Sasabou

59歳で十二指腸がんを発見。余命がわからない中、仕事もままならず、さてどうする。 記録…

Sasabou

59歳で十二指腸がんを発見。余命がわからない中、仕事もままならず、さてどうする。 記録、闘病日誌、よしなしごと、おもいで、おもいつきなどを綴る。基本は経過記録とエッセイ。

最近の記事

18. 最終回、長い未来へ

 本当に不思議なものだと思う。  身体のバランスで細胞が色々ないたずら?をする。皮膚の様々な症状もそうだが、がん細胞自体もその最たるものだろう。抗がん剤でがんは小さくなり、ステロイドで均衡が保たれると皮膚症状が沈下する。しばらくしたらまた、発生する。アカシジアが出たり、経鼻管が外れればそんなことに全く悩まされなかったり。    閑話休題(あだしごとはさておき)入院中は、もう死ぬものだと思っていたし、教会にも通っていたので特に怖くも無かった。人は死ぬものであるし、予想外に早かっ

    • 17. 退院、そして手続きなど

       はじめに体調が悪くなったのは元旦だった。それから3ヶ月間 調子の悪さを感じ、入院したのが 3月10日。これまで書いてきたように、がんは除去できなかったものの抗がん剤治療継続となり退院は 7月8日。病院と多くの関係者の皆様のおかげで退院に至った。関係者に感謝すると共に、休職中の多くのトラブルを引き継いでくださった皆様には、大変申し訳ないと思っている。  入院中に死を覚悟したし、さて、予想以上に短くなったであろう この世での生活をどうしたものかと思う。とりあえず、つれあいが困

      • 16. 退院前カンファレンス

         少しの間、この原稿を書くのに間があいてしまった。今自宅で書いている。状況はというと、体調の良いとき悪いときの対応方法にも慣れてきて、慌てず騒がず、日常を送っている。フェントステープやアブストラル舌下錠の処方や体調確認のこともあり、訪問診療をお願いしている。  月に一回の化学療法は、#キートルーダ 投与である。  何度も同じことを書いているなと思われるかもしれないが、昔のラジオ番組のように、初めてこの記述に触れた方にも分かりやすいようにという・・・ などと、思うが実際に

        • 15. リハビリ リハビリ

           入院後、抗がん剤治療が進んできたところでまだ経鼻管の入って不自由ながらも、足腰に力をつけておきましょうということで、割と早めにリハビリが開始された。  始めは、ベッド横で足首を動かしたり、足を上げたり、立ったり座ったり。そのうちに同じフロアの共有スペースまで行って、椅子に座って同様のことをしながら歩行も増やしていった。理学療法士の先生が何人か担当してくださった。  土日は、リハビリの時間がなかったので自主トレをしていた。体調の良いときはひたすら廊下を歩いた。点滴台は、ゴロゴ

        18. 最終回、長い未来へ

          14. 経口摂取、皮膚症状

           これを書いているのは9月初頭で、退院後順調に自宅生活を続けるも、少し体調が悪い時間が増えてきた。身体の痛みも増しているので楽観はできないなと思う。  入院中の話に戻る。ようやく口からの食事が始まった頃の話です。  当時、皮膚の症状は相変わらず悪かった。症状は背中の皮膚を採取しての生検もおこなわれ、irAEだろうとのことで、いわゆる免疫関連副作用(immune-related Adverse Events)であるようだった。  抗がん剤の作用で癌を攻撃する機能の回復とと

          14. 経口摂取、皮膚症状

          13. コウボキン、ステント

           さて、入院は3月10日だった。十二指腸に4センチ長のがんがあり、腸が狭くなっていた。周囲や全身の転移状況を検査してしまう前に、腸がほぼ閉塞し閉塞部分は6センチを超えた。検査よりも抗がん剤治療優先となった。外科の方も現状では適応外とのこと。  簡単な図にすると腸の絵を書いて6センチ区間の内側にがんが、血管壁のコレステロールプラークのように取り付いている形で説明されるが、体の中はそんなに単純ではない。腸のすぐ外側は間膜や血管で覆われており、隣り合っている臓器もひしめき合ってお

          13. コウボキン、ステント

          12. 入院中の手続き、検査雑感

           入院中に記憶に残る検査のシーンとして、レントゲンの回数は格段に多かった。入院中は繋がっているものが多い上に体力低下があったので歩けるのだが車いすで階下に移動していた。 思い起こすと初期の頃、一度だけレントゲン機器が病室に来てくれて病室で撮影した。最近はそういうこともできるのだと感心したが、考えてみると歯科等でも座ったまま撮れる時代であるし、X線写真はすぐに診察室へ映像が送られるので時代の進歩を感じる。病院の一角が大きなフイルム画像で埋まることもなくなった。 あれ、不思議なの

          12. 入院中の手続き、検査雑感

          11. 副作用、皮膚症状

           入院生活で苦しかったことは、やはり、副作用に尽きるだろう。  経鼻チューブの副作用と言って良いのかわからないが、胃に何も入っていないのに吐き気があり、嗚咽することがあった。また、全身に波及するゾワゾワしながら我慢できなくなる不快感。後にアカシジアではないかと診断される。食道の痛みもあった。だいぶ経ってチューブを抜いた後にこれらの症状が止んだ事から、随分負荷がかかっていたことにあらためて気づいたものだった。やはり、ひげを剃るにもシャワーを浴びるにも清拭するにも着替えるにもレ

