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「子供の部分」と生きていく

私は自分について、計画、予定、作家としてのビジョンなど、そういったことを考えずに進んでいる「ふわふわな人」と思っています。

最近はそこに「さらり」な要素も加わっていることに気が付きました。

「さらり」の要素は、行動力。

とはいっても「夢を叶えたいなら行動するべきだ!!」なんてことは、言いません。

ただ私が、直感で「ワクワクする!楽しそう!面白そう!」と感じたことがあると、「さらり」と行動に移している、というだけです。

私の行動力の源は、私の中にある「子供」の部分のお陰。

「子供」の部分が「あれなんだろう?!」と感じたら、私は「何だろうね?じゃあ、行ってみようか!」と一緒に手を取って歩んでいる。

私の行動はそんな風に自然に、さらりと、起きていることなのでした。

「私は、ハンドメイド作家だけで居たくない」

私の活動名でもある「sarari(さらり)」。

もともとはハンドメイドを始めた時に「パッ、と取って、さらり、と身につけられるアクセサリー」をコンセプトにしたことが始まりでした。

今でも当時の気持ちは忘れていませんし、デザインをする時は「シンプルさ」を大切にしています。

そして今は「ブランド名」としてだけではなくて、「私そのものを表す言葉(活動名)」として使うようになりました。

「私は、ハンドメイド作家だけで居たくない」

noteの更新を進める中でそんな気持ちが生まれて、ハンドメイド作家活動のコンサルタントとしての活動を始め、今ではマインドに関する有料noteの執筆、販売もするようになりました。

「sarariという生き方のすべてを、仕事にしたい」

作家活動はもちろん、働き方、考え方、プライベートなこと…。

私から出たあらゆることが仕事になればいいのに、と思うのです。

それは、私が「自由に生きている」ということを体現することで、私を見た方に「私も、そのままで生きていていいんだ」と感じて欲しいから。

「十人十色で輝ける世界」を「私」から始めたいから、まずは私が「自由」を体現する必要があると考えているからなんです。

「人」への恐怖感

先日コーチングをしていただいた方から「フットワークが軽い」「アクティブ」と言っていただいた時、思わず笑ってしまいました。

ここで少し、1年ほど前のことをお話しします。

1年前の今頃はうつ病の投薬治療が終わって、通院の必要もなくなり、主婦としての生活を始めていました。

ハンドメイドは始めて半年くらい経っていたのですが「鳴かず飛ばず」と言った感じ。

実は私がハンドメイドを始めた理由には、「誰とも顔を合わせたくない。ハンドメイドならネットで販売できるし、人と会わなくて済みそう」という考えもあったのです。

今でも私の「人への恐怖感」はなかなかのもので、今年に入ってからも、お義父さん、義妹ちゃん、彼、私の4人で食事会をした後、ストレスで大泣きしたほど。

1年前はそれがさらに酷くて、お義母さんの家に遊びに行く前日ですら、あまりの恐怖に号泣していました。

なので自分の親族も含めた「人」に会わなくて済むように、ただそれだけを考えて生活していたんです。

そんな私が今、どうなったか。

今月の6日にはコーチングのセッションを受け、翌日の7日は起業塾、12日にはマーケティングのお仕事をなさっている方にお話を伺うことになっています。(すべてzoomで。)

しかもLINEを活用してコンサルタントとしての活動もスタートし、むしろ積極的に「人」と関わるようになっているんです。

もちろん今でも「人への恐怖心」はあります。

正直、12日の予定が怖いです。

でも、やめるとは考えません。

だって「恐怖心」を上回る「面白そう!!」が待っているから。

「私の普通」を見つける旅

大人になって、猪突猛進な性格が帰ってきてくれました。

子供の頃(中学生くらいまでの頃)は「私って、猪突猛進な性格だな」という自覚があったのですが、「フツウの人であろう」という思い込みが激しくなった高校生以降は、すっかり鳴りを潜めていたんです。

でも28歳を過ぎたころから、少しずつ戻ってきてくれた。

それは私がずっと無視してきた「これが好き!」「これをしたい!」という気持ちをひとつずつ拾い上げて、「そうだね。じゃあ、やろう!」と考えられるようになったから。

「私」の気持ちを最優先して考えられるようになったからです。

私は以前まで「同級生は皆ああするって言っているし…」「親がこうして欲しいって思ってるみたいだし…」と、ずっと考えていました。

高校生以降の私は、考える時、決断する時の主語がいつも「私」じゃなかったんです。

しかしうつ病を機に自分と向き合って、それをサポートしてくれた彼にもらった言葉が、私に良い意味で「ショック」を与えてくれました。

「sarariちゃんは、どうしてそんなに周りを気にするの?」

「sarariちゃんが好きなら、それは『好き』で、いいんだよ」

「嘘だ」と、最初は答えていました。

「人目を気にしなくていいわけない」

「私が好きなものが、正しい訳が無い」

それが私の言い分だった。

でも、彼は何度でも「sarariちゃんは、sarariちゃんでいいんだよ」ということを言ってくれました。

何度も言ってもらって、少しずつ「もしかして、本当にそうなのかも…」と思うようになって、今では「本当に、それでいいんだ!」と思えるようになって。

それが私の「普通」になってからです。

子供の頃のような「猪突猛進な性格」が、また出てくるようになったのは。

私の中の「子供」と「大人」

たぶん、私の行動力の源である「ワクワクする!」「楽しそう!」「面白そう!」という直感は、子供が好奇心を働かせるのと同じようなものなんだと思います。

目についたものが気になったら、すぐにそちらへ歩みだしてしまうような感覚。

子供の頃はそのままにしておくと危ないですが、今は大人なので、自分の中の「子供の部分」と仲良く過ごせるようになりました。

もしかしたら、自分の中の「子供」と、私という「大人」が仲良くすることが、私が「さらり」と行動できる仕組みなのかもしれません。

それはまるで、自分の中の「子供」が「あれが面白そう!」と言うのなら、その手を取って「じゃあ、一緒に行こう!」と言ってあげるような景色。

私の中の「子供」は、今日も私にこれからの道を教えてくれています。

だから私は、笑顔でついて行くだけです。

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