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語学って才能?音楽も才能?

私はイタリア語を4年くらい“かじって”います。

「勉強しています」ととても書けないレベルです。(^^;
4年とは言っても、波もあり、やる気が出たり出なかったり。
だから勉強したり、ぱったりしない時期もあったりで、継続というより断続的・・

「そんなことじゃ上達するわけないじゃん!」というのは重々承知の上で、これを棚に上げてあえて言うのですが、「語学ってやっぱり向き不向きがあるんじゃないかな~」と最近思います。

例えば語学に限らず、同じことを習ってもスーッと吸収する人、なかなか習得できない人、いますよね。

日本語と英語がペラペラのイタリア人の友人が、以前こんなことを言っていました。
「私は語学って得意なの。なんか言葉ってスーッと入ってくるんだよね。そしてだいたいすぐに話せるようになっちゃうの」

やっぱりねー!あるんだ、語学の才能って!
人によっての向き不向き、得手不得手って!

と彼女の言葉を聞いて思いました。
・・だって残念ながら、私にはその感覚全くない。(TT)

英語を話せる人を見るたびに、「すごいな~。いいな~。私もあんな風に話せたらいいのにな~。」と羨ましく思うのですが、いやいや、それは違う!

あんな風に外国人と楽しく話せるのは、きっと学生時代、私の何倍も努力し、勉強してきたからだ。
そんな陰の努力も見ないで羨ましいなんて思う自分が、なんだか恥ずかしくなりました。

でもまてよ?
私も学生時代、やってきたことがあるではないか!
それは音楽。

子供の頃からピアノを習い、中学生でブラスバンドに入り、高校生からはオーケストラに。そして社会人になってからも趣味でアマチュアオーケストラを続けてきました。
もちろん楽譜を見て歌を口ずさむこともできるし、中級程度の曲ならピアノも弾けます。

楽器が弾けない人からは「楽器ができていいですね。すごいですね。」とよく言われますが、私にとってはなんだか当たり前で、全然すごいことではないんですよね。

で、気づいたんです。
きっと楽器が出来ない人は、私が語学ができる人を「いいな~。すごいな~。」と思うのとまったく同じ気持ちなんだろうな、と。

思えば子供の頃、ずっと習ってきたピアノ
そういや、「いやいやながらも練習していたな~」と子供の頃を思い出す。
でも不思議と音楽は私の中にスッと入る感覚がありました。
そして今は私にとって音楽は体の一部のような感覚。

語学堪能な人もきっと同じ。
もちろん努力もされただろうけど、私が感じるようなハードルの高さはあまりなかったんじゃないかと。

人には得手不得手がある。
私は語学は“からっきし”だけど、音楽は出来る!!

だから「なんで私、語学の才能ないんだろう(TT) 」ってそう落ち込まなくてもいいんじゃないかって、そう気づいたらちょっとだけ心が軽くなったのでした。

な~んて、イタリア語がいつまでも上達しない言い訳のような記事になっちゃいましたけどね!(^^;


今日も記事をお読みいただきありがとうございました♪

~みんなが愛と光の世界へ~
Sara

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オンラインでカラーセラピーによる個人カウンセリングも行っています。

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