競走馬の馬主になった話
私がまだ社会人になって間もない頃。
ある日、同期入社で職場の同僚だったタナカがデスクに来て唐突に、
「共同馬主にならないか」
と、私に言った。
意味がわからない。
彼は手に持っていたカタログを見せて、最近出来たばかりのホースクラブで一口馬主を募集しているので一緒に出資しないか、と勧誘する。
私は競馬について付き合いで馬券を買う程度の知識しかない。
でもタナカとは昼休みによく競馬の話をしていたから(彼が一方的に話しているだけだが)当時活躍中だった三冠馬、ナリタブライアンは知っていた。
そのナリタブライアンの父親の産駒が多く募集されているというので、私は軽い気持ちでカタログを預かりページを捲った。
当歳~2歳の(今の0~1歳)競走馬1頭あたり500口の募集で、たとえば3千万円の馬なら1口6万円で購入する。
購入した馬が競走馬としてデビューし勝利したら、馬主に分配される賞金は口数分、1口なら500分の1となる。
他に飼葉代などの月会費もかかるし、勝利どころかデビューすら出来ない馬もいるから決して安い出資とはいえない。
私はタナカに断るつもりでカタログ写真の仔馬を眺めていた。
すると、載っている仔馬たちの中の2頭が強く私の目を引いた。
どちらもナリタブライアンの父親産駒で、2歳なのに何とも言えない風格のようなものを感じさせて目が離せない。
突然だが、私は作家の宮本輝が好きだ。
なかでも『優駿』は私が死んだとき棺桶に入れてほしい小説ベスト3に入るほどお気に入りの作品で、日本ダービーを目指すサラブレッドの物語を何度も再読するほど好きだった。
結局、私は片方の牡馬を1口買うと決めた。
タナカはもう一方の牡馬を1口買い、私たちは晴れて馬主仲間になった。
それからは毎日のようにタナカと自分たちの馬の話をし、郵送されるクラブの会報を読んだ。
クラブ主催の見学会で一緒に北海道の育成牧場へ行き、出資馬を見学したりもした。
とにかく馬の成長が楽しみで仕方なかった。
やがて出資馬は3歳になり、イナズマ号(仮名)という登録名が付けられた。
順調に調教は進み、その年の秋に東京競馬場の新馬戦でデビューを果たす。
私も府中へ乗りこみ、イナズマ号の単勝馬券を握って彼を見守る。
結果は4番人気の2着だったが、自分の馬が実際に競馬場で走る姿を観れて嬉しかった。
タナカの馬も翌週デビューしたが、3番人気の11着に沈んでいた。
イナズマ号は次のレースでは1番人気になり、初勝利を飾った。
中央競馬で1勝を、しかも1番人気であげるのは大変なことだ。
このまま順調に行くかと思われたが、その後は勝ちきれないレースが続いて2勝目を手にしたのは翌年の3月だった。
ただそれがG1皐月賞のトライアルレースで、何とイナズマ号は皐月賞に出走できることになってしまった。
初めて出資した馬がG1レースに出るなんて、信じられない幸運だと今でも思っている。
皐月賞当日、私はタナカと中山競馬場にいた。
イナズマ号は18頭中の10番人気だったが、出走するだけで嬉しくて単勝馬券とイナズマ号から総流しの馬連馬券を記念に買う。
レースがスタートした。
イナズマ号は後方13番目くらいを疾走する。
相手は同い年とはいえ格上のサラブレッドばかりだから、無事に完走さえしてくれれば十分だと思いながらレースを見つめていた。
ところが、第4コーナーを廻ったあたりでイナズマ号の脚色が変わった。
内ラチ沿いからするすると馬群を縫うように抜け出して、先頭の逃げ馬に追い付く勢いで迫っていく。
大歓声があがる中、私は声も出せずにゴール板を通過しようとする馬たちを祈りながら凝視していた。
イナズマ号は逃げ馬に届かなかったが、クビ差の2着でゴールした。
勝った逃げ馬は11番人気だったから、皐月賞は大荒れの万馬券が出て確定したのだった。
皐月賞で2着。
想像もしていなかったようなレース結果に、私は隣りにいたタナカと抱き合って喜んだ。
賞金や馬券の配当はもちろん嬉しい。
でも何よりも嬉しいのは、これでイナズマ号が日本ダービーへの出走権を得たことだった。
『優駿』の、あの舞台へ行ける。
まるで奇跡が起きたように私には思えた。
皐月賞から1ヶ月半後。
私はまたタナカと東京競馬場を訪れていた。
日本ダービー当日である。
タナカの出資馬も1ヵ月前の特別戦を勝利し、ダービーへのチケットを手に入れていた。
彼もまた幸運な馬主の1人なのだ。
発走時刻が近づき、返し馬を終えた騎手と馬がゲート近くに集まり始める。
イナズマ号は4番人気に支持されていた。
タナカと2人でゲートインを待っていた時だ。
突然、競馬場内に
『イナズマ号の馬体検査を行います』
というアナウンスが流れた。
ターフビジョンに映し出されたゲート付近の映像では、騎手がイナズマ号から降りている。
私は心配になった。
何か不具合でも見つかったのだろうか。
暫くして騎手が再騎乗しゲート後方へ移動するも、また馬体検査となる。
嫌な予感がして、祈るような気持ちで画面を見つめた。
だが祈りは届かず無情のアナウンスが流れる。
『イナズマ号の左前脚に故障が発生したため、競争除外とします』
場内17万人の観衆がどよめく。
競争除外。
あっけない幕切れに茫然とし、私はその後の発走ファンファーレをうわの空で聞いていた。
優駿のゲートを目の前にして、イナズマ号がターフを去っていく。
私とイナズマ号の日本ダービーは終わった。
イナズマ号の除外は落鉄して釘を踏んだのが原因だと後で知った。
軽傷で済んだのがせめてもの救いだ。
ダービーはタナカの馬が見事2着に食い込み、その年の有馬記念を制覇して一流馬の仲間入りを果たした。
真の奇跡の馬主はむしろタナカのほうだった。
それからのイナズマ号が、表舞台で輝くことはもう無かった。
出走しては故障で休養といった状態を繰り返し、その後1勝も出来ずに9歳(現在の8歳)で引退する。
私は他の馬を買わないまま、イナズマ号の引退とともにクラブを退会した。
それ以来、競馬は1度もしていない。
彼が4歳の時に見せた一瞬の輝きは、まさしく稲妻のようだった。
その輝きを私はきっと忘れないだろう。
最後に。
この記事を書くにあたり引退後のイナズマ号を調べたら、まだ存命しているのに驚いた。
ライバル馬たちが皆すでに世を去り、一般的な競走馬の寿命を越えてもなお功労馬として静かな余生を送っているイナズマ号。
レースでは勝てなかったが、長寿に於いて彼は勝利者なのかもしれない。
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