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8. 検査、そして治療開始

 いよいよ十二指腸が閉塞したので処置や治療が本格化していく。PETはキャンセルして、入院続行だ。口からの摂取はなくなった。

 検査で記憶に残っているのは、バリウムを患部に流して狭さをリアルタイムで見るということをしたのだが、声かけに応じて体位を変えていくアクロバットをしなくてはならなかった。身体が逆さに傾いた状態で、細い線のようにバリウムが流れる画像を見せられた時は、声かけに応えつつコントを演じているような気分だった。これは辛かったし具合も悪くなった。おまけにバリウムの排出も腸の運動低下でしばらく苦労することになった。終わったあと「辛かったです!」と率直に言った。

 3月25日には鼻からチューブを入れた。これは特殊な構造になっており、一本に見えるが二本構造で、一つは患部の手前までで、胆汁や膵液、胃液などの分泌物を回収(ドレナージ)したり、内容を確認するモニタリング機能も果たす。もう一方は極端に狭くなった患部の先まで挿入して、主に小腸へ栄養の注入を行う。前記の分泌物を回収しこちらに流し込むこともする。そうすることで絶食期も消化器官を維持していくのだ。

 このチューブは、不快感だけではなく痛みその他のいろいろな症状の元になっていたような気がする。長い装着期間の中で、あとから思うとやはり、辛かった。鼻から茶色い液体がバッグに排出されるのを毎日眺め、時間差で体内の奥の方へ点滴のように注入される日々。顔に留めてあるテープがよく剥がれたし、僕は背が高いので廃液バッグまでの長さがあと10センチあったら過ごしやすいのになと思いながら、チューブをさばいていた。眠れなかったり、不快感が長く続いて耐えられなくなったり、痛みが増強したりした。


 3月28日から抗がん剤治療が始まった。

 栄養や疼痛管理、化学療法の為の点滴の管と、前に書いた経鼻管、これに抗がん剤投与の間は心電図モニタリングの無線機器を繋がれる。管やら、電極やら、不自由だった。

 トイレは点滴スタンドと一緒に入るには狭く、パズルのようにコツが必要だった。


 がん細胞の生検から、抗がん剤の種類の検討も行われ最も適したものを使うようにしたとのこと。ざっくり言うと、1クール目は、オブジーボとFOLFOXで始まり、少し変調があった。その後、オブジーボのみを2回、それから退院の少し前からは、キートルーダの投与となった。

 

 副作用や入院生活については次回の章としよう。色々と、苦しかった思い出を忌憚なく書いているが、対応してくださった先生や看護師様、病院関係者にはとても感謝している。


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