私は石を彫りたい
令和5年11月23日(木)勤労感謝の日、
私は九州国立博物館にいた。
その日の明け方に見た夢は、時間外労働をしている夢だった。
夢の中まで仕事をする私には、勤労感謝の日がよく似合う。
勤労感謝の日が似合うことの意味を問う記事ではない。
正直、そんなモノは似合いたくない。
働くのはそんなにスキデハナイ。
できれば、不労所得で好きなことだけして生きていたい。
自宅のローンを払い終わったら、今の仕事はやめて別の仕事をしてやる!と思いながら日々、生活をしているのだ。
結局のところ、働くんですね。
ええ、そうですよ。
暇なのは苦手なのですよ。
話を九州国立博物館に戻そう。
そうそう、なぜ九州国立博物館に私はいたのか。
古代メキシコ展を見るためだ。
特に古代文明に造詣が深いわけではない。
なんとなく、古代文明ってエモくね?
ぐらいのノリで行ってきた。
鷲の戦士像が宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」のサギ男に似ているとか似ていないとか。
似てるっちゃ似てる。
古代文明の知識を入れてから「君たちはどう生きるか」を観たら、もしかしたら新しい感想が生まれるのかな、なんてことを考えつつ展示物を見た。
一緒に行った小学4年生の次男は、「ドラえもんで見たことがある気がする!!」と言いながら、ドラえもんの映画のシーンを思い出しながら展示物を見ていた。
久々に、ドラえもんの映画みたいな。
ちなみに、ドラえもんの映画は日本誕生と西遊記とドラビアンナイトとブリキの迷宮が好き。
ブリキの迷宮とかちょっと不気味なんだよね。
そこが好き。
ドラえもんはさておき、石盤とか土器なんかはこうやって残っていくわけだ。
時代を超えて自分たちの歴史を語ってくれる。
しかし、私たちが日々残している記録は何百年もの時を超えて、残っていくことはないだろう。
現代の私たちが生きている証として残るモノはなんだろうか。
木造の建築物なんかは残るのが難しいかもしれない。
鉄筋造りのものは残るのだろうか。
錆びて、崩れて、脆くなくなってしまったりはしないのだろうか。
墓石は残ったりするのかもしれない。
文化的なものはどれだけ残っていくのだろうか。
かつて栄えていた文明が、どうやって滅びていったのかは、私にはわからない。今、栄えているものがいつまで残るのかも私にもわからない。
ただ一つ私がこの古代メキシコ展を観て感じたことは、
残すなら、石か焼いた土が確実だろうということだ。
ちょっと、いい感じの石でも探してきて、それっぽい文字でも刻んでみようかな。
オンラインショップもあった。
フランスパンが軽いのよ。サクッとしてて。
一本ペロリといけちゃうやつ。
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