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今日も今日とて、お母さん。-陣痛編-

臨月、つまり妊娠36週を過ぎる頃になると妊婦健診は週に1回となる。
激混みの病院へ毎週行くことに多少しんどさはあったけれど、出産を終えた勇者たちが退院していく姿を見かけたりすると、まもなく私もあの人たちのようになれるんだ…!と奮い立つ思いになり、勝手に勇気をもらっていた。

臨月を迎えられたということは、いつでてきても大丈夫というところまでお腹の中で無事に育ってくれたということ。なにはともあれ、今日までお腹の中にいてくれたことにまずは感謝だった。

ただ38週を過ぎても尚、胎動がとにかく止まらなかった。外回転術で治したものの、逆子がまた逆子になることはそう珍しい話ではないらしく、私は内心ヒヤヒヤしていた。

妊娠する前から私は「もしいつか子どもを産むなら立会ってほしい」と夫に言っていた。夫ははじめあまり乗り気ではなかったけれど、私があまりにも強く希望するので立ち会ってくれることになったのだ。

夫が立ち会いを渋ったのは、自分の無力さを痛感することが怖かったからだそう。どれだけ私が痛がっていようが苦しんでいようが何もできず、ただその様子を見ていることしかできない状況を想像すると怖かったらしい。

一方の私は、二度とない誕生の瞬間を独り占めするのはズルい気がしていたから、立ち会いを希望していた。二人の子だから、二人で出迎えたかった。
「痛がる顔やいきんでる姿を見られたくない」みたいなのは全くなく、むしろ「可能なら全て、隅々まで見ててくれ!」と思っていた。
怖がる人を半ば強制的に立ち会わせたことは私のわがままだったかもしれないけれど、立ち会ってもらえて本当に良かったと思っている。私のお産は、絶対に一人じゃ乗り切れなかった。


だもんで夫は出産に立ち会えるよう、予定日を挟んだ一週間、仕事の休みを取り、そのときがくるのに備えてくれいた。
私はなんとなく「予定日ぴったりに生まれそうだな」という気がしていたのだが、勘なんていうものは当てにならないというのが世の常であるように、余裕で予定日は過ぎ、ピリッとも痛まないお腹で夫の休み最終日を迎えた。

オロナミンCを飲むと陣痛が来る。
ラズベリーリーフティーを飲むと陣痛が来る。
焼肉を食べたら陣痛が来る。
スクワットをしたら陣痛が来る。
床拭き掃除をしたら陣痛が来る。

ありとあらゆるジンクスを試してみたけれど、陣痛ははじまらない。

子のタイミングがあるんだから焦ったって仕方がない。わかってる。わかってるんだけど、立ち会えるタイミングで出てきてほしいという気持ちが抑えられない。
「仕方がない、仕方がない」と自分に言い聞かせながら、あまり好きではないオロナミンCをガブ飲みしていた。

お産を通して学んだことと言えば、“自分の思い通りにならない現実を受け入れる”に尽きる。
私はこれがとても苦手で、今までなんとか自力で、または周りの手を借りて、ほぼほぼ自分の思い通りにことを進めてきた。
だけど妊娠出産においては、思い通りにならないことが多かった。
その度夫に「試練だね」と言われ、私はギリリと奥歯を噛み締めながら、思い通りにならない現実を受け入れようと必死だった。


夫の連休最終日の夕方。
私たちは何を思ったか、キッチンの模様替えを始めた。ご陽気な音楽をかけて、あれこれ移動させたりリメイクシートを貼ってみたりと、どうせなら二人っきりの休日を満喫しようと楽しんでいた。
「リメイクシートって結構貼るの難しいねぇ♪」とか言いながら、あと少しで貼り終わるぞとワクワクしていたちょうどそのときだった。

…っ!!!!?!?!!


ちょ、待って…声がでなっ…動けなっ…


いでぇぇえええ!!!!!!!!!!!!!!


