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おでん居酒屋に誘われる

「居酒屋におでんを食べに行こう」

その日の夜はおでんだった。それを食べながらのひと言。
「すすきのにある本当においしいおでん居酒屋、おれ知ってるんだ」
若いころによく通っていたらしい。そういえば彼はすすきのに住んでいたんだった。

いや、心の裏側見えすぎなんだけど。

たしかに煮込みは浅かったと思うよ。でもメインはおでんじゃないし。
付け合わせみたいな気持ちだったし。
仕事している途中で思いついたから煮込んでるの昼からだったけど、さっきも言ったけどメインじゃないし。

「作らないなら文句を言わない」
料理を一切作らない彼に課したこと。料理なんて今どきクックパッドを見れば誰でも作れるというのに(息子だって作ってる)、「作れない」の一点張りで絶対に作ろうとしない夫だ。
そのくせ、「味が薄い」とか「口に合わない」とか言ってくるのが腹立たしく、「文句を言うなら作らない。作って欲しいなら文句を言わない」と約束させたのだった。

そのせいでこんな回りくどい言い方をしてくる。
四十代ならそれが嫌味に聞こえた気がする。五十を過ぎたらささいなことに目くじらを立てることがなくなった。嫌味だと受け取るのも、そんなことをチクチクと指摘するのも、疲れるから。
それで、「おでんおいしくなかったんだな」と思う。

「おでん居酒屋行きたいけど、お酒飲めないから行けない」というと、「それはもったいない。居酒屋のおでんは不思議とおいしい」という。

うん、知ってる。行ったことがないわけじゃない。ただ、行けないんだ。

二十代に、焼き鳥とおでんがメインの居酒屋でアルバイトをしたことがある。友人の親が新しく店を出すことになり、その頃、デザートの受注販売をしていたのを知ったオーナーから、お店にデザートを納品して欲しいと言われていた。その流れで「ついでにホールを任せたい」ということになり、約2年ほど働くことになったのだった。

人気の店だから商品のおでんを食べることはほぼ叶わなかったのだけれど、たまに客に出すには忍びない崩れた大根やたまごなんかをおこぼれでもらうことが出来た。それがとても美味しかったのだ。

だから居酒屋のおでんの美味しさは知っている。出来ればほかのお店のおでんも食べてみたい。セブンイレブンとかのコンビニおでんじゃなくて。カウンターでおでん鍋を眺めながら、あれとこれと、と選びたい。

でも、お酒を飲まない客を居酒屋は好まない。
これはアルバイト先のオーナーが散々言っていたことだ。

アルバイト先は口コミで話題となり、様々な媒体の取材を受けるようになった。ある時、いつも同じ画像では面白くないとデザートを載せたら、そこからデザートにも注目が集まるようになりさらに客が増えた。
『飲まないけどデザートを食べたい』客だ。

17時に開店すると同時に入って、デザートを頼んでいく客。若い女性が圧倒的だった。デートの一環で立ち寄るカップルもいた。
彼らはカウンターに座って大人しくデザートを食べ、終わると帰っていく。店の雰囲気が良いといってくれたり、和気あいあいと楽しみ、ほとんど30分程度で帰っていく。うるさくするようなこともない。

だというのにオーナーは、客単価が悪いと苦い顔をする。
「ここはデザート屋じゃないんだ」「居酒屋で酒を飲まないやつがいるか」と吐き捨てるように。

別にいいじゃないか。居酒屋と書くぐらいだから酒を提供する場だというのはわかる。でも、人の少ない時間帯に来て誰に迷惑をかけるわけでもない。ちゃんと商品を頼んで行儀よく食べ終えて、ささやかであっても売り上げに貢献している。
なのになんでそんなことを言われなきゃいけないのか。
「いいじゃないですか」と反論しても、「そんなわけあるか」と聞く耳をもたない。

そんなオーナーを見ていたせいで、私のようにお酒を飲まない人間がよそ(他の居酒屋)に食べに行っても厭われるに違いないと思い、行かないのだ。行きたいけど、行けないってこと。

そんな私の告白を聞いて、「え、大丈夫だよ!」と夫はのんきに言う。

「先に”お酒飲めないけど大丈夫ですか?”って聞けばいい。おれ聞いてあげるから」と、字面にすると守ってあげるような礼儀正しさ感じさせるが、実際の言い方は、「お酒飲めないやつダメって言わないよなぁ?あぁ?」みたいなヤンキートーン。

いや、いい年してイキり倒すのやめて。

まあ、今は昔と違って飲まない人も増えているし、飲まないことを公言しやすい世の中にもなったと思う。
ノンアルコールも市民権を得てるし。だからもしかしたら平気かもしれないね。

そう言ったら、嬉しそうにニコニコして、どこに行こうかとスマホをスクロールしだした。

目の前にある皿にたまごが真っ白なまま置かれている。
もう少し、煮込みたかった。


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