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世界がちっともよくならないのは、自分がなにも変わらないから

逆説的に今日のタイトルのことに気付いたとき、ある意味、わたしの自己肯定感がすごく上がったのを
今朝スタバで顔なじみのお姉さんと雑談しながら思い出したです。

小さい頃から「世の中」みたいなものにちょっと批判的なところがあって、
あーぁ。こんなバカばっかりだから「世の中」はつまんないんだなぁ。みたいにやたら広い範囲を俯瞰した「世の中」について、斜に構えてたところがあった。

大学生になっても社会人になっても、面白い!賢い!興味ある!って思える人は本当に一握りで
それ以外の人からは距離を置くことで、つまんない「世の中」からも距離を置こうとしてたように思う。

ついでに、大人になってから、楽しみに参加していたアカペラのワークショップで
自分より10も20も年の離れた人たちから陰湿ないじめにあった上に、周りの見て見ぬふり、知らないふりに耐えかねて心を病んで
「つまんない人間」のいる世界がますます本当に大嫌いになった。

で、そういうつまんない私の意固地な過去はある意味どうでもよくて
その後の決意とか紆余曲折とか泣きながらがんばったこととかもちょっと割愛して(いつか何かで書くね!)
本当に「私が変わるしかない!」って決めてから1年くらい経って
「あ、世界が変わった」って思ったのが、会社のビルの下にあるスタバでだったの。

スタバのお兄さんお姉さんって、みんなニコニコしてコミュ力高くてフレンドリーで、
そういうホスピタリティみたいなものを求められてるじゃない?
私、人見知りの割に、そういう人に対して「営業スマイル」であたりさわりなく向き合うのは得意だった。
そういう風に教育されていたというか。
だから、スタバに限らずお店や窓口なんかで、失礼のない、いい人そうな態度はいつでも取れて。

なんだけど、ある日レジで「ありがとー」って言った私の笑顔を見て
お会計してくれたお姉さんが一瞬びっくりしたように目を逸らして、ちょっと表情を作り直してからもう一度、にっこり、私に向き合ったの。

これ、私が変顔してたとかめっちゃ引きつった笑顔だったとかそういうのではなくて(と私は認識してる)
私の笑い方が「営業スマイル」じゃなくなったから
めちゃくちゃ相手をウェルカムしてる笑顔だったから、
お姉さんも感覚的にそれに気付いて、定型じゃないにっこりにしてくれたんだー(という風に私は見えたんです)。

この瞬間、「あ、スタバのお姉さんに勝ったw」(勝ち負けじゃないんだけど、なんかそういう感じ)って思ったし
「あー、私が変わったんだ。変わろうとし続けてきて、ついにそれが表情とか雰囲気とか、身体の外にも出始めたんだ」って思えたのね。
(これ、ある種の自己肯定感!)

この後も、コンビニとか本屋さんとか、レジで店員さんがものすごく素敵な笑顔を返してくれたり
ある意味ぎょっとしたような反応をされたり(決して私、大きな声をだしたりものすごいビックスマイルしたりは、してないよw)
することが増えて、やっぱりそうだよねーって確信を深めていったのだけど。

【私が変わった→私の周りの世界が変わらざるを得なくなった】
ということで、逆に言うならば
【世界がちっとも素敵にならない→私が何も変わらないから】とも言えるんだよねって、ティーラテ飲みながら、さっき気付いてしまったのです。

「世の中」はバカばっかでつまんないと思ってた私の周りが、どうやっても変わるわけがなくて
私が内面から変わることで、表出する私も変化しているから、私の周囲がそれに合わせて変わっていくってことだよね。

私が見ている、私が認識している世界が「世の中」だから、そしてそれはみんな異なるから、
私から見た身の回りがまず変われば、そこからつながる「世の中」も見え方が変わると思うよ。まじで。

とにかく、かつての私のように「世の中」に不満のあるみなさま。
自分が変わる勇気、持ってみませんか?^^

#コラム #自己肯定感 #見方を変える #勇気

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