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心配性の母のポケットには、たくさんの小石が詰まっている。

もう大きい息子たちに、この小石を返してやらねばと思う、今日この頃。


我が家には二人の息子がいる。
令和5年度時点で、高校1年生と小学4年生。
ゲームが大好きで、勉強が苦手、できるだけ楽をして過ごしたいようにみえる。
本人はそんなことないって言うかもだけど。

私はどちらかといえば、心配性で完璧主義のきらいがある。
そして、息子たちがとてもかわいい。
図体がデカくなっても、かわいい。
なので、かわいいねえと言いながらハグをしにいき、上の子にはBBAキモい、と拒否られる。
家にいる間は、しつこくやってやろうと思っているので、隙を見てババアは攻める。
一番手っ取り早いのは、携帯をいじりながらベッドに転がっている時だ。
上から乗れば、こちらのものだ。

そんな息子溺愛中の母は、可愛い息子たちがいつも健全で過ごせますように、といつも願っている。
願っているだけならいいのだが、ついつい心配性で完璧主義な性格が、願うだけでは我慢できず健全に過ごせるようにと先回りしてしまうのだ。


彼らの歩く道の先につまづきそうな小石があれば、拾ってしまう。
危ないねえ、と拾って、手を繋いで歩きたくなる。
大きい石だと、よっこいせっと抱き上げてあげたくなる。
中くらいの石だと、先に見つけて、越える方法を教えてしまう。

そんな母のポケットには、小さい頃からこっそりと拾った小石がいっぱい詰まっている。

彼らが少し大きくなった時に小石を眺めて、考えた。
この小石、拾ってよかったんかなって。

もしかしたら、つまづいた時に石が危ないって自分で気づいた方がよかったんかな。
好きな石の形やったかもしれん。
川に投げたら面白いって自分で気づいたかもしれん。
どういう形が好きで、どういう形が危なくて、一個ずつ発見する喜びがあったかもしれん。
よかれと思ったけど、余計なお世話やったかもしれん。

お母さん、やりすぎてなかったかな。
こけてもすり傷程度やったら、すぐ治るしな。
でも、もし頭打ったら?
顔からいくかもしれんやん。
どこまでさせるのがよかったんやろう、って。

もう、一緒に手を繋いで歩いてあげられる時期じゃなくなって。
でもまだ心配だからはじめてのおつかいみたく、後ろから変装してついて行きたくなる。
ずっとはついていけなくなるし。
近所の道だけ歩くわけじゃないし。


そろそろポケットの小石、君たちに返します。
少しずつ。
自分で乗り越えるようにって。
今まで拾ってもらえてた小石を返したら、急にお母さんが小石を投げてきたように思うかもしれんけど、元々はお前たちが乗り越えないかんのじゃ!!と心を鬼にして。
もしかすると、君たちの目には鬼ババアに映るかも。
鬼ババアが小石を投げながら、ベッドにダイブしてくる恐怖も楽しんでください。


ただ、少しだけ、思い出に小石をポケットに残してもいいですか。

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