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第10回 「東京国立博物館 東洋館」を訪ねて/「紫檀木画槽『匙』」をつくる

博物館のあけぼの

 博物館の起源は「驚異の部屋<ヴンダーカンマー>」にさかのぼると、西洋ではよく説明されます。「驚異の部屋」とは、個人が自分の趣味で集めたコレクションを自分の美意識で飾り立てた、陳列室のことです。自分で楽しむだけという場合もありましたが、こういったものは他人に自慢したくなるのが常ですよね。
 このような文化が洗練されてくると、好き嫌いで集めた珍品自慢ではなく、学問的な見地からテーマを決めて、系統立てて事物の収集・陳列が行われるようになってきます。更に、収集のアドバイス・研究のために専門家を雇い入れ、活動目的を「一般への啓蒙活動」と定めるものもあらわれます。こうなるともはや「博物館」です。
 イギリスの大英博物館も元々は、個人コレクターのハンス=スローンの「驚異の部屋」をコレクションを核として、先述のような流れで「博物館」になりました。

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 一方、日本の博物館の大本命、上野の「東博(とうはく)」として親しまれる「東京国立博物館」は、期間限定の展覧会が常設化するという形で誕生しました。東博の公式資料は、明治5年(1872)の「湯島聖堂博覧会」が東博の始まりであると説明しています。この「湯島聖堂博覧会」は、国内向けの物産会である一方、1873年に開催される「ウィーン万国博覧会」の予行練習という側面をもつものででした。当時、西洋で盛んになっていた万国博覧会は、回を追うごとに大規模化しており、「ウィーン万国博覧会」で四回目、各国が威信を競う場として定着していました。ですから「湯島聖堂博覧会」は文部省の肝いりで、国家が日本国の文物を紹介するべく、初めから「体系立てて見せる」ことを志向したものだったのです。

 とはいうものの、ついこの間まで香具師たちが見世物で客を引いたいた明治初期のことですから、展覧会はにぎにぎしい「お祭り」の雰囲気を色濃く残していました。「湯島聖堂博覧会」の絵図をみても、「名古屋城の金の鯱」を中央に据えて周りに棚をめぐらし、関係者が自慢の品物を所狭しと並べるという形をとっています。派手にやって見物人の度肝を抜いてやれという「驚異の部屋」的な精神がほの見えると私は感じました。これはこれで、なんだか楽しそうですね。ちなみにウィーン万博の写真でも「金の鯱」は確認できます。

 当時の人たちの名誉のために補足しておくと、西洋の博覧会の存在と意義について、少なくとも知識人は正確に理解していたと思われます。日本文化を系統立てて文化財を保護しようという姿勢は、ひとかどの名士であれば決して珍しいものではなく、こちらで紹介した原三渓の危機感もそのような流れの中に位置づけられますね。

東博を訪ねるなら「東洋館」も忘れずに

 こうして生まれた東京国立博物館。現在では一流の学芸員を多く抱えて、単純な好き・嫌い、美しい・醜いとは別次元の「系統立てられた」展示を旨としています。

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 博物館で展示を系統立てる基本は、「通史展示」と「テーマ展示」です。

 「通史展示」は文字通り、ある事物が時代を経てどのように変化してきたか見せる展示です。たとえば、平安時代から幕末までの日本刀を時代順に並べて展示することで、個別に見たら違いのわかりづらい刀に時々の流行りがあることが、一目瞭然となります。
 一方「テーマ展示」は、ある観点を提示して事物にどのようなバリエーションがあるか見せる展示です。たとえば、日本刀の産地による違いを見せるために、大和伝、山城伝、備前伝、相州伝、美濃伝を並べて展示するようなやり方ですね。

 実際には展示スペース、コレクションの集まり具合、研究の進み具合などを加味してこれらを組み合わせるのが普通です。たとえば、テーマ展示を基本としつつ、ケースの中では複数の展示物を時代順に並べるなどですね。

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 さて今回訪ねた東博の「東洋館」は、きわめてユニークな「テーマ展示」を行っています。そのコンセプトは「東洋美術をめぐる旅」です。建物全体を大空間の吹き抜けを中心とするスキップフロアで構成して、フロアの各々に、朝鮮、中国、インド、東南アジア、西アジア・エジプトの美術品を展示しています。さすがに、中国、朝鮮はコレクションが充実していて展示が分厚いですね。

 私のお気に入りの見学方法は、入館後にエレベーターで最上階まで上がって、階段を下りながら地下まで見学していくやり方です。このやり方だと、「入館 --> 朝鮮 --> 中国 --> 西アジア --> エジプト --> インド --> 東南アジア --> 退館」という順で見ることになります。これはちょうど、「日本を出てタクラマカン砂漠ルートでシルクロードを横断して地中海へ、ガンダーラからインドに入り海のシルクロードで日本に戻ってくる」という旅路になります。玄奘三蔵の旅路とも重なりますね。本当に贅沢な旅ですよ。

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 東博を訪ねる際に、「本館」にお目当ての展示があるときは「東洋館」の見学は省略する、という方もいらっしゃいますが、これはいかにももったいないです。世界中でも東博だからこそ実現できる「シルクロード往還」という壮大なテーマ展示を見逃す手はありませんよ。

シルクロード散策

 「東博・東洋館」がカバーする範囲はチンギス=ハンのモンゴル帝国の版図すら凌駕するものです。何度でも言いますが、シルクロードの宝物を愛でながら散策するのは「王の遊び」といっても大袈裟でない贅沢ですよ。

