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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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2018年9月の記事一覧

ハイパー自由だから知っていたい、本当の私のこと

真面目でやさしくて生きづらい仲間のみなさんにちょう声を大にしてお伝えし続けたいことの1つに 私たちみんな、誰だって、ハイパー自由だよ^^てことがある。 だから、どんな小さなことも大きなことも、自分で選べる。何でも選べる。 これは本当に信じてほしいの。 そしてそれは「自分のことしか選ぶことはできない」っていうベクトルから確信の後ろ盾があるのね。 他人のことを真に私が選んで、決めることはできない。絶対に、できない。他人は私じゃないから。 だからこそ、私が私の範疇と責任のうちに決

糸をほどく勇気(と痛み)

しばらく前に 「他人に応援してもらえないかもしれないから、自分を認めて自分で決めて生きることなんてできない」って人に、私が 「自分で自分を認めていれば他人からの承認は必要ないよね?」て返したら 「自分の自由に生きるのは独善的だし、そもそもそんな正論認められない!」て返ってきたことがあって。 ちょっと面白いなーって思ったの^^ そうか。正論とか理想論に見えるのかーって。 え、でもよく考えてみて?全然、そんなことなくない? 「自分で自分を幸せにするリーダー」としての私(こち

主役へのオファーを受ける気持ち錬成術

久しぶりのワークショップを開催して、改めて思ったことのひとつに 自分が動き始めたところが、周りが動き始めるスタートポイントだということがありました。 前に世界が変わるのは自分が変わるからだって話を書いたので同じことなんだけど。 今回はどちらかというと、動いてみて分かったこと。 動かすための勇気を、どう自分が作ってきたのかの、再確認。 ワークショップをやることは、普段大して活躍もしてないイチ会社員の私にとって (普段教える仕事に携わっていないという意味で)ちょっとハードル

そして突然の主役へのオファー

唐突に質問です! ブロードウェイの主役のオファーが来たら、受けますか?断りますか? 別にブロードウェイじゃなくても、映画の主役でも野球の4番でも日本代表ナントカでもなんでもよいのだけど 「主役」に躍り出るオファーがふってわいた時、そのオファーを受けるか受けないかって、ある意味人生のターニングポイントだと思うの。 なのだけど!このオファー、実は毎日、自分で自分に出しているはずってことに!私は最近まで気付いていなかった!! 私、小さい頃から妄想が大好きで(妄想というか想像?

「変わりたい」はカップ麺よりずっと尊いから

今日スイスイさん(@suisuiayaka)のツイートを読んで、選ばれた単語とイメージにものすごく興味がふくらんだ。 あの世で人生品評会って(笑 このツイート読んだ時にいくつかの考えがふわふわ浮いてきたのね。 (スイスイさんの言いたいことと私が連想したことはスタートが違うので、その点で文脈や意図が違うことがあると思う。ごめんね!) 「人生変わる○○!」「最高の人生に!」「人生終わった」ってどれも 人生がある1点で決まってしまう確定的な因果関係論になっているなーって感じた

世界がちっともよくならないのは、自分がなにも変わらないから

逆説的に今日のタイトルのことに気付いたとき、ある意味、わたしの自己肯定感がすごく上がったのを 今朝スタバで顔なじみのお姉さんと雑談しながら思い出したです。 小さい頃から「世の中」みたいなものにちょっと批判的なところがあって、 あーぁ。こんなバカばっかりだから「世の中」はつまんないんだなぁ。みたいにやたら広い範囲を俯瞰した「世の中」について、斜に構えてたところがあった。 大学生になっても社会人になっても、面白い!賢い!興味ある!って思える人は本当に一握りで それ以外の人から

話したいのです。あなたと。

この間、私たちはいつだって自由だって話を書いたんだけど 直後、その自由を他でもない私が全然行使してなかったことに気付いてしまったのです(照 ここ3ヶ月くらい、自分の中でもやっとしていることがあって もやっとがやってくるたび、お友達とメッセンジャーで少しずつ、もやっとを探り出すためのやり取りをしてきたのね。 ちょっと前に、そのもやっと案件が、自分の中で 「なんかもうダメだほんと無理これーー!!たすけて!」ってなってきて、 またその話をお友達に投げて、問われ、投げて、問われ、

はじめっからさいごまで、自由

「なぁんだ。はじめっから自由だったんじゃん」て思う。 ↑ちょっと前にアレクサンダー・テクニークの学校のお友達とメッセのやり取りをしてて、彼女から届いた言葉。 これ、じわじわと、良さがあふれてきて、そうだよね、ほんとうそうなの!ここまで来れてわたしたち天才だよね! てなってる。 私が今通ってる学校は、年齢も性別も専門も全然別、 入学年度&学期も年間の取得単位数も違う人がごちゃまぜでクラスにいるから ずっと年下だと思ってた人が実は5つ以上年上だったとか、めっちゃ年上だと思っ

ご厚意にはありがとうで応じようの巻

アレクサンダー・テクニークっていうのの教師資格を取るために学校に通っているんだけど ちょっと前、午前のクラスと午後のクラスの間に、先輩トレーニーのお姉さんたちとお弁当を買って、近くの公園でランチしてたのね。 ひとしきり食べてしゃべって、そのあと私、ちょっとコンビニに寄りたかった。 で、「ちょっとロー◯ン行ってきま…あー。お弁当のゴミどうしよう…」ってなって そしたらお姉さんが「捨てといてあげるよーコンビニ行っといで^^」て言ってくれたの。 ところが私はその言葉に 「えっ…

色眼鏡、外しちゃえ

昔どこかのSNSで 他人からの「そんな人だと思わなかった」てき発言に対して「お前の色眼鏡なぞ知るか」てなった というような内容の投稿を読んだ記憶があるのだけど 今日これをふと思い出して改めて、言い方はともかく、ほんとそれ!てしみじみしてる。 人生長く生きれば生きるほど 「そんな人だと思わなかった」モンダイは「自分→他人」にも「他人→自分」にもどこかしらで何度も起きるよね。 すごく仲の良かった友達とそのたった一言で疎遠になった、みたいなの。 これって「裏切られた」感から起き