#78 「ライブ」は文字通り「ライフ」に似ている
みなさんは音楽のコンサートやライブがお好きだろうか?僕は仕事でクラシックとジャズ・ロック双方に関わり、コンサート・ライブも観る側、出る側、主催する側の三者を経験した。先日、教師時代に担任をした生徒がソロ・ライブを開催したこともあり、今日は音楽の生演奏について想いを巡らせてみたい。
ドイツからリアルタイムで参加できたライブ
先日ソロ・ライブを開催したのは、僕が都内の私立中高一貫校に赴任した翌年から担任を持った学年の生徒だ。その学校では高校3年間は、クラス替えはあるものの、5クラスの担任メンバーが3年間を通して生徒を受け持つ。
高1学年が始まった当初から、彼女とした話のほとんどは、僕が教えていた英語の内容ではなく、音楽の話だった。彼女は高校の文化祭では有志とコーラスグループを結成、音楽大学進学後はミュージカル出演と、その活躍の場を広げていった。
初めから数えるともう20年以上彼女の歌を聴いている。いつも、「応援してくれてありがとう」と言われるが、それはむしろ逆で、20年以上も応援し続けられる人がいることに、本当に感謝している。
都内のライブハウスでソロ・ライブを開催するようになって6年目、これまでは毎年皆勤賞で参加していたが、ドイツにいるので現地での参加はできなくなった。しかし今はライブ配信というものがある。ヨーロッパと日本の時差はちょうどよく、日本でライブが行われている時間がちょうどドイツの昼休みにあたったので、ライブ配信をリアルタイムで視聴することができた。
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「時の芸術」であるがゆえ
先の投稿「#61 地下通路と彼女の犯罪歴②」で少し触れたのだが、生成 AI の登場以来、グラフィックデザイナーの仕事が激減している。音楽には「生演奏」という文化があり、ストリーミングがライブ演奏に完全に取って代わることがおそらくないのに対し、絵画はそもそも「目の前で描いて見せ、お金を取る」という文化がない。音楽が、技術の進歩にそれほど侵食されず生き続けていけるのは、時とともに消えてしまう、その「時の芸術」としての性質のおかげなのかもしれない。
ライブの聴衆は、消えていってしまう演奏を見逃すまい、聴き逃すまいと一生懸命ステージ上の演者に目と耳を凝らす。でも、ライブにはあと2グループ、時を賭けている人たちがいる。少し紹介したい。
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舞台袖のクルーに全てを任せて
音楽制作機器を開発・製造していた会社に勤めていた時は、社員のほとんどが何らかの楽器を演奏した。というか、新卒入社を希望する場合は、「楽器を日常的に演奏していること」がエントリー条件だった。
そして年に一度、来日アーティストが出演するような立派なライブハウスを貸し切って、「社内バンド大会」が行われた。食事時間のBGMのDJからライブ映像の撮影まで、それぞれの腕自慢の社員が担当した。僕は、サックス奏者としてフュージョン・バンドで三度出演した。
ある年、僕たちのバンドがトップバッターとなった。他の社員がまだオフィスで仕事をしている時間に会場に入り準備をした。他バンドのリハーサルの前のサウンド・チェックは僕たちの仕事だった。管楽器の音をマイクで拾い、ギターやドラムスなど音量の大きい楽器とバランスを合わせる作業はとても難しかった。いよいよ時間切れとなった時、その日の舞台監督が舞台袖から親指を上げた。
その日の一曲目は渡辺貞夫さんの Orange Express、ファンキーで明るいサックスの音が出るように絶妙な調整をしてくれた。感動的なステージは、例外なく舞台袖のヒーローたちに支えられている。
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最高の演奏は僕たちが守る
管楽器のフルートを製造する会社に勤めていた頃は、自社の契約アーティストのコンサートの企画・運営をした。思い出深いのはベルギーの著名なフルーティストに日本側からピアノ、クラシックギターが加わった編成のコンサートだった。
管楽器、特に木管楽器は演奏するにつれ、管内の湿度が上がり、キーをふさぐタンポ(パッド)と管体の間の粘性が増す。ざっというと、コンサート開始からアンコールの手前までをソロで演奏すると、指をフルートのキーから離してキーが戻ってくるレスポンスが悪くなる。さて、どうするか。
もちろん客席には社内の技術者が待機している。アンコール前の休憩に戻ってきたフルーティストは一言、「キーの戻りが悪い。バネを少し強くしてほしい」(僕は通訳)。技術者は応急処置的方法でバネ圧を上げ、早いパッセージの演奏に楽器がうまくついていくように調整し直す。数分後、奏者はまたステージへ。
自分たちの会社の楽器なので、奏者が「楽器のせいで思うような表現ができなかった」事態は許されない。客席からは楽しむというよりはハラハラして眺めるのが、主催者としての気持ちだった。
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なんだか人生に似ている
こう考えると、音楽の生演奏は人生にとても似ている。配偶者や友達は共演者で、両親や親戚たちは舞台袖のクルーといったところだ。楽器のコンディションを保ってくれる技術者は、医療や法務に携わる人たちだろう。
そして何より、たとえ夫婦や親子であっても、自分の人生は自分でしか生きられないように、ステージ上で自分の音を出すのは自分一人である。自分にしかできない、でも多くの人たちの助けがあって成り立っている、音楽と人生にそんな共通点を見出した、先日の教え子のソロ・ライブだった。
例年はライブ後、どの曲が良かったとか、あの演出が素敵だったとかの感想を書き送っていた。今年はステージを見て思ったことをまとめたこのエッセイを、素晴らしいライブのお礼として感想の代わりに渡そうと思う。素晴らしいステージをありがとう。これからもずっと応援します。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🎵
(2023年10月29日)