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【号外#5】 KANさんありがとう 〜よければ一緒に、バトンを引き継ごう〜

歌手の KANさんが亡くなった。ここしばらく、音楽家の訃報が続いたが、一番ショックだった。61歳、きっとガンを克服して戻ってきてくれると思っていたが、叶わなかった。実は先月には、かつて留学していたパリを訪ねていたらしい。難しいということが分かっていたのかもしれない。(写真は彼が学んだパリ・エコール・ノルマル音楽院



「KANさんという天才」

僕の note 記事ネタ帳の中に、「KANさんという天才」というトピックがあった。ドイツへ来る前にメモした。亡くなったのは11月12日なので、結局KANさんが生きている間に記事にすることができず、追悼記事になってしまった。僕が今主に聴く音楽は、ジャズの中のフュージョンというジャンルだが、中学生の時ビートルズに目覚め、その後本格的に音楽にのめり込んだのは意外と J-POP が入り口だった。

最も影響を受けたミュージシャンである谷村有美さんと同時期に登場したのがKANさんで、二人は交流もあり、同じラジオ番組(FM802 MUSIC GUMBO)も担当していた。高校生時代から30年以上聴き続けたミュージシャンが一人、いなくなってしまった。

歌手というより音楽家

KANさんというと、彼が1991年の紅白歌合戦でも歌った『愛は勝つ』が有名過ぎて、不思議な気持ちだ。長年のファンは、あの曲のおかげ(せい?)でKANさんが「一発屋」と評されることもあったことを苦々しく思っていたと思う。KANさんは、歌手というよりは音楽家で、本当の天才だったと思う。
 キャリアの途中でフランス・パリのエコール・ノルマル音楽院のピアノ科に留学したりもした。本人が語っていた通り、「ピアノ+歌」、あるいは「ピアノロック」の方法論でビリー・ジョエルに続き、世界観としてはビートルズを目指した、そんなアーティストだった。

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想い出の3曲を、歌詞とともに

思い入れのある曲はたくさんあるが、今日は3曲だけ、彼自身の演奏の映像と共に紹介したい。

TOKYOMAN(1993年)

パリのカオリは空を飛び 色白美人
昔俺に惚れてたのに 今や強気でこう語る
明日のことなど誰にもわからない
信じていればできないことはない

TOKYOMAN(1993年)より

この曲が大好きだったのは、僕の友人だ。彼はかつて自分の電子メールの署名欄に、「明日のことなど誰にもわからない 信じていればできないことはない」と、この曲の一節を入れていた。歌詞通り、彼と友人のカオリさんと僕の3人で将来の夢を語り合ったことがあり、彼はその時3人で話した全くその通り、夢を叶えた。この2行に勇気をもらった人がどれだけいただろうか、と思う。

よければ一緒に(2010年)

君が前からやってみたいってずっと言ってたこと
それは素敵そうに見えてやや難しいこと
もしも僕に手伝えること何かあるなら
よければ一緒に そのほうが楽しい

ぼくが一人でできることなんてなにもない
君と二人でできることならいくつもある
厄介なこと面倒なこと全部含めて
よければ一緒に そのほうが楽しい

よければ一緒に(2010年)より

今日は11回目の結婚記念日だった。そして、妻との結婚を決め、プロポーズしようと思ったのは実はこの曲がきっかけだった。「よければ一緒に その方が楽しい」この一節もたくさんの人を救ったと思う。「楽しい」が全体の要(かなめ)になっているところが素敵だ。何かを決める時は、「そうすべきだ」や「その方が得だ」ではなく、「その方が楽しい」が一番だ。

1989(ボビーとオリビアのバラード)(1990年)

この曲はあまりに偉大すぎて、歌詞の引用ができない。J-POPの国宝だと思う。本人の弁の通り、ご自分の過去と一部重なるストーリーを、ビリー・ジョエルの手法とビートルズの世界観で描き上げた作品。上の YouTubeのコメントのこの言葉が雄弁だ。引用させていただく。

あまり知られていない、知る人ぞ知る国宝級の名曲。この歌を知っているというだけで自分を誇りに思うくらい。素敵な映画を一本観たような気持ちにさせてくれる歌です。

上掲 YouTube コメントより

先の投稿「#79 やりたいことは、全部やる」で「どうしても弾きたい曲」と書いたうちの一曲は、実はこの曲だった。この曲を歌なしでピアノアレンジして、それを、特別な想い出のあるロンドンのセント・パンクラス駅のストリートピアノで弾きたい、というとても具体的な夢がある。「こんなことしたよ」と報告する相手がいなくなってしまった。でもきっとやろう、と思う。

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一度だけ観たライブ、もらったバトン

KANさんのステージは、一度だけ観たことがある。2000年に代々木第一体育館で1万人以上の観客を集めて行われた、Pacific Heaven Club Band のバンドマスターを彼が務めた時のステージだ。KANさんの曲は「言えずの I Love You」だけだったが、ビートルズのサージェント・ペッパーズのコスチュームで登場し、舞台中央のグランドピアノで演奏し歌う彼の姿がまぶしかった。「病気休業中」を抜け出してきた谷村有美さんも共演した。

KANさんは61歳だった。自分にあてはめると、あと11年。自分は限られた時間をちゃんと生きているだろうか、と自問する。ドイツに来て以来、スティーブ・ジョブズの「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」を考えることが多く、実は約2ヶ月前に、「毎日1時間は、人生最後の日にもしたいと思うことを、する」と決めて取り組み始めた。みなさんの目に触れるのは年明けになると思う。しかし、不思議な一致があった。

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僕がその、始めたばかりの「人生最後の日にもしたいと思うこと」をなぜか中断した唯一の期間が、KANさんが亡くなった11月12日の日曜日から、訃報が出た前日までの5日間だった。今日は自分の結婚記念日、この一致は忘れないと思う。そして不思議と、訃報を聞いた直後、「人生最後の日にもしたいと思うこと」の仲間から連絡が入り、明日活動を再開することになった。

多くの人がKANさんから何らかのバトンを受け取ったのだと思う。高校時代から30年以上聴き続けた僕のヒーローは旅立ってしまったが、記憶の中に、生き続ける。「明日のことなど誰にもわからない 信じていればできないことはない」「よければ一緒に その方が楽しい」とかみしめ、仲間と共有して、明日からも歩いていこうと思う。

日本ではもう11月18日になっているが、ドイツ時間で11月17日のうちに、この記事を投稿しようと思う。

(2023年11月17日:KAN(木村 和)さんの訃報によせて 〜 RIP)

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