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#147 二人旅、二つの景色 〜無伴奏独奏フルートが開く世界〜

僕は、「英語教師」「音楽愛好家」「AI 研究者」の3つの顔を持っています。6月最終週にはフランス、パリで開催された国際学会へ出張し、1つ目と3つ目に関係する「語学教育 × AI」分野の研究に多く触れてきました。
 学会はだいたい朝の9時から夕方の6時まで、午前に2つ、午後に3つ程度のプログラムがあります。そんな盛りだくさんな一日を終えてパリの街を歩く時に思い出したのは、音楽愛好家としての自分の感覚でした。

今日は友人のフルート奏者、宮戸美晴さんの演奏する無伴奏独奏フルートの演奏をご紹介しながら、パリへの旅が教えてくれた「二人旅、二つの景色」について語ってみようと思います。



ドキッとした瞬間

パリを訪ねるのは10年以上ぶりだったので、オランダからの国際列車ユーロスターが到着するパリ北駅に降り立っても、「パリに戻ってきたぞ」という感覚はなく、むしろ初めての場所に来た感覚がありました。ちょうどお昼時だったので、まず何か食べなくちゃ……と思いながら駅のコンコースを歩いていると、僕にとってとても意味のあるものが目に入ってきました。

パリ北駅の案内板〜ロンドン、セント・パンクラス行き列車が3本!

ただの列車案内なのですが、僕にとっては昔の友人にいきなりその場で出くわしたくらいのショックがありました。いつも僕のエッセイを、あるいは小説『Flow into time 〜時の燈台へ〜』を読んで下さっている方なら、ひょっとすると写真を見て何か分かったかもしれませんね。それは上の写真で示されている駅名「London St-Pancras」でした。

僕にはとても大きな夢があります。研究とは全く関係がなく、その夢が叶っても、社会的地位もお金も全く手に入りません。それは、下に引用した記事で書いた、「ロンドンのセント・パンクラス駅にあるストリートピアノで、昨年亡くなった KAN さんの名曲『1989』を自分でピアノ・ソロ(歌なし)にアレンジしたものを弾く」というとても具体的な夢です。ちなみに僕はピアノを習ったことは一度もありません。小説『Flow into time 〜時の燈台へ〜』では、現在の主人公アキに僕の夢を託し、一足先に夢に近いことを叶えてもらいました。

この駅名表示を見た時、「あっ……この夢、多分叶う」と直感しました。何気なく見上げた看板に「London St-Pancras」の表示が3行もあり、なんだか待っていてくれたかのように感じたからです。
 実は住んでいる最寄りのアイントホーフェン中央駅にも古いアップライト・ピアノがあり、度胸試しができます。そこで弾けるようになったら次は、電車で一時間ほど行ったオランダ、ユトレヒト中央駅にあるグランド・ピアノです。そこでもちゃんと弾けたら、満を持してロンドン、セント・パンクラス駅へ行きたいと思っています。一時帰国時には、自宅近くの西武所沢駅にもピアノがあるので、そこでも是非弾きたいです。といっても、数年計画になりそうです。

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二人旅、二つの景色

ここまでが、パリ北駅に着いて最初の10分ほどで感じたことです。ここで、ずっと昔、オーストラリアに留学していた1997年に書いた自分のエッセイの一節を思い出しました。当時のエッセイのテキストファイルはもう残っていないのですが、次のような内容でした。

恋人や仲間と一緒にいることを好む人もいるし、一人でいることを好む人もいる。しかし、すべての喜びも悲しみも、究極的には一人一人の心の中でしか感じられない。長年チームで一緒に頑張って何かを勝ち取った時の喜びも、よく見ると一人一人少しずつ違っている。
 それでも人は人と繋がっていたい。では繋がっている時に大切なことは何だろうか? それは一人一人がちゃんと尊重されていることだ。繋がることが、一人一人の違いを消してしまうような在り方では、おそらく真のしあわせは得られない。

恋人と二人で旅しているとして、車窓から同じ景色を眺めていても、心に浮かんで消えていくことは実は二人の間でかなり違う。旅の間じゅう、ずっと話して二人の世界をすり合わせようとするのではなく、二人で旅していても、それぞれがそれぞれの世界の住人と心の中で対話する時間を大切にしたい。二人旅、二つの景色……そして目的地の駅に着いたら、お互いの世界から戻ってきて、手を繋いでホームを歩いてこう言おう。
「お腹空いたね、何か美味しいものを食べに行こう!」

1997年に書いたエッセイの内容を思い出してみた

27年前の僕はこんなことを考えていました。今でもこの思いは変わりません。上に書いたような二人旅ができれば、かなり友人、恋人、あるいは夫婦上級者なのではないかと思います。

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無伴奏独奏の世界

ここまではあくまで「思想」で、「二人旅、二つの景色」を具体的に感じる方法が書かれていません。27年前は、そこまでしか考えが及ばなかったのでしょう。今回は、最近毎日のように演奏を聴いている友人のフルート奏者の演奏が、大きなヒントとなりました。宮戸美晴さんをご紹介します。

