見出し画像

感じる乱読家は変わりたい(1/2)【間違いだらけの読書備忘録(1)】

近ごろ、にわかに読書づいています。
具体的に言うと年末年始からなので、本当ににわかです。

ここでいう"書"は文学以外を指しています。ビジネス書が多いです。

最初は目当ての本を二、三冊読もうとしただけなのですが、もっと読みたくなってオンラインの古本屋を巡り、十冊ほど追加。しばらくはこれを読み進めようとして半分ほどに差し掛かったところ、先日たまたま大きめのブックオフに立ち寄る機会があり……気付いたら入店から三時間経過、カゴには誰のしわざか二十五冊入ってました。あ、ついでに言うと一昨日ネットで注文した本が数日後に二冊届きます。

元々この類の書籍を読むことはあまりなく、近いものとしてはネットのニュース媒体とか、本の要約サイトを参照するくらいでした。
ですが幾つか思うところがあり、本を読む必要に迫られています。

その中身は仕事と創作両面に関わる理由です。ざっくり言うと、

「じんせいをかんがえるため」

ってやつです。ちょっと大仰かつ大雑把過ぎですけど、これもnoteを始めた大きな理由のひとつです(と、いう言い回しを最近何度も書いた記憶がありますが、つまりたくさんの理由が整って「機は熟した」的状況になったということなんでしょうね? 自分のことなのに「でしょうね?」ってどうかと思いますが)。


で、つい最近八冊目を読んでる途中で思いました。

「これ、書き留めていかないと中身忘れる……」

というわけでnoteの場を借り、読書をテーマにした備忘録を書こうと思って「間違いだらけの読書備忘録」というサブタイトルを作りました。

一体なにが「間違いだらけ」なのか?
まずはその話を含め、自分の読書スタンスとか考えみたいなものを書き記しておこうかなと。

感じる乱読家

子どものころから今まで変わっていないわたしの読書スタイルをひと言で表すと、

「感じる乱読家」

ということになると思います。読書家としての二つ名と思ってください(ダサい上にぱっと見意味が解らないけど)。
感じる、と書くとなんかよからぬ響きにも読めますが、ここで言ってるのは

「考えるな、感じろ」

ってやつです。
とにかく手当たり次第に気になった本を読み散らかして、自然と感じたことがあれば「それが読書によって獲得したものさ……ふ」的なスタンスです。

このやり方がどこから来てるかというと、始まりは漫画です。
小学生のころから十代後半くらいまで、わたしは古本屋で漫画を漁るのが趣味のひとつだったのですが(後に小説も加わる)、多いとは言えない資金を握り締め、値段と表紙だけで数多くの漫画を手に取りました(ジャケ買いってやつです)。

ジャンルはもちろん、少年漫画、少女漫画、青年漫画などのターゲットすらあまり気にせず読んで……面白いと思うかどうかが全てでした。
なんというか、パーソナライズドレコメンドが当たり前になりつつある現代からすると、真逆ですね。

や、でも実際今でも漫画や文学作品ならこれでもいいと思うんですけど……ビジネス書みたいなものをこの方法で読んでいくのはどうなんだ、というのが最近のわたしの考えです。
なぜなら今わたしがやろうとしている読書は

「感じるとか言ってないで、考えろ」

なので。
フィーリングだけで読んで「ああ面白かった」で終わってしまうと、「なんのために読んだ?」ということになりかねないのです。だから備忘録を書こうと思いました。


さて次回はもう少しこの続きを。
そんなわたしの読書にまつわる黒歴史と、「読書の吸収率」についてお話しする予定です。
サブタイトルにある「間違いだらけ」の意味も、そこへ紐付きます。


と、いうわけで今回は以上です。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,285件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?