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18. 最終回、長い未来へ

 本当に不思議なものだと思う。
 身体のバランスで細胞が色々ないたずら?をする。皮膚の様々な症状もそうだが、がん細胞自体もその最たるものだろう。抗がん剤でがんは小さくなり、ステロイドで均衡が保たれると皮膚症状が沈下する。しばらくしたらまた、発生する。アカシジアが出たり、経鼻管が外れればそんなことに全く悩まされなかったり。
 
 閑話休題(あだしごとはさておき)入院中は、もう死ぬものだと思っていたし、教会にも通っていたので特に怖くも無かった。人は死ぬものであるし、予想外に早かったなと感じたくらい。

 さて、なんだかんだあって退院した。この原稿の時点で退院後3ヶ月は経過している。そろそろ退院後の期間が入院期間と肩を並べるくらい長くなってきた。退院は、物理的に自宅に戻っただけで前の生活に戻れたわけではない。自由度が格段に増しているものの、療養生活にかわりはない。痛みが増したり不快感が増したりして長い時間の活動ができないので働けない。

 具体的には、平常時は普通に動ける。少しふらつきがあったりバランスを崩したりしがちではあるが、ほぼ問題なくいろいろな活動もできるし、階段の昇り降りもできる。座っていたり立っている時間が一時間近くなると背中が痛くなる。上半身を覆うような不快感に包まれる。これはおそらく十二指腸に巣くっているがん由来の疼痛だろうと考えている。これを頓服のアブストラル舌下錠で抑える。舌の下に小さな錠剤を入れ20分も横になっていれば元にもどる。最近はそれでも効きづらいことがあり、30分後に追加一錠が許されている。また、恒常的に痛みを抑えるフェントステープを上半身に一日一回貼っている。2mgなのでたいしたものでもないが、貼り忘れるとてきめん痛みが増す事を経験しているので、薬がないと大変なんだろうという想像はつく。

 この、通常元気に見える体を持っているのでなんだか座りがわるいというか、居心地が悪いと言うか。働いていないことに関しての罪悪感は生まれる。職場は、突然の入院で代わりの方に引き継ぎなく利用者様を継いでもらったと聞いている。色々心残りありまくりであるが、半年以上経ったところで謝罪したり手伝ったりというのもかき回したり面倒な精神的負担をおかけするばかりと思う。何かあったらいつでも電話してくださいという体制になってはいるものの、電話がかかってくる事はない。かえってややこしくなるのがオチだからだ。インスタなどを見て、「ノンキに療養生活、仕事もせず楽だね」等と言われた訳では無いが、いろいろ不満の噂もあるのではないかと思うが•••。

 気にしてもしょうがない。僕はいつ死ぬかわからない身だ。
 でも、5年も生きるかもしれないというところに、なんだか居ずまいの悪さがある。結構、気軽には声をかけてもらえないのだ。なんだか中途半端なワレモノになったような気分だ。

 前職で、•••。もう前職ということで良いだろう、ケアマネ修行をしていた。ベテランのように振る舞いながら、事業所や先輩に助けて頂いていた。早くベテランになりたい。早く利用者、組織に貢献できる者になりたいと思って日々の業務を過ごしていた。それが一気に支援される側にまわってしまった。
 高齢者から、「人の世話になるくらいなら死んだほうがマシだ。早くお迎えが来ないだろうか」と言われて、なんと言葉を紡げばよいのだろうといつも考えていた。今、高齢者の気持がよくわかる。死んでしまったほうがお互いわかりやすいだろう?人に負担をかけたり、色々言われたくないなあ。

 映画 タイタニックのラストシーン。老婆が眠っているのだろうか召されたのだろうか、写真立てに囲まれていて、その写真を見ると人生を誰よりも奔放に楽しんだことがわかるシーンがある。おそらく、亡くなった人の分まで幸せに人生を謳歌したかったのではないか。それは富や名声ではない、生きると言うこと。

 召されると、懐かしい人に再会する。
 聖書には、創造主の顔までも拝めると書いてある。死もまんざら捨てたものではない。
 でも今は、
タイタニックの、主人公の老婆のように生きるを楽しむことにする。Ω


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