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風の歌は、聴こえない。

noteを始めてから、本を読むようになった。

本はあまり読まないと豪語しているにも関わらず本を読むのは、若干不本意だが、趣味が増えるというのは喜ばしいことだ。

それに、本を読むようになったのは自然なことのような気がする。

アウトプットするためにはインプットが必要だ。
排泄には食事が必要なのと同じだ。

いや、別にnoteに書いている私の記事がうんこだと言っているわけではない。

清い心で書いている。
ちゃんとした記事なはずだ。

うん。例えが悪かった。
排泄とか言い出した私が悪い。

これではうんこに対してネガティブキャンペーンを行っているようになってしまっている。

そこは、はっきり否定しておく。
私はうんこにネガティブなイメージは抱いていない。

うちのトイレにはゲーセンでとったうんこがいっぱい並んでいるし。
むしろ、うんこは大好きだ。

排泄を見守るうんこ戦隊

うんこのせいで話が大きく脱糞、いや脱線しすぎた。
42歳のマダムが書くにしてはデリカシーもくそもない。

いや、ううん、くそはあるな。

と、一人スッキリしたところで、本題に入ろう。

ここまでの内容は、今から感想を書こうとしている本とも、ご紹介させていただくnoterさんとも一切関係ありません。

うんこの話が大好きなBBAの戯言です。

食事中、もぐもぐタイムの方すみませんでした。
心よりお詫び申し上げます。

トイレ中の方、スッキリしましたか?


あまりに本題からかけ離れた前置きとなったため、一旦リセットをお願いします。

全ては水に流してください。



つい先日、村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだ。

年間100冊の本を読む男、青村春文さんが、100点満点の本だと賞賛されていたので読むことにした。

この感想を読んだ時、あれ?私読んだことあったっけ?
と私は頭に疑問符を乗せた。
そして私は疑問符を乗せたまま、すぐに本棚に向かった。

私の本棚は八割方、漫画が占めている。
後の二割は雑誌やDVDだったり、新書や小説だったりする。

本棚が溢れそうになると、私はすぐに本を売る。

また読むかもしれないものと、読まないだろうというものに選り分けて、処分する。
その本棚のわずか二割の、さらにもう少し少ない小説の枠の中で、村上春樹と伊坂幸太郎とJ・K・ローリングは処分されることなく、そのまま残されることになる。

私は記憶力が良いわけではなく、あまり物語の内容を覚えていない。

漫画や映画などは、繰り返し何度も読んだり見たりするので覚えていることも多い。
しかし、あまり小説を読み返すということを習慣的にしていないので、覚えるほど読んでいないという方が正しい。

読んでいる間は面白いと思うし、読了感だけはずっと覚えている。

読書というのは、好みの文章でなければ読み進めることが難しい。
最後まで読むこと自体が非常に難しいと思っている。

読み進められない文章を最後まで読むのは、苦行に近いとさえ思う。

読書は、物語を摂取する行為の中で、最も能動的な行為だと感じている。
文字のみで、理解をし続けなければならないからだ。

本を読まない人間にとって、読書はかなりハードルが高い。

しかし、不思議なことに、この三人の小説は読み進めることができる。
私にとって、ハードルが低い。

本屋にふらっと寄って、新刊が出ていると必ず買ってしまうくらいにハードルが低い。

そのため、私がどんなに本棚の整理をしようとも、この三人の本は残っている。

そのハードルが低い三人のうちの一人の作品が賞賛されている。

もしかすると我が家の本棚にもあるかもしれない。
そう思い、本棚に向かったのだ。

けれど、私の本棚に「風の歌を聴け」はなかった。
どうも買っていなかったらしい。

私はどうしても100点の本が気になり、週末に本屋に行き購入した。
500冊も本を読む人が絶賛する本が気にならないわけがない。

そして、読んだ。

確かに二時間ぐらいで読めた。

いつものように、女の人のことや、セックスのことを主人公が語り、そして横文字の酒を飲んでいる。
私の語彙力とデリカシーのない感想では面白みの欠片も伝わらないが、とても面白かった。

とても大切なことが書かれているような気がした。
どこがどうだったという感想は、私には難しくて書けないけれど。

読み終えた爽快感と満足感が、気持ちいい。
満ち足りた気分になった。

この本を読んでいる間は、自分の意思でもって能動的に読んでいるという感覚がなかった。
読まされている、読み進めさせられているに近い。

結末を先に知りたくなるようなタイパ上等というようなストーリー重視でもない。

文字を追わせられて、最後まで読み進めさせられた。
自分の意思と関係なく、読んでしまった。

こういう本を読むと、本を読むのもいいものだなと思う。

けれど、失礼な話だが、そんな本ばかりではないのも事実だ。
本屋に行けば、星の数ほどもありそうなほどの本でひしめきあっている。

その中から、私の一等星を見つけるのは至難の業だ。
火星人が耳元で呟いたりなんかしてくれやしないし。

しかし、誰かが紹介してくれれば見つけられるかもしれない。

私がこのまま本を好きでいられるように、誰か私の目の前に一等星に照準を合わせた望遠鏡を置いておいてください。




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