みなさんは「クラシック音楽」と聞くと、何を連想なさいますか? よく聴く方はそれぞれ好みのジャンルやエリアがあるはずなのでいいとして、普段クラシック音楽に接する機会が少ない人だと、やはり「ピアノ独奏」「オーケストラ」が真っ先に出てくる二つの形態なのではないかと思います。日本は今でもピアノを習っている人が多い国ですが、基本的に練習や発表会は「ピアノ独奏」が多いですし、中高の吹奏楽なども、分類するならば「オーケストラ」に近くなるので、その二者が出てくるのは自然かもしれません。

ここで、「無伴奏独奏」というジャンルをご紹介したいと思います。ピアノは複数の音を同時に出すことができ、伴奏的な音と主旋律的な音を同時に演奏することが多いので、ピアノ独奏は通例、無伴奏独奏には含めません。無伴奏独奏とは、単音あるいは数音までしか出せない楽器が、曲を通して伴奏なしで一人で演奏する形態の楽曲です。
 弦楽器、木管楽器、金管楽器など、おそらくほとんどすべての楽器のための無伴奏独奏作品が存在しますが、特によく用いられる楽器は、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、そしてフルート族です。最近では、フルート、ヴァイオリンなどのオリジナル作品を編曲してサクソフォンで演奏することも多いです。これらの楽器は、通常はピアノ伴奏で演奏することが多いですが、「無伴奏独奏」のコンサートでは、舞台に一人で上がって、最初から最後までを伴奏も指揮もなしで演奏します。100人を超える大編成のオーケストラを片方の究極形とするならば、反対側の究極形がこの「無伴奏独奏」だと思います。
 まずは演奏をお聴きください。音の細部が演奏の魅力なので、スマートフォンのスピーカーではなく、ヘッドホンやイヤホン、スマートスピーカーなどで聴いていただくのがおすすめです。

J. M. Hotteterre le Romain: 3e. Prelude. G. re, sol, 3ce. Majeure. Moderé.
"L'Art de Preluder sur la Flûte Traversiere, sur la Flûte-a-bec, sur le Haubois, et autres Instrumens de Dessus." op. 7
Flûte traversière: Miharu Miyato

J. M. オトテール・ル・ロマン:第3プレリュード ト長調《プレリュードの技法》より
フラウト・トラヴェルソ:宮戸美晴

上で、「フルート族」と書きましたが、これは「フルート」という名称が、国によって意味する範囲が若干異なることがあるためです。「フルート」の本来の意味範囲は、「リードや唇などの振動体を持たず、かつ複数のトーンホールの開閉で特定周波数の定在波の発生を促す管楽器の総称」です。
 楽器名で言えば、いわゆる日本でいう「フルート」(以降は単にフルートと呼びます)に加えて、今日話題となる「フラウト・トラヴェルソ」(以降はトラヴェルソと呼びます)、さらに日本では多くの人が小学校で経験する「リコーダー」を含めた全体が、本来の「フルート」の定義の範囲になります。

歴史的にはトラヴェルソが時代ごとの価値観に合わせて徐々に変化していきます。具体的に言うと、様々な調性の音楽が演奏しやすい指使いに変わり、そして次第に大きくなっていった会場での演奏に対応できるようにトーンホール径が拡大されるなど、それぞれの時代に合わせて変化し、今のフルートになりました。リコーダーは大音量化の影響を受けずに今日まで別の道を歩んできた楽器です。

演奏者に目を移すと、トラヴェルソはフルート奏者が演奏することが多い一方、リコーダーはリコーダー専門の奏者が多いです。ご紹介した宮戸美晴さんも、音楽大学学部時代は主にフルートを専攻され、卒業後は別の音楽大学で研究生としてトラヴェルソを主に学ばれて、現在はフルート、トラヴェルソ演奏をメインとして活躍なさっています。先ほどは長調の曲をお聴きいただいたので、今度は短調の曲をお聴きください。

J. M. Hotteterre le Romain: 3e. Prelude. C. Sol, Ut, 3ce. Mineure. Moderé. "L'Art de Preluder sur la Flûte Traversiere, sur la Flûte-a-bec, sur le Haubois, et autres Instrumens de Dessus." op. 7
Flûte traversière: Miharu Miyato

J. M. オトテール・ル・ロマン:第3プレリュード ハ短調《プレリュードの技法》より
フラウト・トラヴェルソ:宮戸美晴

無伴奏独奏を聴いていると、ピアノ曲やオーケストラ曲、あるいはジャズやロックなどの他ジャンルの音楽を聴いている時とは違う不思議な感覚に襲われます。それは、自分が「聴き手」でありながら、「演奏する側」にも回っているような没入感です。自分では楽器を演奏しない人も、この感覚があるのではないかと思います。
 さらに、お聴きいただいた演奏で分かる通り、無伴奏独奏は全体の音量が小さいため、特に管楽器の場合は、息継ぎの際の呼吸音やキーメカニズムが動く音などの要素が全部聞こえてきます。楽譜に書かれている音とそれ以外の音がすべて統合されて音楽表現を構成しているのです。無伴奏独奏の有名な曲をまとめたウィキペディアのサイトがありましたので、引用しておきます。

