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まだまだ模索、復興途中

東日本大震災から10年。10年目をここ石巻で迎える。石巻で移住してきて1年半。少しはこの地域のことを知り、復興に貢献出来ているだろうか。

2011年震災時、僕はドイツにいた。

震災直後、ネットで知る・見る世界中から飛び交う情報でパニック状態に陥り、さらには宮城に住む両親とも4、5日間ほど連絡が取れず、正気を保つことが出来なかった。幸い、兄から両親は無事だと連絡はもらっていた為、多少の安心感はあったものの、直接連絡が取れなかった分、不安や心配はあった。

今すぐにでも日本に行きたい。その時ずっとそう思ってた。

それから半年後、ようやく色々と行動ができるようになり日本へ一時帰国し、ボランティア活動で久しぶりに石巻を訪れた。何年ぶりだろう、石巻の高校に通っていた従兄弟に連れってもらった。

それからドイツにまた戻っても、頭の中は震災や地元の事ばかり。

当時強く感じていたのは、表現者として事実を知らず、経験せずでの表現は、その信憑性や責任を取れないことだった。だから、2012年震災から1年後、いてもたってもいられず日本へ本帰国することを決意した。

帰国後は、悶々と実家のある宮城で暮らしながら、美術を通して震災や原発事故後の変化や現実を、世界に、そして未来に伝え残したいと、その表現や手段を模索していた。震災関連の展示会にも、被災地でのアーティストによるワークショップなどにも参加したりして。

当然ながら、その土地の美術もその他の復興事業と同じように、地域と長い関わりを持ちながら育てて行くもの。

だから、今の協力隊としての活動もその一つと思っている。震災後に抱いていた自分自身への疑問を解消してくれるものの一つが今の活動だ。

地域を深く知る。

まだまだ模索、復興途中。今後、どんな地域になっていくんだろう。そしてどんな独自の文化が生まれて行くんだろう。そして、何を必要とし、何を作って行けるんだろう。

他人目線と自分目線。

そんなことを想わせてくれる街、というのがここ石巻。「何か出来る」「なんでも受け入れてくれる」と想わせてくれる人と地域性があるのは間違いない。

僕は震災からだいぶ時間が経ってからここに来たから、そういった環境を作ってくれた皆さんに感謝だ。


ここで今日のドイツ語!

復興:Wiederaufbau(ヴィーダーアオウバウ)

それじゃー、また来週!Bis nächste Woche!!


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