生理痛とは比べものにならないレベルの痛みだった。痛いというより重い。そう、重かった。一番近しい表現をするならば、お股から腕を入れられて、腰骨を掴んで引きずり出されるような感じ、というのが近い。骨いかれる感じのやつ。

突如リメイクシートの上に倒れ込んだ私に駆け寄る夫。息も絶え絶え陣痛アプリを開く私。
「はじまったっぽい…」
「!!…わかった」
普段あまり表情が豊かな方ではない夫も、このときは神輿を担がんばかりに興奮気味だったのがよく伝わってきた。

誰かが私の腰骨を引きずり出そうとしてくる間隔が10分間隔であることを確認し、病院に連絡をした。

「どうー?痛みは生理痛くらい?まだ我慢できそうなかんじー?」とぽやぁっと電話越しに聞いてくる助産師さんに「全然痛いです我慢できないくらい痛いです」と伝え、とりあえず子宮口の感じを診てみましょうというので、病院へ行くことに。

電話口で助産師さんから、「動けるタイミングでお風呂に入っておくこと」「なんでもいいから食べれるものを食べておくこと」と言われていたので、腰骨引っこ抜きマンが余所見してる隙に私はシャワーを済ませた。その間、夫は鶏もも肉を鉄フライパンでジューシーに焼き上げ、ちらし寿司をお皿に盛り付けてくれていた。今夜は模様替えをした部屋でこれらを食べる予定だったのだ。
さすがにお肉は食べられなかったが、実家の母が作ってくれたちらし寿司をむさぼり食べ、荷物を抱えて病院へ向かった。


いつも混んでいる病院も、夜は嘘みたいに静かだった。私はソファに倒れ込むように座り、先生に呼ばれるのを待った。
夫の手を握りながら、「こんなに痛いし間隔も短くなってきてるから、子宮口結構開いてきてるかもなぁ」と、まるで経験者の口ぶりで話していた。

診察室に呼ばれ、先生に子宮口の開き具合を診てもらう。

「どうー?結構痛い?」と先生。

「痛いですね…あーー痛いですーーーーーー」と私。

「そっかそっかー。んー?あれ、子宮口クローズだね」と先生。

子宮口…クローズ…?

クローズ?まじか…クローズか…てかクローズってなんだよ…こんなに痛いのにまだ入口にも立ててないってことなのか…!?

その後、夫も一緒に先生の話を聞きくことになった。
最終的に、このままじゃ最後まで私の体力が持たないだろうから、痛みを取り、体力を温存させたほうが良い、つまり無痛分娩に切り替えたほうが良いだろうという結論に至った。同意書類が渡された。

書類を前にし、私はとても悩んだ。
結論に至ったは至ったし、確かにこの痛みのままいつ開くともわからない子宮口が開くのをあと何十時間も待つことを考えたら気が狂いそうだ。でも私は経膣分娩の普通分娩を希望していた。異様なまでに。
『これを我慢して乗り越えてこその出産なのでは!?』と、もう一人の自分が訴えてくる。
こだわりをこじらせた私は気が付くと「すみません、産む前に麻酔を止めることってできますか」と、トンデモ発言を繰り出していた。
先生はトンデモ妊婦に優しくこう伝えてくれた。
「できなくはないよ。でもそんなことする人いないよ」
当然だろう。そんな人いないと思う。
だけど今ここでこの書類にサインしたら私は普通分娩じゃなくなる。いいんだろうかそれで…。

悩みに悩んだ。結果、私は同意書にサインをした。
先生は「もしどうしても麻酔を止めたいようならば、とりあえず明日の朝までは入れておいて、明日の朝また落ち着いて考えてみよう」と言ってくれた。


手術台というものに、生まれて初めてあがり、あとはもうあれよあれよと言う間に全裸に紙パンツみたいな姿になった。

手術台。無防備な姿。痛い。寒い。一人きり。痛い。怖い。

大きなお腹の妊婦に対して「エビみたいに丸くなって」という結構な注文を出され、必死に丸まっていると、何かが刺さり、そして背中をツーっと冷たい何かが流れていった。

そのときを最後に、腰骨引っこ抜きマンとはお別れをした。
この子を産むまでの最終カウントダウンがいよいよはじまった。

※※※

どんな分娩方法でも出産に変わりはないし、どれも奇跡的で尊いことだと、今ならよくわかります。痛い思いをしたからこそ…という謎の古びた呪いを、まさか自分でかけていたとは。
今回で生まれるところまで書き終えられるかと思ったのですが全然でした。良ければまた次回も読んでくれると嬉しいです。



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