと思った。
二十代や三十代ならもっと、焦れるように「なにか」を求めていた気がする。
けれど、夫と息子と同じ番組を見て笑って過ごす時間はあまりに平和で、贅沢すぎる。完璧な日曜日だ。

そんな幸福を感じている内に、すっかり眠ってしまったらしい。

「ねえ、どれ使ったらいいの?」
息子が大声で何かを問いかける声がして、目覚めた。それを、卓球のラリーみたいな高速で夫が返す。
ママに聞きな――、と。

そういえば息子に週末の仕事として、トイレ掃除をしておくよう伝えてあった。みんな嫌がるトイレ掃除を。
私だって好きではない。でも、汚いトイレの方が嫌だし、もちろん清潔な方がみんないいに決まっている。
普段の清掃は私がしている。でも夫も息子も言われなければやらない。言われても不服そうだし、一回は「えー」と不満を漏らす。

でも、あんまり不満そうにしていると私から、「あのさ、トイレを使うのは全員なのに、洗うのが特定のひとりなんてのはおかしいと思わない?『自分が使ったものは自分で綺麗にする』と学校で習ってきているはずだよね?生活していながら家事をしない選択なんてないんだけど」と、滔々と説教されることがわかっているので『一応の反抗』しかしない。

それで息子が忘れた頃にトイレ掃除をしていて、たまたま私が休んでいる間に始めていた。
言われなくても始めたのだしそのこと自体はなんの問題もない。でも。

「ねえ、どれ使ったらいいの?」
「ママに聞きな」
「ママ―!」

というやり取りで、幸福な眠りから一転、不快な目覚めとなる。

「ちょっと、『ママに聞け』ってなに?あなた(夫)が教えればいいでしょ」
「それであなた(息子)も。トイレ掃除なんて何度もやってるのに、何を今さら聞いてくるの。些細なことなら自分で解決しなさい、なんでも簡単に誰かに聞くんじゃなくて」

母親の不穏な空気に触れ、夫はあたふたと慌てだし、「まったく息子ときたら……」とディスり始めたのでまた逆鱗に触れる。

「いや、そもそも間髪入れずに『ママに聞け』がおかしいって言ってるの。あなたも父親なんだから、解決しなさいよ。しかもうたたねしている母親を指さして言う言葉?ねえ、あなたが寝てるのを叩き起こして同じことやっていいの?」

そんなやり取りを聞きながら、息子はトイレに戻ってそそくさと掃除を続行し始める。何を聞きたかったのか、問題が解決したのかもわからない。とりあえず間違った選択をしたことに気づいて身を引いたみたいだ。

夫と息子は似ている。
興味のないことはまったく覚えようとしない。雑巾の場所もトングの場所もシャンプーの場所も毎回聞いてくる。毎回聞いて、毎回忘れる。
洗濯機の回し方もご飯の炊き方もトイレの掃除の仕方も、毎回。

うんざりする。

それでも「仕方がない」と半ば諦めていた節はあるけれど、うたたねしている人間に向かって、考えたり努力したりを放棄する人間に優しく出来るほど人間が出来ていない。

さっきまで幸福だったから、その落差でがっかりが強くなり過ぎた。
小言がまるで止まらない。蛇口をひねるようにあふれ出し、幸福な日曜日を埋め尽くしていく。

空が暗い。窓ガラスに雨粒が落ちてきた。
予報通りだね、と夫が言う。
話聞いてるの?と小言がヒートアップする。

さよなら、完璧な日曜日。


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