          11. 副作用、皮膚症状

          10. 通信、個室生活

           妻はそろそろ高齢者の仲間入りなので、当然のようにスマホが苦手だ。ご多分に漏れず耳が遠く、電話をなかなか取れない。話したことが伝わりにくい。それでも、コロナで面会できない状況に対応しようと頑張った。耳の遠いことをなんとかしたくてイヤホンマイクを勧めたが機能しない。おかしい! Bluetooth以前の問題なのでイヤホンジャック式だ。すったもんだあって、聞こえない、マイクが入らない。  理由は、しっかり奥まで挿されていなかった事だった。指や手の力も衰えてくるものだ。これはなかなか

          10. 通信、個室生活

          9. 個室での入院生活

           僕の場合の化学療法は、オプジーボという分子標的治療薬、オキサリプラチン、フルオロウラシルという2つの抗がん剤、レボホリナートという抗がん剤の機能を高める薬、合計4本の点滴が一日以内に終わり、うち一本はじわじわと長い時間がかかり、2日以上かかるものがあった。終了すると、しばらく様子を見る(まずは14日スパン)スケジュールだった。  高濃度の栄養点滴(CVポートから)があり、一日3回の経鼻栄養があり、経鼻ドレナージからの分泌液排出に加えて化学療法中は3体の点滴だったので、  

          9. 個室での入院生活

          8. 検査、そして治療開始

           いよいよ十二指腸が閉塞したので処置や治療が本格化していく。PETはキャンセルして、入院続行だ。口からの摂取はなくなった。  検査で記憶に残っているのは、バリウムを患部に流して狭さをリアルタイムで見るということをしたのだが、声かけに応じて体位を変えていくアクロバットをしなくてはならなかった。身体が逆さに傾いた状態で、細い線のようにバリウムが流れる画像を見せられた時は、声かけに応えつつコントを演じているような気分だった。これは辛かったし具合も悪くなった。おまけにバリウムの排出

          8. 検査、そして治療開始

          7. 釈然としないPET-CT退院予定

           十二指腸の水平脚に約4cm(この時点で)の腫瘍があり、管が非常に狭くなっている。食事後に腹痛や背中の痛みが増すのは、狭い所を通過する事が原因と考えられる。 癌の進行で閉塞の可能性がありステントも考えられるが、後に手術することを考慮すると今は避けたい。閉塞してしまった時は、今回作成したポートから高濃度の点滴を入れる事も予定する。  外科の先生より今のままでは患部が大きすぎて手術はできないとのことで、先に化学療法を実施する予定。3クールほど実施して、評価。その後手術を検討すると

          7. 釈然としないPET-CT退院予定

          6. 入院のはじめの頃

           これを書いているのは、退院して自宅療養、月一の化学療法中である。今後、また、入院するかもしれないし、書けなくなるかもしれないが、4カ月間に及んだ入院の状況を書いておこうと思っている。突然筆が止まったら、まあ、ご理解頂きたい。  入院し、カーテンに囲まれた狭い空間にベッドを与えられ、痛み止めの調整を点滴で行いながら、各種検査をおこなっていった。職場が気になったものの、連絡を密に取ったところで対応が突然中断する恐れもあり同僚、上司におまかせするしかなかった。無責任な気がして非

          6. 入院のはじめの頃

          5. 今日こそはの受診、そして入院

           今日こそは、何が起きているのかはっきりさせたい。いや、なんとかしてもらわないと生活できない!  薬の調整レベルではない治療に進んでほしい!医療のことはわからないが、今のようなまどろっこしい事は、なんだか違うんじゃないか。僕の体がそう言っている! ・・ぐらいの気持ちで、しかし強い気持ちとはうらはらに、弱々しくP病院へと向かった。3月10日の事である。  あとから考えるとみっともなかったが駅のホームからタクシー乗り場まで、最短距離を考えながら前傾姿勢で痛みをこらえつつ手すりを利

          5. 今日こそはの受診、そして入院

          4. 繰り返す症状と、すべなく経過する日々

           わが市は、とても住みやすい都市で9万人規模である。県境に位置して独自のエリア観を形成していると思う。所属している県の中でも有名市であるだけでなく隣県の90万都市の文化圏にも属している。病院も行政管轄で先進医療から急性期、緩和病棟に至るまで行える市の病院がある。これを仮に地元の O病院としよう。  僕が前回、2017/12に 胃がんで内視鏡手術(ESD)を行ったのは90万都市にある同じく先進医療ができ、緩和病棟まで備える P病院としておこう。これらの病院は転勤があり、その時

          4. 繰り返す症状と、すべなく経過する日々

          3. 高齢の父の事、そして発病

           父は、母の介護を10年ほど経験したので、自分の老後のことをいろいろと予め考えていたようだった。マイペースでいたいため、自分の家で暮らし、ある時を見計らって要支援でもなかったが自分で軽費老人ホームを契約し入居した。父の自ら立てたプランは万全なようだったが、コロナの時代が到来して2年近く経ってから、行動制限がどうにも我慢ならなかったようだ。もう90歳になっていたがアパートを借りて一人暮らしに戻った。また、イチからシンプル家財を新入生ばりに揃えたのである。バイタリティ衰えず!息子

          3. 高齢の父の事、そして発病