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16. 退院前カンファレンス

 少しの間、この原稿を書くのに間があいてしまった。今自宅で書いている。状況はというと、体調の良いとき悪いときの対応方法にも慣れてきて、慌てず騒がず、日常を送っている。フェントステープやアブストラル舌下錠の処方や体調確認のこともあり、訪問診療をお願いしている。

 月に一回の化学療法は、#キートルーダ 投与である。


 何度も同じことを書いているなと思われるかもしれないが、昔のラジオ番組のように、初めてこの記述に触れた方にも分かりやすいようにという・・・

などと、思うが実際には深く考えず書けるときに書けることを書いている状態なのだ。だから、語尾の使い方を揃えてとか、段落を整理してとか、そういうことをせず、みっともない自分をさらけ出していく。そんなアウトプットしか面白いことを思いつかない。

 「わかるかなぁ。わかんねえだろうなあ。イエ〜イ。」


 読点多めに推移しております。

 誰か!Google に、日本語と称するときには常用漢字を使う。専門的な漢字を使いたかったらそれもいいけどソフト的には常用漢字をまず優先して表示するということを指導してくれないかな。すべての中国の漢字が表示されても使いづらくてしょうがない。アメリカ人はダイナミックで大雑把だ。論理的で良いけどね。わあわあ、ゆうとりますが。


 現在の自分の体調だが、ひどい副作用はなく抗がん剤投与後2日位 倦怠感あるかなあ程度に収まる。自己免疫だろうと理解しているのだが、自分の皮膚症状を「不思議なもんだな」と実感している。この件に関しては、また後で書こう。

 さて、元気でいる時間は概ね一時間程度。体調が悪化してくると電池切れのようにぐったりし、横になったり、全身が不快な痛みに包まれていき、対応としては舌下錠で楽になる。安静にしていれば大きな問題は起きないが、家事等で身体を使うと、ふらついたり、電池切れ状態になる。食事や排泄はまあまあ良好で発熱もない。なんだか、嚥下がおかしいときがある。それに関しては舌下錠やフェントステープのせいもあるかもしれない。また、ステロイドが入ると骨がもろくなったり糖尿病リスクもあるらしいので転倒や誤動作に注意しようと思っている。


 さて、入院中の話に時を戻そう。がんが小さくなり、ステントが入り、食べ物の通過が確保され経口摂取ができるようになってきた。退院の話が出てきた頃だ。

 点滴に頼っていたものを少しずつ経口薬や、貼り薬に置き換えていき、順次、ルートに繋がれなくてもいいような体制としていった。

 自分も介護支援専門員の知識はあったので、さて、自宅で必要な物は何だろうと少し考えていた。経鼻管がはずれた事で、ADLが大幅に改善してなんでもできるようになったし、生命力までもアップした。全身に生じていたおかしな症状も改善した。自宅で困るだろうなということが意外と少なくなってきた事に気がついた。


 まず最初に思いついたのは、福祉ベッドのことだ。腸の狭窄があるので食後に座っていたほうが良いがそこまでの体力がなくベッドで上半身挙上することはとても便利であった。座っているためにはお尻の脂肪も必要なのだ。お尻の骨が椅子に当たっていたくてしょうがない。座布団敷けばいいことだけど。自分で起き上がれるので介護保険の適用もない。自費でレンタルすると、我市の相場はびっくりするほど安くて、電動制御のベッドが月1500円の実費でレンタルできる。それは今後の介護保険利用を見越したレンタルである。どうしようか。まあ、クッション対応でいけるでしょう。少し不便なほうがリハビリになる。ベッドは自分のベッドで良いだろう。

 次に思いついたのは、ウォシュレットがないことで、妻に言って早めに対応してもらった。

 さて、困りごとを一般的なカテゴリで点検していく。

 皮膚症状があるので、入浴をどうする。点滴が外れたら自分でシャワーを浴びられるだろう。浴槽に入るのは少し危ないが幸いなことに僕自身が浴槽に入るタイプのひとではなくシャワーのみで生きられるため退院時からしばらくは大丈夫だろう。浴室内の椅子もわざわざ介護保険で書類をたてるほどのこともなく、必要ならホームセンターで買ってこれそうだ。将来的には訪問入浴は環境的に対応の難しいアパート二階だし、介助するにも小さすぎる浴室だ。入浴できなくなれば入院方向か清拭か。またその時に考える。皮膚剥がれがひどくベッドや室内の皮膚ホコリの掃除がとても困難になりそうな予感がしたが、妻と協力するしかない。

 食事もかなり難しいと感じていた。食材や調理方法の選定だが、もう割り切って始めの二週間は柔らかいものを通販で購入して補助とした。キューピーのレトルトおかずやおかゆを仕入れることにした。結果的には自分たちで調達し調理したものに落ち着くのだけど始めは不安だからね。

 問題は受診体制だ。月二回とか地元の病院に通い、待合にいる姿が想像するに、きついものがあった。待合室にベッドが欲しいくらいな感じだ。しかし訪問看護、訪問診療は適用にならないだろうと自分の知識から思っていた。移動できる人は移動するのが原則だ。

 主治医と雑談でそんな話をしていて、地元の病院に交渉してくださったようで訪問診療を受けられることになった。これは自分が切望したものではないが、主治医が段取りしてくださった。主治医に言わせると、僕のようにサービスの半端な知識があると無理のようにみえるかもしれないが、緩和ケアの疼痛管理の部分があり、いわゆる麻薬管理的なことをしなくてはならないので遠方の病院からしてみると訪問診療でいつでも対応できる体制の方が安心できるから、そういう体制を組みましょうということになったのである。


 退院カンファレンス(退院時共同指導)は退院の10日ほど前に行われた。


 出席者は、本人、妻。 訪問診療を今後担当する医師、看護師。今の状態をよく知る病棟師長、看護師。制度に詳しいソーシャルワーカー2名。主治医とサブの担当医。

 リモート参加は、実動隊としてすぐに対応できるように訪問看護ステーションから看護師2名。介護支援専門員1名。本人含めて13名だった。


 訪問看護ステーションがダブっていると感じるが、訪問診療センターは基本医師のみのような体制で看護師と来るものの、処置が入ってくると在野の看護ステーションと協力せざるを得ないセンターなのでそういう体制になった。実際には容態が変われば入院かなとも思うのでシンプルにしたいとも思ったが、言われたまま受け入れてみようと思った。

 僕が入院してお世話になった病院は、大学病院ではないものの看護学校も併設しており公立の総合病院である。時期になると看護師や医師など各職種の研修や引き継ぎがあるため、やたら人が多いときがある。栄養管理の挨拶に、まるで白い巨塔の院長回診くらいの人がぞろぞろ病室にやってきたときはコントのようで少し笑ってしまった。それは冗談だが、人が多すぎるように感じるカンファレンスを経て、いよいよ7月8日の退院を迎えることになった。




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