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無伴奏独奏と車窓の風景

ここで、「二人旅、二つの景色」に戻ります。車窓から外を眺めている時、何が目に入ってきて、何に注意を向けるかは、実は100%受動的な行動ではないはずです。自分がその時興味のあるもの、気になっているものを積極的に「探しにいく」ことによって、景色を見ようとしています。
 つまり、「いい景色が見える」と言いますが、実際には、実際に存在している要素の中から、「自分が見たいものを選択している」ということだと思います。このプロセスが、無伴奏独奏曲を聴く時の心の状態にとても似ています。

上の例だと、録音された宮戸さんの演奏を「聴いている」ようで、実は聴き手一人一人がそれぞれの心的状態に合わせて違う要素を「聴きにいって」いるのです。このことはもちろんオーケストラ曲にもあてはまりますが、取捨選択する要素が限られている分、無伴奏独奏は「聴きにいく」プロセスがやり易く、クラシック音楽にそれほど馴染みのない人でも無理なく「自分なりの聴き方」を組み立てていける音楽なのではないかと思います。

無伴奏独奏はその固いイメージの言葉の功罪か、クラシック音楽の中でも、「近寄りがたいマニアックな音楽」のオーラを出しているように思います。それは、とてももったいないことなので、今回は宮戸さんと相談して、記事内で演奏を紹介させていただきました。
 note および YouTube に上がっている宮戸さんの演奏は、すべて30秒〜1分前後と短く、気軽に聴ける長さです。かつ、録音の質もとても高く、よく見かける「〜を演奏してみました」という動画とは一線を画するクオリティです。多くの演奏を公開なさっているので、まずはこれらを聴いていただき、興味に合わせて他のフルート曲や他の楽器の無伴奏独奏曲に興味を広げていただければ、と思います。最後にもう一本、僕の好きな曲の動画を引用します。

J. M. Hotteterre le Romain: 2e. Prelude. C. Sol, ut, Tierce. Naturelle. Tendrement. "L'Art de Preluder sur la Flûte Traversiere, sur la Flûte-a-bec, sur le Haubois, et autres Instrumens de Dessus." op. 7
Flûte traversière: Miharu Miyato

J. M. オトテール・ル・ロマン:第2プレリュード ハ長調《プレリュードの技法》より
フラウト・トラヴェルソ:宮戸美晴

僕は2007年にフルート製造メーカーの海外営業担当として、音楽業界へ入りました。そのまさに入社時に、勉強を兼ねて聴きに行った演奏会が、宮戸さんが音楽大学時代に師事された先生の演奏会でした。あれから17年越しの縁を今日ここで繋いだというわけです。

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パリは、宮戸さんが動画で演奏しているジャック=マルタン・オトテールや、みなさんもよくご存知のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが活躍した街でもあります。
 今年のクリスマスまでに修復を終えるノートルダム大聖堂は、1345年竣工なので、オトテールもモーツァルトもあの大聖堂を見ていたわけです。先月末に撮影した修復中のノートルダム大聖堂の写真をご覧ください。オトテールもモーツァルトも、同じ場所にいたと思うと、時間が止まっているような感覚を得ます。

側面から見ると、2019年の火災被害が甚大であったことが分かる

そんな昔のことを思い、無伴奏独奏曲を聴いて自己の深いところに入っていく感覚は、情報が氾濫して、「何が自分の考えで、何が外から与えられた考えか」が曖昧になりつつある現代にはとても貴重なものだと思います。最後に、ゲストとして登場していただいた宮戸美晴さんにコメントをいただいて、今日の記事をしめくくりたいと思います。

【宮戸美晴さんよりコメントを頂きました✨】
無伴奏作品は音の数が多くないからこそ、その作品から紡ぎ出される音楽には、聴いてくださる方々の無限に広がるイメージが反映されると思っていました。

そして今回ささきさんのエッセイを拝読し、その考えがさらに一歩先まで進みました。それは、一つの音楽に対する聴き手の皆さまお一人おひとりの聴き方は異なり、聴いてくださった方々の分だけ音楽が存在するということです。YouTube で言えば、その再生回数が増えれば増えるほど、音楽の数も増えていくことになるでしょうか。

音楽作品には作曲者の何かしらの意図があると思います。そしてその作曲者自身の考えを追求する過程は、自分自身を見つめることにも繋がります。そういう意味で、ささきさんが書いてくださった「自己の深いところに入っていく感覚」は、私自身の無伴奏作品を演奏する時の心情にかなり近いものがあります。このような様々な要素を通して、皆さまには自由な感覚で演奏をお聴きいただき、そして少しでも何かを感じていただけましたら嬉しく思います。

最後に、ささきさんのエッセイの中で私の演奏をご紹介いただきましたこと、心より感謝申し上げます。

この記事は、フランス、パリからオランダ、ロッテルダムへと帰る列車の中で、時折車窓の風景を眺めながら執筆しました。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🎵🇫🇷
(2024年7月11日)

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