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 朝鮮フロアでは、須恵器の「俑(よう)」が楽しいですね。「俑」とは中国語で「陶器の人形」のことです。兵馬俑の「俑」ですね。写真のように高坏(たかつき)の上部の碗の部分を動物にしたものが展示されていました。ここでの見どころは動物の造形の的確さですね。ディテールを作りこんでいるわけではありませんがシルエットだけでその動物の本質をよくとらえています。馬の俑では、出土品では欠損している革の馬具の使い方を垣間見ることができて資料的な価値も高いです。

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 中国陶磁は横河コレクションの存在感が大きいです。建築家・実業家として活躍した横河民輔が東博に寄贈したコレクションですね。中国陶磁の通史をなぞるきわめて質の高いコレクションで、これだけでも普通に博物館を建てられると思います。写真の白磁の皿などはコレクションの白眉です。中国の陶磁史は、前時代のメインストリームが洗練されていく一方で、広い国土のあちこちの窯で次々と新しいトレンドが沸き起こってくるのがダイナミックでいいですね。

 中国陶磁の形状は金属器に範をとることが多く、実は先述の白磁の皿も金属器を写しています。

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 と思ったら、傍らのケースには関連する金属器が展示されていました。さすが東博さんはいい仕事をしますね。
 私見ですが、中国の工芸における金属器の特別な扱いは、殷代の青銅器があちこちで出土し、大切にされてきた歴史と関係があるのでないかと想像します。

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 東博の公式Youtubeではこの殷代の青銅器が紹介されており、「しゃがんで仰ぎ見る角度で見ると印象が変わるよ」と学芸員さんがコメントしています。どうでしょうか。確かに、ギョロリとした饕餮紋と正面から目が合って威圧感がありますね。皆さんもぜひ試してみてください。

 威圧感といえば、地下フロアのポリネシアのコーナーは、夢に出てきそうな造形の祭器をしばしば展示しています。

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 こちらのワニは19世紀のパプアニューギニアものですが、プリミティブな造形の印象が鮮烈ですよね。作家の方など、煮詰まったときに訪ねれば、インスピレーションの源泉になるのではないでしょうか。ポリネシアの伝統文化は近年急速に失われており、収蔵品の収集もどんどん難しくなっているそうですね。

 さて、異国の風情を大いに楽しんだら、日本に戻りましょう。館を出たら大きく伸びをして、アメ横などひやかしながら家に帰り、妻とおいしいご飯を食べれば、シルクロード散策は無事完結です。「我が家が一番だねえ」などとのたまって、「何わけわからないこと言ってるの?」と突っ込みを受ければ幸せな一日を締めくくることができますよ。

これがほしくなった

 学芸員さんには怒られるかもしれませんが、東博・東洋館のテーマは「シルクロード往還」だと私は勝手に信じています。ならば、それにちなんだものがほしくなりますよね。そして、日本からシルクロードをみるならば正倉院はぜひともおさえたいところです(東博にはシルクロードと所縁の深い「法隆寺宝物館」もありますが、今回は紙幅が足りないのでまたの機会にさせてください)。

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 正倉院といえば、私は「琵琶」の収蔵品群が思い浮かびます。正倉院には大きく三種類の琵琶が収蔵されています。一つ目は「五弦琵琶」、インドを起源とする、幅が狭くて立体感のある琵琶です。二つ目は「四弦琵琶」、ペルシアを起源とする、幅広で薄い作りが特徴です。三つめが「阮咸(かんげん)」、中国を起源とする、円形の胴に竿が付いた形です。

 さすがに琵琶を作るのは、私には技術的なハードルが高すぎるので、似た形の物はないかなとあれこれ探すうち、こんなことを思いつきました。

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 宮内庁のHPでは、「紫檀木画槽琵琶 第3号」とされている四弦琵琶ですね。

 オリジナルは名前の通り木象嵌ですが、今回は、樫の木のスプーンに新漆で模様を描きました。なにせスプーンサイズなので、木象嵌は早々に諦めました。金色の部分は、透漆に真鍮粉、銀色の部分は、透漆にごく少量のベンガラとアルミニウム粉です。

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 こちらが表側です。赤い部分は、オリジナルの琵琶では、「捍撥画」の部分です。この位置でバチ(捍撥)をふるい、弦を弾きます。正倉院の琵琶群をみるとき、工芸としては裏面の装飾が目を引きますが、学問としては、表面の捍撥画も重要視されます。捍撥画は当時のペルシャの風俗を伝えるものとして、他に類例のない情報源なのです。オリジナルの素材は革で、地の赤を鉛丹で塗って、その上に画を描きます。緑は緑青、青は群青、黄は鉛白の上に藤黄をかけ、黒は墨を用いるそうです。革のような傷みやすい素材が残っているのは、伝世品のコレクションである正倉院ならではですね。
 ちなみに今回のスプーンでは、御覧のとおり捍撥の画については省略しました。とてもじゃないですが、私の技量では再現できる気がしません。

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 さて、一国が威信をかけたコレクションで楽しむシルクロード散策はいかがでしたでしょうか。返す返すも贅沢ですよね。今後、デジタルの美術鑑賞がどのように進化するのかわかりませんが、一級品の本物を愛でながら、てくてくと自分の足で旅路を刻む楽しみはずっと残って皆に愛されてほしいなと私は思います。


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