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色眼鏡、外しちゃえ

昔どこかのSNSで
他人からの「そんな人だと思わなかった」てき発言に対して「お前の色眼鏡なぞ知るか」てなった
というような内容の投稿を読んだ記憶があるのだけど
今日これをふと思い出して改めて、言い方はともかく、ほんとそれ!てしみじみしてる。

人生長く生きれば生きるほど
「そんな人だと思わなかった」モンダイは「自分→他人」にも「他人→自分」にもどこかしらで何度も起きるよね。
すごく仲の良かった友達とそのたった一言で疎遠になった、みたいなの。

これって「裏切られた」感から起きるんだと思っていて、
それは裏返すといコール「期待」のキモチなんだなぁって。

ここでちょっとだけ立ち止まって考えてみたいのだけど、
この「期待通りにいかない」って、120%誰にでも、どんな関係性でも避けられないことだよね?

私とあなたは全く別の人で、
これだけテクノロジーが進化した今日においても、あなたの脳を、考えを、私がコントロールすることはできない

にも関わらず、「そんな人だと思わなかった」って発言があちこちで聞こえ、自分にもそういう想いが出てくるのは、
どこかで相手が自分の思う通りになることを「期待」しているってことの裏返しなんだなーという事実に、
多くの人はまだ気付いていないってことなのかも。

「そんな人だと思わなかった」の中には、
「私にやさしい(優しい・易しい)人であって欲しい」みたいな気持ちが含まれるし
私の想像力の外側に相手が生きていることを認めたくない心が隠れているって、思うの。
まさに、色眼鏡から見ている状態

もちろん、大切な人とはたくさん素敵な気持ちを共有したいし、感性が似ていればすぐに理解できることが増える。
期待することは全然、まったく、これっぽっちも、悪じゃない。
ただ、お友達だから、仲間だから、尊敬すべき人だから、etc..
そういう「関係性」に着目して、自分と誰かが「同じ」目線であることを無意識に望んでいると
その望みと違うことが起きた時にものすごくびっくりする
と思う。

だけど!むしろ!よく考えたら!
目線が同じであるはずがないんだもんー。
向かい合った2人が同じ景色を見ていないように(隣に並んでても完全に一緒じゃないよね)
私の望みや見ているものとあなたのそれは100%合致するということが絶対にないんだーーーーー。
あなたもひとりの独立した人として自由に生きているんだーーーー!

そう気付いていれば、「ちがう」を楽しく、いとおしく、受け止められる気がしてきませんか?

私は、自分の色眼鏡に気付いているから、そのままいることも外すこともできる。
誰かが色眼鏡で踏み込んできたとしても、あ
「なたの見える世界はそうなんですね。そうですかー。因みに私の世界はこうみえてるんですよ。」
ってできるようになっていくと思う。

みんなが、色眼鏡の存在を知っていて、それを認めることも知らんがなって言うこともニュートラルにできる
そういうコミュニティが自分の周りに広がっていると幸せだなーと思うのでした^^

#コラム #コミュニケーション

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!