味わった人にしか分からない
味わった人にしか分からない。
おなじ苦汁を味わった人にしか分からない。
これ、よく聞く言葉ですよね。
一体、どういうことなのか、
【分かる】と「分からない」を感覚として捉えてみたいと思います👋
「分からない」
「話を聞いたらイメージはできる」けど
頭では分かるけど、痛みの実態はよく分からない。
つまり
あぁ、痛いんだろうな、辛いんだろうな。
あぁ、辛そう。
と想像はできる。
【分かる】
おなじ苦汁を舐めた人ならわかる。とは
つまり
あぁ、あんなところに、そんな角度で矢がささって、身体の中は突き刺すような痛みが走り回る。そのあともジンジンと時間をかけて傷み続ける。そしてそれが、どんなに痛くても自分で引き抜くこともできなくて、ただただ勇気がいるんだよな。その間にも次から次に矢はとんできて、どんどん体力も奪われていく。
具体的にまざまざと体感としていることが【分かる】ということだと思う。
分かる、分からないの差を感覚で捉えると、このように思う。
別の捉え方をしてみましょう。
絵のように、矢が体にささっている人間をイメージしてほしい。
同じように矢がつきささった人間は
他の矢がささった人間にどう触れればさらに傷つけることがないか
想像ができ、その分慎重に、相手に触れることができる。
(同じように傷ついた経験がある人間は)
(心の傷をおっている人間にどんな言葉や態度で接すればさらに傷つけることがないか)
(想像ができ、その分慎重に、相手に接することができる)
これが一般的に、本当の痛みを知るということだ。
想像ではなく、体感をもってして、自分の痛みとして捉えることができて相手の痛みを知る。
何が相手の痛みになり、どのように辛く感じるのかは味わった人、本人にしか分からない。
似たような経験はあくまで似た経験であり、別物であること。
だから、寄り添い方には気をつけて。
「分かるよ」のその言葉は相手を包み込んでいない場合があります。
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